選挙の背景を読めないジャーナリストの非常識

肥田美佐子さんは『ワーキング・プア―アメリカの下層社会』という新書で評判になったジャー ナリストである。彼女がこの本をモノにすることができたのは『NEWSWEEK』の記者だったからだ。同誌は貧困層について調査し、記事を掲載するのが昔 から得意で、貧困層について貴重なデータをストックしている。そうしたデータのストックにアクセスできる立場にあったから肥田さんは『ワーキング・プア』 を書くことができたのである。なぜこんなことをぼくが知っているかというと、ぼくはかつて『NEWSWEEK』の愛読者で、同誌の掲載するアメリカの貧困 についての記事を80年代からさんざんスクラップしてきたからである。だから『ワーキング・プア』についてもぼくは彼女のオリジナリティをほとんど感じな かった。肥田さんはたんなる特権的なジャーナリストだったにすぎない。

thewallstreetjournal

 その肥田さんは、アメリカの有力紙・WSJ(ウォー ル・ストリート・ジャーナル)の日本版にときどき記事(【肥田美佐子のNYリポート】)を執筆している。12月10日付の記事は『世界が右傾化日本に 「ノー」 総選挙を前に』という刺激的なタイトルだ。ちょっと長くなるが記事を抜粋・再掲する。

 最近、欧米メディアで、「Japan(ジャパン)」 の5文字をたびたび見かけるようになった。通常なら、ツイート・ゼロも珍しくない日本の政治のニュースが、かなり読まれている。報道数も従来より多い。マ イナーなオンラインメディアまでが日本について論じている。なぜか。

 沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)に続き、石原慎 太郎・前東京都知事や橋下徹・大阪市長、安倍晋三・元首相の動向など、ナショナリズムの台頭を懸念してのことだ。日本では、軍事大国化防止と平和推進が務 めであるはずのメディアの中に、彼らを持ち上げ、はやし立てるようなケースも見受けられるが、欧米では、日本社会右傾化の兆しとして警戒されている。

 藤崎一郎駐米大使が首都ワシントンでの講演会で反論 を試みたとされる英誌『エコノミスト』(9月22日号)の特集「アジアは、これら(尖閣諸島)をめぐって本当に戦争に突入するのか――諸島をめぐる争い は、同地域の平和と繁栄への重大な脅威」は、12月7日現在、オンライン上で約200のツイートと4100の「いいね!」、2273件のコメントを集めて いる。

 また、同誌10月6日号の「日本のナショナリズム ――ポピュリスト(大衆迎合主義者)に気をつけろ<迎合するメディアの追い風を受け、一握りの国粋主義者が、日本沿岸を超えて危険な影響を及ぼしうる>」 も、ツイート349、「いいね!」が499という人気ぶりである。コメントも451件と、日本ネタとしては異例の大ヒットだ。

 「ポピュリストに気をつけろ」によれば、敗戦以来、 アジアの平和と繁栄の力強い源泉となってきた日本が、保守派さえも懸念を抱く、石原前都知事の尖閣購入案という右派的ポピュリズムで中国の怒りを買い、か き回されているという。安倍元首相の自民党総裁就任により、そうした極右的見解が、今や国政の本流にまで流れ込む可能性があると指摘する。

(中略)

 米ブルームバーグニュース(11月12日付電子版) も、言い得て妙だ。コラムニスト、ウィリアム・ペセック氏は、個人的見解という但し書きは付いているものの、「右翼日本、19世紀に帰る」と題する記事の 中で、日本の指導者たちは、軍事大国化へと突き進んだ1800年代と決別できないようだと、痛烈に批判する。

 次期首相になるであろう安倍氏と石原氏、橋下氏という三大政治家は、機会があふれているダイナミックなグローバル環境に飛び出していくのではなく、国粋主義の下で、日本の内向き化という誤った方向に進もうとしていると、ペセック氏は残念がる。

 米国人エコノミストなどに取材すると決まって言われ ることの1つに、日本の「内向き志向」があるが、次期国務長官の就任も取りざたされる知日派のハーバード大学のジョセフ・ナイ教授も、『フィナンシャル・ タイムズ』への寄稿「日本のナショナリズムは、弱さの表れ」(11月27日付)で論じている。

 安倍、石原、橋下3氏や日本の世論の右傾化につい て、同教授は、「真の問題は、日本が国際社会で過度に力を示そうとしているのではなく、弱く、内向きになっていることかもしれない」と分析。20年に及ぶ 低成長や財政赤字、米国の大学に留学する日本人が、2000年当時の半分以下に落ち込んだことを挙げながら、「日本は、偉大な力強い国であり続けたいの か。それとも、甘んじて二流の地位へと流されるのか」と、問いかける。

(中略)

 どれも耳に痛い指摘ばかりだが、特に政治家は、警告として肝に銘じるべきだ。ポピュリズムで国民を手なずけようとしても、国際社会の目はシビアである。経済にしても、根拠のない楽観論は、国民の問題認識の目をくもらせ、日本の競争力をそぐだけだ。

 日本からは、「内向きで、どこが悪い。ぜいたくや成 長さえ望まなければ、まだまだ食べていけるのだから、今のままでいいじゃないか。国際社会でのプレゼンス(存在感)を高めて何の得がある?」といった声も 耳にするが、企業、個人を問わず、食うか食われるかのグローバル化時代にそんな悠長なことを言っていては、現状維持もおぼつかない。

(中略)

 「美しい日本」はけっこうだが、「強い」のは、経済と、復興と危機解決に向けた結束力だけでいい。

以上 Wall Street Journal WEB日本版(12月12日)

 「日本の右傾化」が欧米で懸念されていることは知っ ている。たしかにそうした傾向は否定することはできない。安倍自民党総裁や日本維新の会の石原慎太郎さん、橋下徹さんの勇ましい発言が物議を醸してきたか らだ。だが、こと今回の選挙に関していえば、国民が彼らを支持する理由はナショナリズムとは別のところにある。肥田さんが「ポピュリズム」と論難するポイ ントも大幅にずれている。

 今回の記事で、肥田さんがジャーナリストとしてダメ なところは、自民党政権がなぜ選ばれるのかという点についてのきちんとした考察が欠けているところだ。各種世論調査でも「景気後退」が我慢できないところ まで来ているから、自民党が支持されていることは明らかである。領土問題など選挙の争点にはなっていない。「安倍自民党支持=ナショナリズムの台頭」とい うのは完全に短絡である。民主党政権下で弱体化した経済を立て直せるかもしれない、という期待から自民党が支持されているのであって、中国と戦争を始めた いから自民党に投票するのではない。肥田さんが日本の世論調査をろくにチェックしていないことははっきりしている。ぼくは「国際ジャーナリスト」ではない が、選挙に関する原稿を書くときは、世論調査ぐらいはチェックする。それがモノ書きの常識である。

 このように批判すれば、肥田さんは「欧米の識者が日 本の右傾化を懸念していることを報道しているだけだ」と言い訳するだろうが、選挙での争点が領土問題であるかのような誤解が欧米の識者のあいだに蔓延して いるとすれば、それを正すのがマンハッタン在住の日本人ジャーナリストの役割ではないのか? 肥田さんはいかにも自分が経済に強いような雰囲気も醸しだし ているが、景気後退だけではなく消費税増税も選挙の行方を左右していることにも気づいていない。今回の選挙で民主党が支持されていないのは、同党が震災や 原発では「決断力」を発揮できなかったくせに、消費税増税では「決断力」を発揮してしまったからである。増税(と景気)が選挙にとっていかに重要なファク ターであるか、経済に強いジャーナリストを自称するなら洞察できてしかるべきだ。

 肥田さんが自民党復権やポピュリズムを本気で批判し たいなら、消費税増税案に賛成した自民党が「野田は消費税を増税した悪人」というような選挙公報を展開していることを批判すべきだ。幸福実現党のように 「原発推進」といえばまだ潔いのに「原発はダメだけどないと困るんだよなあ…」的な脱原発に寄り添うような姿勢を示している自民党を批判すべきだ。肥田さ んは、要するにポピュリズムのなんたるかも知らなければ、投票行動の背景も分析できないのである。

 しかも、である。肥田さんは「日本からは、“内向き で、どこが悪い。ぜいたくや成長さえ望まなければ、まだまだ食べていけるのだから、今のままでいいじゃないか。国際社会でのプレゼンス(存在感)を高めて 何の得がある?”といった声も耳にするが、企業、個人を問わず、食うか食われるかのグローバル化時代にそんな悠長なことを言っていては、現状維持もおぼつ かない」などと書いているが、そんなことをいったい誰がいっているのか? まさに「食うか食われるかのグローバル化時代」だからこそ、自民党が支持されて いるのである。「経済の弱体化」への懸念が自民党を大勝させようとしているのである。肥田さんは誰に対する批判かもわからないようなテキストを書き、結果 的に自民党の主張をなぞっている。肥田さんのテキストは「自民党政権はダメだ」といいつつ「自民党の主張は正しい」といっているのに等しい。

 ぼくはなにも自民党や「右傾化」を応援しようというのではない。かといって彼らの動きを批判しようとしているのでもない。ジャーナリストなら事実を正しく把握し、きちんと分析した上で報道せよといっているのである。

 こんなジャーナリストが、「日本の良識」のような顔をして、マンハッタンに居座り仕事をしている。ぼくは「日本の右傾化」などよりもそちらのほうがずっと心配だ。

批評.COM  篠原章
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