イカチレの国・台湾(1)

2月22日(火) 西華街観光夜市と餐廰

自分でも信じられないが、これが初めての台湾行である。「琉球独立運動の本部は基隆にあり」とか「その昔、中国は台湾も沖縄も琉求と呼んで同一視していた」とか「台湾が沖縄を併合する!」とかなんとか見てきたようなことばかり書いてきたことをお天道様はすでにお見通しで、三泊四日の旅は大雨三昧、道を歩くのもはばかられるちょっぴり辛い旅だった。

エアーはキャセイ、宿舎は麒麟大飯店。龍山寺や華西街ま で歩いて10分以内という下町ロケーションがいいのか悪いのかまったくわからんが、中正国際空港7時着、混乗二階建てバスに揺られておよそ夜9時過ぎ、部屋に入ったとたん「むむむ」とアジア特有のかび臭さに圧倒される。アジアを歩けばかび臭いB級ホテルなど珍しくもないのだが、今回はちょっと気力体力不足。もはや旅社どころか、B級ホテルも相当な気力と体力を持って臨まないと太刀打ちできそうにない年齢に達したのか。コザのでいごや那覇のサンワもB級なのだが、沖縄の住み方を心得た身にとっては今や「心地よし」。が、麒麟は、この年にして台湾童貞のぼくには少しばかりきつそうだ。

荷を解いてから、この瞬間を待ってましたとばかり夜食に ありつこうと桂林路から入って華西街を歩く。食事をするなら大通りの反対側、桂林路を挟んで北側の夜店街がいいとは誰も書いていなかったので、最初は桂林 路南側の観光夜市街を散策。噂には聴いていたが、浅草仲見世に類推する人が多いのは当然。有名な「東亜蛇研究所」をはじめ、物売りのエンターテイナーぶりは浅草を凌ぐが、時間と雨のせいか人影もまばら。夜市街を抜けたところの路地はどこも「●●餐廰」のオンパレード。玄関先には年増のレディたちがたむろ、 その光景はコザ・吉原に勝るとも劣らない凄絶さ。たいていの店には奧までつづく細長い廊下があって、その左右にわずか2畳程度の小部屋がぎっしり。はは~ ん、こりゃミニ・キャバレーやピンクサロンだということに気づくのに時間はかからなかった。レディもレディなら客の年齢も高い。客もレディも40代~60代中心。呼び込みらしき男もいるのだが、仲間同士しゃべりほうけていてあまり商売熱心ではなさそう。観光ガイドには「危険だから近寄らないように」と書いてあったが、しつこくつきまとう客引きがいるでもなく、それほど心配はない。ただし、驚くほどの魅力的な異文化体験ではない。こんな街ならどこにでもある。

あまり美味しくはない粥麺屋で軽く食事をとってから華西街北側の夜市の存在に気づく。こちらは胃袋を満足させてくれそうな本格的屋台街だが、もうお腹も満たされて、ただただ歩くだけ。ああもったいないことをした。屋台の裏手にはカラオケ屋が軒を並べる。たぶん女の子がはべるようなカラオケ・スナック。ただし歌声はほとんど聞こえてこない。どの店も閑古鳥か。 が、“はかなさ”では辺野古や金武のほうが数段勝る。沖縄のほうが総じてうらぶれている。たんにしょぼいではすまない“はかなさ”。街並みの味わいも沖縄のほうが上。辺野古や金武は観光客相手に成立する街ではないが、華西街は浅草とか巣鴨のようなところがあって多かれ少なかれ“観光ビジネス”の臭いがつきまとう。文字通り“観光夜市”だ。生活臭があってないような中途半端さが興味をそそらない。

2月23日(水) 中国的公私混同のモニュメント~中正記念堂

総統選挙である。麒麟ホテルの前にも国民党・連戦候補の萬華(ワンホア)地区選挙事務所がある。人々の話題は選挙一色、連候補支持者のビジネスマンが民進党・陳水扁候補支持者のタクシーに乗って大喧嘩という “事件”も珍しくないという。さすが投票率70%を超えるお国柄である。マスコミ報道は選挙一色、候補者名入りの帽子を被る人、候補者名入りの旗を掲げるタクシー、爆竹や花火で景気をつけながらあちこちで開かれる集会。観光客にもその過熱ぶりが伝わってくる。

旧正月の最後を飾るランタン祭りの最中ということで、総督府や中正記念堂付近は美しいランタンでお化粧。それにしても台北の真ん中に鎮座する中正記念堂とはなにか。蒋介石の遺徳を忍ぶモニュメントといっても、本人の遺体は息子の蒋経国ともどもホルマリン漬けのまま中国に埋葬されるのを待っているというではないか。壮大なる公私混同、蒋介石を建国の功労者といえばたしかにその通りかもしれないが、台湾ネイティブの人々にとってはたんなるインベーダーであり、亡くなってしまえば一私人のはず。落書きが絶えないというがまったく当然である。アジア的専制の見本を見たような気がして気分が悪い。

国家というものはある日突然やってくる。19世紀半ばすぎまで中国(清国)領であることも定かとはいえなかった台湾が日清戦争によって日本に併合されたのは1895年。その後、1945年までの半世紀のあいだ大日本帝国の植民地として生きた。日本の敗戦とともに中国(中華民国)に復帰するが、1949年に中国共産党に敗退した国民党が大挙して台湾に流入、台湾省という一地域のまま中国本土奪回を狙う中華民国となった。端的に言えば今度は国民党の植民地になったのである。鄭成功時代を現代の意味での独立国と捉え るにはムリがあるので、台湾が台湾という独立国であったことは歴史上なかったといっていい。台湾に民主主義が定着したのはごく最近のことで、李登輝総統の時代からである。ようやく独立国としての歩みを刻み始めたものの、表だって独立宣言を出すわけにはいかない。台湾は独立したいのだ、いや独立国だという李登輝の本心が外にちょっとでもにじみ出せば、中国のみならず台湾内部の国民党老幹部から猛烈な反発を受ける。香港の一国二制度を参考にしながら併合を進めましょうと中国共産党幹部にいわれても、台湾の人々は納得しないだろう。公私混同のお得意な中国は世界最大といわれる台湾の外貨準備と働き者の台湾の人々を利用するだけ利用して、すっかり食い尽くすにちがいない。まして台湾主導で台中合併をなどというお題目を唱える国民党守旧派の言い分なんて夢物語にもならない。彼らも台湾と台湾の人々を食い尽くしてきた公私混同のクチだからである。もともと福建省や広東省からの移民と少数民族から成り立っている台湾。今や台湾ネイティブが人口の85%以上を占めるから、台湾ネイティブの“公たる存在”としての民主国家が成立してまったくフシギはないのだが、賢人・李登輝 をもってしてもこれを完全には実現できなかった。次の総統こそ台湾独立を勝ち取ってほしいと願うが、利権やらなんやらきな臭い方向に論点がずれると心配に なる。もっとも、人のコトを心配する前に我がコトを心配せよといわれれば黙するほかないが。

運命は数奇である。台湾も沖縄も香港も等しく数奇である。抗しがたい運命の荒波は時として日本をも襲う。みな、国家という人間社会の一部分に引っ張られて数奇な運命をたどる。もっとも数奇でない運命などないのかもしれない。

この日は足裏マッサージ有料体験もあった。はっきりいえば詐欺同然である。あんなものを応援する日本の旅行代理店も詐欺師の片割れだ。「足裏診断」なんてまず90%がまやかしである。同行した学生6名にぼくを加えた7名中4名までが「前立腺異常または睾丸異常」と診断された。確立論からいってもそんなことはありえない。ぼくのことはともかく結婚どころか就職もまだという若き学生に「前立腺異常・睾丸異常」はないだろう。20人~30人もの足裏マッサージ師が、つぎつぎ到着する観光客の足を入れ替わり立ち替わり30分揉むだけで診断を下す光景も異常だ。修行を積んだ足裏マッサージ師がたっぷり時間をかけて診断するわけじゃない。おまけにたいがいのマッサージ師は単語だけの片言日本語で悪い箇所だけをいう。

「いててて、それってどこが悪いの?」
「前立腺・・・」

「うわっ、そ、その痛みはなんなの?」
「ここか?あんたコーガン悪い」

ま、足裏マッサージもエンターテインメントの新種と捉え れば腹を立てることもないのかもしれないが、公定価格700元(2500円)はCD一枚分の値段だ。台湾のブート盤なら4枚は買えるぞ。ひょっとして音楽のほうが癒しの効果が高いんじゃないか。そもそも「足裏マッサージのおかげで台湾人は長寿である」という話は聴いたことがない。

いわゆる全身マッサージ(エステ)はなかなかキモチいいものだが、公定価格120分2000元(7200円)を払う価値があるかどうか。日本で開業する台湾人や中国人のまともなマッサージ師のほうがよっぽどマシである。いずれにせよ自分にあったマッサージ師をさがすことが肝心だが、そのためには膨大な費用と時間がかかりそうだ。“理髪店”という看板を掲げた有名な風俗系マッサージは李登輝総統や陳水扁前台北市長が実施した政策の成果もあるのかほとんど影を潜めて、ホテル従業員などによる闇の売春斡旋にその名残をみるだけである。「理髪店」はもはや過去の遺物になりつつあるようだ。ただし、これは台北だけのことかもしれない。

夜になって林森北路一帯を彷徨った。駐在員が飲み食いする日本人街だというが、日本の地方都市の繁華街や花街に近い雰囲気。台南大胖担仔麺で担仔麺40元などを食す。同行の美食家・東洋大学大学院生・塚本正文君も感激という美味。小汚いが妙に落ち着ける店だ。

それにしてもネオンの大きさは香港と変わらないのに、台北のストリートのほうが「わくわく感」が少ないのはどうしてだろう。あぁもっとわくわくしたい。心はうずうずのままである。

批評.COM  篠原章
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