沖縄県知事選始末記 — 友よ、今だからこそ本音をいおう

2018年9月30日に行われた沖縄県知事選は玉城デニー候補の圧勝に終わりました。当初から佐喜眞淳候補に勝機はないと予想していましたので、正直なところ意外でも何でもありませんでした。選挙の勝因・敗因の分析については、開票直後の「デニー当確」の時点でiRONNAに寄稿した『本気を出した自民党が翁長氏「弔い選挙」に負けた4つの敗因』(10月1日付)に詳しく書きましたが、ここではその勝因・敗因分析を補いながら、主として沖縄の置かれている現状並びに将来にかんして認(したた)めた親しい友人・Kさん宛てのメールを公開しておきます。「今だからこそいえる本音の話」です。

玉城デニー圧勝の背景

親愛なるKさん

ご無沙汰していますが、お元気ですか。こちらは沖縄県知事選が終わり一息ついているところです。結果については予想した通りでした。玉城デニーが勝って佐喜眞淳が敗れた理由については、iRONNAに寄稿しているのですでにお読みかと思います。

iRONNAに寄稿した拙稿では、

  1. 逝去により翁長雄志前知事のカリスマ性が一段と高まったこと
  2. 病床の翁長前知事による候補者選びがツボを得ていたこと
  3. 自民党県連が選挙を戦える態勢になかったこと
  4. 佐喜真淳支援者による激しい玉城デニー非難が裏目に出たこと

を「デニー勝利」の主たる要因として挙げておきました。自分で書いてから驚きましたが、なんと4つ目を除く3つ目までが「翁長雄志」絡みでした。少なくとも「選挙」に関しては、沖縄における保守本流の要だった翁長前知事が「オール沖縄」を唱えて自民党を飛び出した途端、自民党沖縄県連は崩壊してしまったのだと思います。

翁長さんから数えて2代前の知事であるの稲嶺惠一さん、1代前の知事である仲井眞弘多さんも、翁長さんが選挙戦の要にいたからこそ当選しました。そのことは文藝春秋10月号に掲載された稲嶺さんの記事( 「翁長雄志 本土に伝えたかった沖縄の誇り」)からも明らかです。稲嶺さんは大田昌秀さんという強力な現職知事を下して当選しましたが、この選挙を翁長さんが差配しなければおそらく敗北していたでしょう。

稲嶺さんのこの選挙の最中から「基地反対よりも経済振興」という流れが生まれ、4期16年間にわたって自民党県政が続きましたが、これはやはり翁長さんの功績でしょう。「政治家は選挙に勝たなければ何もできない」というのがおそらく政治家・翁長雄志にとって最大の信念であり、翁長さんはその信念に基づいて行動してきたにすぎないと思いますが、自民党沖縄県連に属するほとんどの政治家や支援者は、翁長さんのそのシンプルな信念さえも自分たちの学習課題として正面から受けとめていなかったと思います。

翁長さんが自民県連を離れた後の4年間、県連幹部たちは、翁長さんを欠いて自らの組織がガタガタになってしまったことを棚上げし、「仲井眞さんと県連を裏切った」翁長さんへの非難と対立に明け暮れていました。なぜ翁長さんが「変節」したのかという点についても十分な認識が共有されていたとはいえません。

「変節」は、鳩山発言をきっかけとした民意の変化を受けてのことだったのか、仲井眞さんの手法に対する反発があったのか、仲井眞さんとのあいだに個人的な確執があったのか、あるいはそれらが複合したものであったのか。ぼくが知るかぎり、政治的立場を問わず誰ひとりとして説得力ある説明をしてくれた人はいませんでした。

いずれにせよ前回(2014年)の知事選では、「政府との対立」によって基地問題をライトアップし、県民の「平和への思い」(幻想)をバックグラウンドに選挙戦を戦う翁長さんの手法は見事に功を奏しました。政府と果敢に闘う翁長知事」に対するメディアのラブコールもきわめて強力でした。

選挙戦術としては確かに適切だったかもしれませんが、基地負担を冷静に捉え、安保を正面から議論し合うプラットフォームも生まれなければ、県民にとって基地や安保以上の重要性を帯びている「自律的な沖縄のあり方」(※「自立」ではありません、「自律」です)に対する姿勢も問われることはなくなってしまいました。「沖縄vs政府」という構図だけが前面に押し出され、「辺野古移設問題=沖縄問題」という恐るべき誤解を招きながら、沖縄にとって重要なほとんどの問題は先送りされたといってよいでしょう。

対する自民党は、翁長さんが抜けてガタガタになった組織を立て直すことから始めなければいけないはずでしたが、組織再建に向けての真摯な取り組みを怠ったたまま、「経済振興」という古典的なスローガンを掲げて今回の選挙戦に臨みました。佐喜真陣営には「対立よりも対話」というスローガンがありましたが、対話の中身が「政府とのパイプ(資金)の活用」「振興体制の維持拡大」といった政府依存を土台とするものであることは一目瞭然で、デニー陣営の掲げた「誇りある豊かな沖縄」というスローガンの前では色褪せて見えました(※デニー陣営のこのスローガンもたんなるお題目ですが)。

組織がろくに整っていないところへ、沖縄知らずの選挙参謀や広告代理店が考案した前時代的なスローガンを掲げても勝てるわけがありません。

その点ではデニーさんのほうが一枚上手だったと思います。デニーさんの政治家としての評価の問題はさておき、「翁長後継」であることを効果的に明示し、女性や若い世代に親和的なデニーさんの笑顔やスピーチを見事に使いこなしながら選挙戦に臨みました。プロのカメラマンが撮った写真や、何かと泣かせる逸話の多いデニーさんの生い立ちや経歴を巧みに編集した動画、チラシ、SNS発信は、失礼ながら小泉進次郎副幹事長や菅義偉官房長官のスピーチよりも、県民にとって魅力的に見えたと思います。

デニー陣営のスローガンや政策も、けっして「政府との対決」を前面に出したものではなく、「対話」「豊かさ」「明るさ」「誇り」などといったようにポジティブなイメージを与えるものでした。巧妙に辺野古を避けたともいえる手法だったと思います。各種調査によれば、20代以外のすべての世代でデニーさんが佐喜真さんを上回り、女性票の6割強をデニーさんが獲得したということですが、そうしたデータも十分納得できるような戦術で成功しました。

「知名度が高く行政経験が豊富な佐喜眞淳さんなら勝てる」というのが、自民県連が佐喜真さんを推薦した理由とされていますが、それすらも怪しいものだったと思います。

たしかに宜野湾市長としての佐喜真さんは県内では有名でしたし、その行政手腕に対する市民の評価も相対的に高かったと思います。が、県庁職員のあいだで佐喜真さんの顔はあまり知られていなかった。県庁と連繋する仕事が少なかったからです。会議など公式の席に市長として顔を出すことはあっても、佐喜真さん自らが率先して提案する全県的な政策課題や全県的なプロジェクトは乏しかったようです。沖縄県内の世論に訴えかけるようなメッセージもほとんどなかったと思います。おまけに知事候補に推薦された時点で佐喜真さんは自民党員ですらなかった。つまり、他の保守政治家の選挙戦に積極的に関わる機会も少なかったということになります。

たしかに「佐喜真宜野湾市長」は有名でしたが、彼がいかなる政治家であるか、あるいはいかなる人柄であるかを知る県民は思いのほか少なかったということです。こうした弱点を補うべく佐喜真陣営もSNS発信・動画発信に努めましたが、「空手の名手」であることを除いて、政治家としての活躍ぶりや人柄を巧みに伝えるような編集ではなかった。

それどころか、佐喜真陣営のプロモ動画には、佐喜真さんにとってネガティブに作用するような場面も挿入されていたのです。菅官房長官と会談する動画で、年下の佐喜真さんが年長の菅さんの肩をポンと叩く場面がありました。「菅さんとの親しさ」を強調したかったのかもしれませんが、これを見て「しーじゃー」(年長者)に対する敬意を欠く」と不機嫌になった有権者もいたといいます。

今さら細部に拘ることに大した意味はありません。が、自民県連がしっかりした組織と戦略の下で今回の選挙戦に臨めば少なくとも接戦にはなったというのが、ぼくの最終的な評価です。

簡単にいえば、前回同様今回もまた「翁長雄志一人にしてやられた」選挙でした。メディアは「辺野古反対という民意があらためて示された」としています。けれども、今回の選挙戦をつぶさに観察すれば、ボロボロの組織を抱えながら、時代に追いつかない手法で選挙に臨んだ自民県連のだらしなさだけが目立つ選挙に終わった、というのが実相でしょう。デニーさんの「基地反対」が認められたというより、デニー陣営が演出したデニーさんの清新なイメージに対抗する術のなかった、「翁長雄志なき自民県連」が自滅したのです。

沖縄の何が問題か

ここでぼく自身の立場を明らかにすると、今回の選挙戦で佐喜眞淳さんを応援する気にはならなかったのです。何よりも振興体制への依存が明白な政策パッケージには呆れはてました。この4年間、ぼくは翁長前知事を批判すると同時に振興体制(沖縄振興策)の限界を度々指摘してきました。いわゆる保守層のなかにも「振興体制からの脱却」という問題意識を持つようになった人も少なくなかった。にもかかわらず、佐喜真陣営は「振興体制からの脱却」とは正反対の姿勢を何の躊躇もなく示したのです。「総括した上で次に進む」という視点すら感じませんでした。

だからといって玉城デニーさんを応援したわけではありません。デニー陣営は「沖縄の経済的自立」を訴え、「補助金依存はやめる」と唱えましたが、その政策パッケージを精査すれば、やはり「振興体制依存」が前提となっていることは明らかでした。デニー陣営も「県民自らが所得を生みだす」ことに大した関心はなく、中央からの財源や優遇策に依存しなければやっていけないような政策ばかり訴えていました。「アジアのダイナミズムを採り入れる」という公約(アジア全体を市場とするパーツセンターなど臨空・臨港型産業集積の促進、国際医療拠点形成に向けた健康医療分野やバイオ産業の育成など)も既存の事業を念頭に置いたものにすぎず、後述するようにこの事業は補助金依存型事業に成り果てています。デニー陣営の政策もまた「振興策をより手厚く」という佐喜真陣営の政策と本質的には変わりないものといえましょう。

おまけに、両候補の公約の一部は「フェイク」でした。佐喜真陣営は自らに何の権限もない携帯料金の引き下げを公約にし、デニー陣営は所得増や観光業の拡大といった自民党政権やアベノミクスの成果を「翁長知事の成果」と言い換えて宣伝する新聞広告まで出しました。有権者を舐めるのもいい加減にせい、と怒りたくなりました。たしかに「デニーの清新さ」は有権者に届いたかもしれませんが、両候補の政策や主張は50歩100歩でした。なかには問題点を並べただけという「公約」もありました。学生のレポートでもこんな酷いものは珍しい。

デニーさんは勝つには勝ったが、選挙戦術において優れていたにすぎません。なにが辺野古だ、なにが豊かさだと思います。沖縄の未来のことなど誰も真剣に考えていない。僭越な物言いで恐縮ですが、この程度のレベルでの選挙戦を許容しなければならぬ沖縄県民がさすがに気の毒に思えました(日本全体にも同様のことはいえますが、沖縄はその傾向が特に顕著です)。

デニーさんは「沖縄の自立・一国二制度」を口にしました。これは歴代知事も口にしてきたことですが、一度足りと本気で「自立のための計画」は示されたことはありません。「計画は示されたが、まともな計画だったことはない」というほうが正確ですが、今、沖縄県や沖縄総合事務局が先頭に立って策定・実施しているプロジェクトのなかで「沖縄経済の自立」に資するものがいくつあるでしょうか?

「那覇空港のハブ化」のように上手くいっているように見えるプロジェクトもその内実は火の車です。補助金が途切れてANAやヤマト運輸が撤退すれば、このプロジェクトはあっという間に終わります。国内法の制約もありますが、このプロジェクトが上手くいかない最大の理由は、「沖縄から輸出(移出)できる財・サービスがない」ことに尽きます。新たな県内産業を興すか、既存の県内産業に大胆にメスをいれないかぎり、「沖縄から輸出(移出)できる財・サービス」はけっして生まれません。

新任の宮腰沖縄担当大臣は、記者会見で「サトウキビと泡盛を支援する」などといいだしましたが、そのレベルでの産業政策では、補助金を増額するだけに終わります。「観光やIT産業があるじゃないか」と主張する人たちもいますが、生産性のきわめて低い観光や技術習得に時間のかかるIT産業を育てるには、人並み外れた構想力と忍耐力が必要です。デニーさんやそのブレーンにはとても期待できません(佐喜真さんでも難しかったでしょう)。

「基地がなくなれば豊かになる」が幻想であることは再三指摘してきましたが、基地の跡地利用計画についても事実上白紙同然です。流通や観光など既存の産業を拡大すればいいという見方もありますが、ショッピングモールやホテルが乱立しても、その行く末は知れています。テーマパークの新設も、よほどの工夫と競争力がなければ、香港のディズニーランドのように集客に苦しむだけです。広大な普天間基地の跡地にテーマパークやカジノを造るくらいなら、防災空き地として活用したほうがまだマシでしょう。

要するに沖縄は「自立」どころか自律的な経済も十分発達していないのです。誤解を恐れずにいえば、沖縄は「他律経済」の要素が強すぎ「自律経済」もまだ道半ばなのです。伝統的・慣習的な制約と補助金に縛られて、沖縄には自律的に脈動する経済が十分機能していないのです。消費者市場、労働市場、不動産市場、建設市場、資本市場にも多くの硬直的な要素が存在します。

これらの弊害を取り除き、自律性を獲得した後に初めて自立を語ることができる。なのにほとんど誰もそれをいわない。それどころか政治家も行政jも「辺野古移設反対」という政治的スローガンに釘付けされている。「辺野古移設反対」を唱えるなとはいいませんが、明らかに政策の優先順位を間違えている。他律型(本土依存型・補助金依存型)の経済構造や経済体質を変えること、これこそが過去に縛られ前に進めない沖縄にとって喫緊かつ最大の課題なのです。

「辺野古移設反対」の行方

が、なんだかんだいっても今回の選挙を通じて、結果的に「辺野古移設反対という民意」に正当性が与えらたことになります。知事に就任するデニーさんの会見によれば、来年には辺野古移設の賛否をめぐる「住民投票」が行われる可能性も高くなります。その流れには容易に抗えませんが、「沖縄の未来」を冷静に描く機会がまたもや奪われつつあると思います。

「辺野古移設反対」を貫くのはけっこうでしょう。ぼくだってあの移設には未来を感じません。けれども、政府がその対応を変えるとは到底思えません。一自治体が自治権や民意を盾に政府に立ち向かっても、現状では突破口を見つけるのは困難です。デニーさんは(一時的に)工事を止めることはできるかもしれませんが、そうなれば普天間飛行場は今後も継続して使い続けられるでしょう。米軍にとってほんとうは普天間のほうが使いやすいのですから、まさに渡りに船です。

普天間基地に配備される「第31海兵遠征隊(MEU」は、日本よりも米国にとってとても重要な存在です。31MEUは、東アジアの米国市民を戦乱から救済するための部隊という性格づけですから、米国にとってなくてはならない存在です。そうした米国の「権益」も含めての日米安保体制ですから、これに大幅な変更を加えるか、撤廃しないかぎり、31MEUは日本に駐留を続けます。「沖縄がダメなら日本本土で」と主張する人たちもいますが、シュワブやハンセンなどの後方部隊も含めた移転が必要ですから、きわめて大がかりな移設・移転作業が必要で、代替地はおそらく見つかりません。日米安保体制の下にあるかぎり、政府による移設作業はこのまま続けられることになります。

立憲民主党を首班とする政権が成立すれば、「辺野古移設断念」という政策が打ちだされるかもしれません。その場合、31MEUとキャンプ・シュワブなどの機能はどこに配置されることになるのでしょうか?本土?グアム?ハワイ?米国本土? グアム、ハワイと米国本土の可能性は限りなくゼロに近いものです。東アジアに住む米国市民の救出部隊がグアムやハワイや米国本土にいても即応性がありません。移設先が日本本土とする選択肢はありえないことではないのですが、移設先の自治体とのあいだで係争が起こる可能性もきわめて高いと思います。立憲民主党はその係争に耐えられるでしょうか?

ひょっとすると立憲民主党は「日米安保条約の改訂・自主防衛の強化」をいいだすかもしれません。そうなると米国は、嘉手納基地の撤退を示唆しながら改訂交渉に臨むでしょう。日本の防衛体制の現況からして、嘉手納に配置される米空軍の撤退を認めるのは不可能です。立憲民主党の嫌う憲法9条の改正も視野に入れなければなりませんが、彼らに改正の覚悟があるとはとても思えません。

もっと決定的なことは、移設をめぐるこうした一連の交渉過程に沖縄県が主体的にかかわる法的正当性はないということです。一部の論者は「沖縄県が米国政府に働きかければいい」といいますが、これは国家の外交権を侵す行為です。「沖縄県民は少数民族だから、少数民族の権利としての外交権を国際社会に認めさせればいい」という人もいますが、それは独立と同義です。「独立によって辺野古移設を断念させる」と県民が認めるなら、それはそれでいいでしょう。けれども、明らかにおかしいじゃありませんか。「独立」が辺野古移設阻止の手段となるなんて。主客転倒です。

本土の諸党派による基地反対運動の「押しつけ」もあり、「辺野古移設反対」というデニーさんの立場はおそらく変わらないでしょう。法的な拘束力のない住民投票も「県民世論の正当性」を証明する手段となるかもしれません。

しかし、考えてもらいたいものです。このまま振興体制を続け、他律型経済を温存しておけば、沖縄の社会と経済は遠からず二進も三進も行かない状態に陥ります。「外交権」や「国防」といった政府の権限が優位に置かれる基地配置の問題を覆すことに精力を使うのではなく、経済と財政を何とかせいと。とってつけたような貧困対策や県の権限では限度のある所得再分配政策が特効薬であるかのような誤魔化しをせず、県民所得を自ら創出できるような自律型政策に転換せよと。

「そんなことはできない、沖縄戦の犠牲者が許さない、沖縄のこころが傷つけられる」というなら、場合によっては普天間基地の固定化に耐えつつ、真剣に独立への道を考えるべきでしょう。県民が是とすればの話ですが。ただし、これは過去のために未来を犠牲にするという話になりかねませんから、相応の準備と覚悟が必要です。

残念な思いもありますが、これも現実です。次の4年間も現実に耐えながら前向きに生きていくほかなさそうです。Kさん、飲み過ぎて、ぼくだけをこの世に残していかないようお願いしますよ。ホント。

次もまた荒木町か中の町で。

批評.COM  篠原章
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