高嶺剛監督の世界 — 新作『変魚路』と旧作『パラダイスビュー』『夢幻琉球・つるヘンリー』

昨日(1月14日)は、東京・渋谷の「イメージフォーラム」で、高嶺剛監督の18年ぶりの新作『変魚路』上映に因んだ、高嶺剛監督特集「映像の乱反射」を観ました。

高嶺剛監督『変魚路』

高嶺剛監督『変魚路』

高嶺剛監督特集『映像の乱反射――高嶺剛』

高嶺剛監督特集『映像の乱反射――高嶺剛』 

初日の昨日は、平良進+北村三郎の『変魚路』、小林薫主演、細野晴臣(サウンド・トラックも担当)、りりぃ、戸川純、かっちゃん(川満勝弘)など多彩なゲストが出演する『パラダイスビュー』(1986年)、大城美佐子主演で平良進が好演する『夢幻琉球・つるヘンリー』(1998年)の3本立てでした。

「初見」は『変魚路』だけでしたが、『パラダイスビュー』はYMO絡みの映画として観た記憶以外何も残っていないし、『夢幻琉球・つるヘンリー』も、人生でもっとも多忙だった時期に観た映画のせいか、記憶に残っているのは大城美佐子の情歌だけという有様。したがって、『変魚路』以外の2本も初見に等しい映画でした。

初日のため高嶺監督と平良進さんの舞台挨拶(対談)もありました。お話を楽しく拝聴しましたが、お二人とも常人を超えたオーラを放っていました。高嶺監督の語り口からは「沖縄への偏愛」よりも、「映像作品へのこだわり」を強く感じることができました。平良さんのこと、実は普通のおっさんだと思っていたのですが(失礼!)、なんのなんの、そこいらの役者とは格が違いました。たんなる対談なのに、沖縄芝居の名人らしく一挙手一投足が美しい。とくに指先の動きには驚くほどの年季を感じました。

高嶺剛監督(左)と平良進さん(右)

高嶺剛監督(左)と平良進さん(右)

高嶺監督のクールな「情」の世界は圧倒的でした。おそらく高嶺映画ほど、多層的・重層的なイメージを喚起する映像作品は珍しいと思います。いってみればそれは詩の世界なのですが、「ポエティック」などという安っぽい言葉ではとても言い尽くせない密度を伴っています。沖縄を素材に展開される映像世界であるため、軸となるのはもちろん「沖縄」なのですが、描かれるイメージが過剰なほど濃密なため、観ている我々はかんたんに沖縄という枠をはみ出してしまいます。観る者自身が内なる架空都市をつくりだし、その架空都市を浮遊する状態をいつのまにか楽しんでいるのです。その意味で、「沖縄映画」というには、あまりにも普遍的な映像作品です。人間という存在の卑小さと偉大さの往復運動を体感できる世界といったほうが的確かもしれません。高嶺作品には「ウチナー世〜ヤマト世〜アメリカ世〜ヤマト世〜ウチナー世」といった時空の切り方での説明もありますが、最後は「ウチナー世」ではなく「ウマンチュ世(すべての人の時代)」が正解なのではないか、と思えてなりませんでした。

映画という創作芸術に騙されてハイになってみたい方(笑)、高嶺作品は必見です。観た人が私見をバラバラに語ってケンカするような状態になれば痛快なのですが、最低限その程度はヒットしてほしいという僕の願いは通ずるでしょうか。

『変魚路』主演の平良進さんも高嶺映画の常連ですが、かっちゃん(川満勝弘)も同じく常連です。昨年夏のピースフルロックフェスティバルでは「立つのもやっと」いう状態でしたが、『変魚路』では驚くほど元気なかっちゃんの姿を観ることができます。撮影は昨夏よりもだいぶ前だったのでしょう。

今週中『オキナワンドリームショー』(1974年)『ウンタマギルー』(1989年)も上映されますが、ぜひ観たいと思っています。

補足:高嶺作品はVHS化はされているのですが、さまざまな事情からDVD化されていません。『変魚路』はさすがにDVD化されると思いますが、今のところVHSがレンタルで一部貸し出されている『ウンタマギルー』(1989年)を除き、ほぼすべての作品を劇場で見るほかありません(VHSは市場で買うこともできますが異常な高額の上に画質が悪い)。ちなみに、細野さんによるサントラ盤『パラダイスビュー』(アナログ盤またはCD)も中古市場ではプレミアがついていますし、上野耕路さんによる『夢幻琉球・つるヘンリー』のサントラ盤はほとんど入手不可能です。
高嶺剛監督

高嶺剛監督

平良進さん

平良進さん

平良進さん(左)と高嶺剛監督(右)

平良進さん(左)と高嶺剛監督(右)

批評.COM  篠原章
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