宇多田ヒカル「はっぴいの20世紀・ヒッキーの21世紀」(2001年発表)

『音楽誌が書かないJポップ批評13 浜崎あゆみVS宇多田ヒカル』(2001年6月・宝島社)所収のテキスト「宇多田ヒカル「はっぴいの 20 世紀・ヒッキーの 21 世紀」」をUPします。14年前に書いた原稿ですから「時代臭」がプンプン。現在の篠原のポップス観とも少々異なる部分はあるのですが、原文のまま掲載しました。無断転載はご遠慮ください。

 

ぼくのアメリカは“臭い”から始まっている。1960年代初め、小学生だったぼくは、米軍専用ホテルがあった東京・赤坂を父と歩いていた。華やかな照明に彩られた巨大なお菓子屋を見つけ、店頭のカラフルなチョコやキャラメルを欲しがったが、父はいい顔をしない。それもそのはず、国産品の数倍の値段を付けた外国製の菓子ばかりだった。父は「アメリカ製だから」といった。まだ珍しかったエアコンの効いた店内に流れる無機的な臭いと「アメリカ」という言葉が妙に印象に残った。後になって、そこが米兵向けの“スーパーマーケット” なるものだと知った。

60年代末に初めてアメリカを旅し、田舎町のスーパーに入ったとき、店内には赤坂で知ったあの無機的な臭いがあふれていた。そのとき、あれは塩化ビニルのラップなど食品パッケージに使われる石油化学製品が冷蔵庫やエアコンの臭いと混じり合って発する無機臭だとわかったが、当時の日本の食品店には、まだ肉や魚の生臭さが充満していたので、これぞアメリカの臭いだと確信した。

この臭いは、ぼくにとって経済成長の香りだった。日本人は、憧れの国・アメリカが発するこの無機臭をわがものとするために、勤勉にモノを造り、世界中を歩いて日本製品を売りさばいてきた。

Jポップもアメリカの無機臭を求めながら変転してきた。最初は模倣から始まったが、アメリカ産ポップを日本語で歌ったとたん、アメリカの臭いは吹き飛んで、鰯の臭いがこびりついた日本土着の歌に堕ちてしまう。英語で歌われる曲に日本語をのせるのは思いのほか難しいのだ。そこで、70年代初めのロックバンド・はっぴいえんどは、「日本語をロックにのせる」という目標を掲げてアメリカのロックに挑戦し、歌唱法や音韻解析などの面での試行錯誤を試みた末に、“日本語ロック” を確立することに成功した。アメリカ臭のあるポップをわがものとした瞬間である。以後、音楽市場では日本語ロックが猛烈な勢いで成長し、やがてそれはJポップ本流として認知されるようになった。Jポップは、アメリカに対する “愛と憎しみのせめぎあい” というプロセスを経て、初めて成長することができたのである。

アメリカの無機臭が日本のスーパーでも感じられるようになったのは80年代半ば頃のことだ。日本製品が世界市場を席巻し、危機感を抱いたアメリカが日本製品を市場から閉め出そうとした時期にあたる。日本人のあいだには、憧れのアメリカに追いつき、ついに追い越したのだという自信過剰が生まれ、われわれは裏づけのない地価や株価の上昇に浮かれる毎日を過ごすようになった。バブル時代の到来である。

同時期のJポップの世界では、ルーツにあったアメリカン・ミュージックはほとんど見えなくなり、Jポップは日本生まれの独自のポップであるかのような顔さえし始めた。アメリカなんぞ何するものぞといった傲慢さはポップの世界にまで浸透したのである。

傲れるものは久しからずとはよくいったものだ。90年代に入って、アメリカの力は日本人の想像をはるかに超えていることがわかった。日本がバブルに浮かれているあいだに、アメリカは情報産業を軸に復活し、再び世界に君臨した。一方、バブル崩壊を機に日本は自信を失い、対米敗北感にさいなまれながら、長い不況にあえぐことになった。

この平成不況期のJポップはといえば、メガセールスこそ記録したもののアメリカに対する劣等感を露わにしたドリームズ・カム・トゥルーを始め、アメリカの影をひきずりながらアイデンティティを希求したアーティストが多い。彼らは良心的ではあったが、“アメリカに対する愛と憎しみ” からは自由ではなかった。ドリカムによるアメリカ進出も、対米劣等感の裏返しと見ることができる。Jポップは日本とアメリカの狭間で今にも窒息しそうになった。

そんなとき現れた救世主が宇多田ヒカルである。彼女にとって、日本とアメリカのポップの距離は問題ではなかった。ポップ一般と自分との距離だけが問題だった。“無機臭”への憧れなどほとんどない、アメリカに対する劣等感も優越感もない。彼女にとって日本もアメリカも、自分のポップを構成するためのたんなる素材なのだ。日本からもアメリカからも自由だったからこそ、宇多田ヒカルはそれ以前の誰もがなしえなかった「日本語R&B」の世界を確立し、ポップとしてのアイデンティティを獲得することができたのである。その意味では、70年代のはっぴいえんどのポジションと共通項も多い。

20世紀のJポップは、アメリカへの愛と憎しみなくして生きられなかったということを、ぼくたちは歴史を通じて教わってきた。

そして、今、21世紀のJポップは、もはやアメリカに対する愛と憎しみでは生きられないということを、ぼくたちは宇多田ヒカルを通じて学んでいる。

ぼくたちのJポップはいったいどこまで進化するのだろう。

宇多田ヒカル2nd『Distance』

宇多田ヒカル2nd『Distance』(2001年)

はっぴいえんど『はっぴいえんど』(1970年)

はっぴいえんど『はっぴいえんど』(1970年)

批評.COM  篠原章
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