菊地成孔が怒っている〜音楽と音楽批評


MUSIC MAGAZINE (ミュージックマガジン) 2012年 04月号 [雑誌]

菊地成孔さんが怒っている。『ミュージック・マガジン』4月号の特集が怒りの矛先である。同号でぼくは30年以上付き合いのあった川勝正幸君の追悼記事を書 いたので、奇しくも川勝君が愛してやまなかった菊地さんの特集号に“同居”させてもらったことに因縁を感じていた。送られてきた特集記事を読んで、菊地さんにとっては「ちょっと気に障る特集になったかも」とは思ったが、正直、あまり深くは考えなかった。

が、偶然にも菊地さんのウェブサイトで2012年3月23日付の「ミュージックマガジンから撤退します」(注:現在は削除済み)という日記を発見して驚いた。文章は相変わらずおもしろい。さすが菊地さんだ。思わずふだんはあまり使わない老眼鏡を取り出して、自分でも呆れるほど一生懸命読みこんでしまった。

ぼくは菊地さんの音楽をよく知らない。知らないといっても、DCPRGやソロ作はひと通り聴いている。作品によって好きずきはあるが、日本でもっとも優れたアーティストのひとりだと思っている。本も何冊かもっているが、必要が生じたら読むつもりだったので書棚に入りっぱなしだ。

菊地さんについてとくに語ったことも正面から考えたこともないのは、まず第一に「仕事」として頼まれたことがなかったからである。評論家やライターでも、みな自分の音楽遍歴にしばられている。命と引き替えにしてもいいと思いこめる対象を除いて、「仕事」でなければあまり真剣に取り組むことはない。「評論家がそんなんでいいのか」と詰め寄る人もいるかもしれないが、「そんなんでいいんだ」としかいい様がない。仕事でもないのに全作品を集めて聴きこむことは稀だ。

菊地さんと関わらなかった理由はもうひとつある。自分の縄張りの外にいる人だからである。はっきりいおう。菊地さんは川勝君の縄張りだった。縄張りというと聞こえが悪いからいい直そう。ぼくのフィールドではなくて川勝君のフィールドだったからだ。川勝君とぼくとは仕事の方向も量も全く異なっていたが、意識的無意識的に棲み分けをしていた。お互いのフィールドが重ならないようにしていた。ぼくは、60年代後半〜70年代前半にルーツをもつアーティストを“歴史的に”扱い、川勝君はそれよりも後に活躍するようになったアーティストを“リアルタイムで”追いかけた。例外もあったが、そこは阿吽の呼吸のようなもので線引きをした。

そんなわけで、菊地さんの音楽についてぼくは今でも 積極的に語ろうとは思っていない。おそらく語りきれないだろうとも思う。直観的にいえば、菊地さんは日本でもっともインテリジェントで臭覚・嗅覚の強いアーティストだろう。ただし、これは推測にすぎない。菊地さんの批判の流儀やネットでの批判・中傷の“され方”も含めて、これほど知的かつ感覚的な人は少ないと思う。そこがまたカッコいい。そのカッコよさが批判・中傷の“素”を再生産してしまう。「出る杭は打たれるんだよ」という声も聞こえてくるが、そんなもの、テキトーに無視していればいい。

菊地さんの『ミュージック・マガジン』に対する怒りの理由は四つあるとぼくは思っている。最初の三つは記事の具体的な内容である。以下、『ミュージック・マガジン』の構成に即しながら触れてみたい。

まずはインタビュー。松山晋也さんの手によるものである。「めかくしプレイ」と称して、松山さんがもちこんだ音源を菊地さんに聴かせて、それをきっかけにインタビューを進めている。音源のタイトルや曲名は 菊地さんに知らせないで聴かせるから、「めかくしプレイ」となっているわけだ。この形式での菊地インタビューは二回目だというが、ぼくだったらこんな形式でインタビューをする気にはなれない。ヘタすればちょっとしたテストみたいになってしまうからだ。人を試すのは好きではない。が、それをおもしろがる読者 もいるだろうし、情報が豊かになると喜ぶ読者もいる。その上、菊地さん自身は「めかくしプレイ」について「失礼だ」とはいっていない。この形式でのインタビューを受けた段階でそれなりの覚悟はしていたのだろう。

問題は、松山さんが菊地さんの現在の活動を十分把握していなかった点にあるようだ。たとえば、松山さんが、TBSラジオの人気番組「菊地成孔の粋な夜電波」やDCPRGがその新作でフィーチャーしているSIMI LABというヒップホッパーたちを十分チェックしていなかったことがそれにあたる。

これはインタビュアーとしては耳が痛い。インタ ビュー相手の動向はぼくもチェックはするのだが、行き届かないこともある。だが、相手の活動にとって決定的に重要な事柄を見逃してしまっていたとしたら、それは確かに失礼にあたるだろう。だからといってぼくは松山さんを責める気にはなれない。こうした記事では、やはり松山さんの観る菊地さんが主役にならざるをえないからだ。読者は、松山さんというフィルターを通して菊地さんを知るのである。

松山さんは菊地さんの活動をけっして高く評価していない。かといって低い評価でもない。書き手としてそれはよくわかる。ひょっとしたら、菊地さんの作品や存在感に負けているのかもしれない。松山さんが菊地さんを扱いあぐねているのだ。だが、それも評価のうちである。書き手としては、いたずらに菊地さんを持ち上げるわけにもいかない。たんなる提灯記事になってしまう。松山さんの迷いのようなものは、それはそれで評価であり、表現である。とはいえ、インタビューのタイトル(「DCPRGの新作、そして自らの音楽的背景を、語る、語る、語る」)が謳うような中身にはなっていない。そのことは松山さん自身も記事中で反省している。

同じことは、真保みゆきさんのディスクレビューについてもいえる。真保さんはどうみても菊地さんが好きではない。おそらく胡散臭いアーティストだと思っている。真保さんは正直なのだ。ぎりぎりの表現で、自分の思いが噴出しないように抑えている。菊地さんのアーティストとしての意義を彼女なりに見いだそうと努めている。が、結果的に自分の思いを隠し切れていない。いや、隠そうとすることを諦めているのだ。菊地さんはそんな彼女の姿勢を悪意に満ちていると感じたのだろう。が、それもまた真保みゆきの評価なので ある。菊地さんの自己評価とはけっしてイコールとはならない。たとえ、アーティストに対して失礼であったり不快であったとしても、である。

菊地さんがいちばん怒っているのは松尾史朗さんの新作レビューだ。特集とは別の、ジャズの新盤をレビューするページに載っている。菊地さんは「ウンコされた」とまでいって怒っている。

「重層的な割に薄っぺらな構築物」
「妄想で澱み、濁った音塊」

むむむ。たしかに「ウンコ」の評価である。松尾さんは菊地さんが嫌いなのだ。愛情ゼロ。私怨でもあるのかと勘ぐりたくなるほどのこきおろしぶりである。その割に点数は「6点」(10点満点)。ぼくは問題の新作を聴いていないので、松尾さんのウンコ評価を読んで、すぐにでも聴きたくなった。そういうものなのである。

これだけきつく批判したのだから、『ミュージック・マガジン』編集部と松尾さんとのあいだで何らかのやり取りはあったかもしれない。

たとえば、「松尾さん、これちょっときつすぎないですか」「いやいや、これでもまだ手ぬるいと思ってるんだから」といったようなやり取りである。

だから菊地さんがブログで指摘しているように、「6点」はバランスをとった結果と考えられなくもない。

しかしながら、問題になっているのはやはり松尾さんの文章である。少なくともぼくにはけっして書けない表現ばかりだから、羨ましくさえ思う。

はっきりしているのは、菊地さんと松尾さんとは根本的な音楽観がまったく違うということだ。

誤解をまったくおそれずにいおう。ぼくの拙い情報の範囲でいえば、菊地さんは「言語の音楽化」を図ろうとしているように見える。彼の活動の大半がそのために費やされているというふうにぼくは感じている。自分自身がもっている独自の「言語」を(それは言語以前の言語とでもいうべきものかもしれないが)、音として表現する営為である。その上で、今、新しいエポックが到来しつつあると菊地さんは預言しているのではないか。言語と音楽との対立を止揚(統合)する新しいステージを見据えて活動しているのだ。そういう目で菊地さんの活動を見ると、よくわかる気がしている。

これに対して松尾さんは、おそらく「音楽の言語化」に力を注いできた人だ。音楽批評に関わる人間は多かれ少なかれそういう目的をもっている。音楽は音楽として完全に独立した表現形式であってときに言語とは対立する。が、そのおもしろさ加減やダメさ加減をいかにして言語として表現するか。その限界のなかで文章を書く。さらに、松尾さんは菊地さんが考えるような新しいエポックは信じていない。音楽を言語化するという、一見矛盾した営為のなかに「永遠」があるのであって、言語と音楽の対立を止揚(統合)する段階の到来などありえないと思っている。

おもしろい。実におもしろい。表面的な悪口雑言の応酬をひっぺがしてみれば、菊地さんと松尾さんの「対立」、けっこう根本的な問題なのである。今のぼくにはこれ以上深く関わる余裕も準備もないので、そこが残念だが、ひと言だけいわせてもらえば、新しいエポックの到来そのものがあるかどうかは別として、音楽批評(とくにポピュラー音楽批評)が従来のフォー マットを超える必要はあると思っている。

ある音楽がなぜ人の心に訴えるのか。それを文学や思想をもって語る手法はだんだん通用しなくなっているということなのだ。それはたんに楽理的な文脈や歴史的な文脈の話ではない。さまざまな知の成果を、もっともっとうまく活用しながら、誰にでもわかる言葉で音楽のおもしろさを伝えていく作業が今や本気で求められているということだと思う。

その意味で昨年出版された高護『歌謡曲』(岩波新書)は、音楽批評にとって重要な問題提起なのだが、音楽の聴き手にも音楽に関わる書き手にもその意義が十分理解されていない。いやいや、高さんの宣伝のためにこんなことをいうのではない。ある人がある音楽を批評し、当のアーティストが喜ぶか否かなんてはっきりいって「どうでもいい問題」といいたいのである。

ファンのレベルでいえば、たしかに賞賛の辞はほしい。であるとすれば、賞賛の言葉がちりばめられた紹介文を信じればいい。逆に、「ディスファン」(エネミー)なら、否定的な言辞があふれる紹介文を信じればいい。その選択自身は、聴き手が勝手にやることだ。だが、そうした一喜一憂は、音楽の変化や進化と直接の関係をもたない。「趣味趣味音楽」というレベルを超えることが、本来の批評の役割だと思うのだ。かくいうぼくもまだその域にはまったく達していない。これからの課題である。

菊地さんが怒っている最後のポイントは、『ミュージック・マガジン』が、「菊地成孔特集」を一方で組みつつ、他方で松尾さんのこき下ろし批評を平気で掲載するという編集方針をとったことである。菊地さんにしてみれば、編集部がいかにダメであるかの証になる。

松尾さんの評価を目にすれば、そういいたくなる菊地さんの気持ちもわからないでもないが、高評価と低評価が併存するというのは、菊地成孔というアーティストの大きさを示している。そんなアーティストはそうそういない。

世の音楽誌は「提灯記事」の塊である。『ミュージック・マガジン』も例外ではない。「太鼓持ち的心情」を「愛情」と言い換えようとなんと言い換えようと、これは否定できない。音楽誌が商売である以上、「提灯記事」なくしては成り立たない。多くの場合、あるアーティストを愛する評論家やライターが彼らについて書いている。音楽誌を購うのは基本的に「ファン」であって、「ディスファン」ではない。音楽誌もファンやレコード会社に遠慮して、もうずいぶん前から「ファンジン」と化している。

が、待てよ。「コイツはウンコだ」とたてつきたくなるような大物も滅多にいないが、あるアーティストに対して「ウンコ」という評価があってもまったく異常ではない。いや、むしろそのほうが正常じゃないか。広告をもらった以上、低い評価はけっして出しませんよ、というのでは「カネがすべて」と認めることになる。カネは必要だがすべてじゃない。「音楽ジャーナリズムとして批判をのせるのは当然の責務」などと高尚なことをいってるんじゃない。ある音楽(作品)を肯定する人と否定する人の両方がいるというのは、人間社会としてごくごくノーマルなことじゃないか、といいたいのである。ふたつの相反する評価がひとつの雑誌に併存していることもまたノーマルである。非礼や手続きのミスはあったかもしれないが、『ミュージック・マガジン』4月号はその意味であたりまえのことをやったのである。賛辞と批判の同時掲載。むしろこれは、音楽や音楽批評がもっともっと「進化」するための前提条件なのである(ちなみに同誌には菊地さんに対して肯定的な批評もたくさん載っている)。

菊地さんが『ミュージック・マガジン』から撤退すると宣言するのもまた異常なことではない。怒れるアーティストとしてあたりまえの対抗手段である。それどころか知的な意味でも、またエンターテインメントという意味でも、実に本質的で実におもしろい展開をつくりだしてくれたと思う。なにも、「もっともっと喧嘩せよ」と煽っているのではない。菊地さんも、『ミュージック・マガジン』も、音楽や批評について考える力を失いつつある時代を揺さぶってくれたのだ。

ぼくにとっては久々にスリリングな問題提起だった。こういうやり取りを、音楽誌を通じてもっともっとたくさん読みたい、というぼくの心情はウンコだろうか?

 

あわせてどうぞ
菊地成孔が怒っている appendix 2012年4月9日
川勝君と黄昏れる 2012年2月4日

批評.COM  篠原章
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket