死亡率・重症化率の違いを考慮した世代別勤務態勢のすすめ

「死亡率+重症化率」で見る新型コロナの脅威

PCR検査数やその推移は、総数の規模に問題があるだけではなく、政府・自治体の数値の取り扱いに不備が多発しているため、その信頼性は乏しい。現段階で我々がいちばん信頼できるのは死亡者数である。重症患者の数については不明な点も多いが、これまでの推移を見るかぎり、一定の信頼を置くことはできると思う。
 
そこで新型コロナウイルスの「脅威」を、世代別の人口あたり死亡率(死亡者数)、重症化率(重症者数)に限って観察することにしてみた。感染それ自体よりも、「死亡率+重症化率」を最大の脅威と見るのが合理的だと思われるからだ。なお、一般的な死亡者数・死亡率の年々の比較などを考慮した「超過死亡率」を取り上げたほうが数値としての説得力は増すだろうが、まだデータが圧倒的に不足しているため、ここではとくに触れないこととする。
 
 
数値は5月7日段階のものであり、現在その数値はかなり膨らんではいるが、一定の傾向を読み取ることはできると思う。
 
これによれば、40代以降「死亡率+重症化率」は急上昇し、50代、60代と世代が上がるにつれ、その率は倍増している。とはいえ、現状を前提にすれば、最高値を記録している80代以上でも100万人あたり23人超だから、けっして高い数値とはいえないが、「いつ誰が感染し、誰が重症化するか」は神のみぞ知る話で、やはり軽視はできない。
 

世代別死亡率・重症化率と学校再開

 
これらの数値を参考に、たとえば学校再開について考えてみると、10歳未満から30代までの数値はやはりきわめて低く100万人あたり1人以下だから、児童・生徒・学生の側からすれば、学校を再開することにほとんど問題はない。20代、30代の教職員が常時勤務する場合にも問題は起こりにくいと思う。
 
学校再開にあたって問題なのは、40代以上の教職員の扱いと、児童・生徒・学生と同居する40代以降の家族、同居人の扱いである。
 
40代の場合、「死亡率+重症化率」が30代の約3倍と高いが、教職員の対外的業務・渉外業務は限られており、大半は校内・学内業務である。したがって、40代の教職員は、一定の予防対策の下で通常勤務可能だ。50代以降の教職員の場合、一般的に管理的業務に従事する機会が増え、対外的な接触機会も増えるだろう。しかも、50代の「死亡率+重症化率」は40代の2倍である。したがって、リモート授業、リモート会議を主とした勤務態勢が望ましい。出勤日数をたとえば週2日あるいは3日に減らし、対人接触を最小限に留める方法もある。先に触れたように、50代は校長、教頭など管理的業務に従事する比率が高いだろうから、リモート勤務や勤務日の減少が無理な勤務を強いる可能性は低い。
 
大学・大学院の場合、50代以降の教員が主力で、教育研究上欠かせぬ人材となっているが、リモート講義システムやリモート研究会の活用でかなりの程度凌ぐことはできる。実験室や実習設備の利用については時間差を設けるなど工夫は可能だ。大学行政的な仕事の多くは40代までの教員に任せ、50代以降の教員は「研究業務」に注力してもらえばいい。そのほうがヘタな「支配力」を行使されないから、パワハラ、セクハラ的な行為も減り、大学運営は健全化するだろう。
 
家庭などでの児童・生徒・学生と年輩家族との接触も、手指消毒・手洗い、トイレ・洗面所の清掃、会話時の安全距離の確保、マスク着用などちょっとした気遣いと工夫で減らすことはできる。それほど難しいことではない。
 
なお、表ではデータ不足のため男女差まで調べきれていないが、女性の死亡率・重症化率は男性の半分程度と推定されているので、50代までの女性教職員は通常勤務が可能だろう。男女格差を減らす好機ともなる。
 

「集団感染」後も続けたい世代別勤務態勢

 

こうした世代別の(いい意味での)差別的な勤務態勢は、学校・大学だけでなく役所や一般企業、政治家にまで拡張できる。「定年延長」が何かと話題となっている昨今だが、50代以降あるいは60代以降の人たちの仕事の範囲を限定することで、却って組織は活性化できると思う。「高齢化雇用の時代に逆行する!」という批判もあるだろうが、50代以降あるいは60代以降の叡知と経験値を、しっかりと遺す仕組みをつくって補完さえすれば、現在より充実した世代別役割分担が可能になり、望ましい世代交替が実現できる。吉村洋文大阪府知事や鈴木直道北海道知事の人気が高いのは、その政策や人柄に魅力があるというより、たぶんに外見を含めた年齢的なものだと思う。若さこそパワーであり、指導力であり、斬新さである。コロナ禍を機に、「40代で主役、50代で徐々に後身に道を譲り、60代でしっかり引退」という道筋をつけておけば、あたらしいライフサイクル、ライフスタイルの構築も容易になるはずだ。

したがって、来たるべき「集団感染以後」も、以前の時代の慣行・慣習に戻るのではなく、こうした世代間勤務態勢、役割分担を継続することが望ましい。「お前はジジイとババアを社会から隔離(抹殺)するつもりか」と怒られそうだが、隔離や抹殺が目的ではない。この世界を一歩でも前に進めたいということだ。とくにジジイたちは、たとえ組織にとってどんなに有能な人材であったとしても、50代以降は「組織からの引退」を視野に入れてもらったほうがいい。社会的新陳代謝が起こりにくいのは、やはりジジイたちが組織で幅をきかせているせいである。。50代あるいは60代以降の組織人たちが幅をきかせていなければ、おそらく今回のコロナ対策ももっとうまく進んだにちがいない。「コロナを機に世代交替を」が隠しテーマなのは否定しないが、50代・60代を過ぎたら、もっと別の「社会貢献」が控えているはずだし、そのほうが人としての幸せも手に入れやすいはずだ。

 
批評.COM  篠原章
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket