「関東大震災朝鮮人虐殺事件」の本質から外れた「小池都知事追悼文」騒ぎ

9月1日の震災記念日(関東大震災発生の日)を前に、東京新聞(8月24日付)赤旗(7月28日付)などは、震災直後の混乱時に殺傷された朝鮮人の追悼式典(主催者:9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会—韓国系親北朝鮮組織である日朝協会東京都連合会と日本共産党系の日中友好協会東京都連合会などで構成)に、小池百合子知事が2017年以降追悼文を寄せていないことを報じ、東京新聞は社説(8月27日付)でも「歴史にふたをする行為だ」と批判している。追悼式典は、毎年9月1日に墨田区の都立横綱町公園で開かれているが、2019年には同公園の使用許可をめぐり、東京都が「管理者(東京都慰霊協会)の指示に従う」旨を記載した誓約書提出を求めたため、主催団体とちょっとしたトラブルにもなっていた(2020年に誓約書は不要となる)。

小池都知事が、歴代知事が奉じていた追悼文の送付をは2017年に取りやめたのは、同年3月の定例都議会で、自民党の古賀俊昭都議の質問に対応したものだった。古賀議員は以下のように述べている(一般質問3月2日)。

都立横綱町公園にある朝鮮人慰霊碑(聯合ニュースより)

追悼碑には、誤った策動と流言飛語のため六千余名に上る朝鮮人がとうとい生命を奪われましたと記されています。この碑は、昭和四十八年、共産党の美濃部都知事時代に、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会が建てて、東京都に寄附したものでありますから、現在、碑文については東京都に全責任があります。

本来は、当時、都が受領に際し、六千余名、あるいは流言飛語などの表記、主張に対しては、公的資料などによる根拠を求めるべきでありましたが、何せ共産党を中核とする革新都政でありましたから、相手のいうがままであったと思われます。

私は、小池知事にぜひ目を通してほしい本があります。ノンフィクション作家の工藤美代子さんの「関東大震災 朝鮮人虐殺の真実」であります。工藤さんは、警察、消防、公的機関に保管されている資料を詳細に調べ、震災での死者、行方不明者は二千七百人、そのうち不法行為を働いた朝鮮独立運動家と、彼らに扇動されて追従したために殺害されたと思われる朝鮮人は約八百人、また、過剰防衛により誤って殺害されたと考えられている朝鮮人は二百三十三人だと調べ上げています。

六千余名が根拠が希薄な数であることは、国勢調査からもわかります。日本で初めての国勢調査が、関東大震災の三年前、大正九年に実施されていますが、その中の国籍民籍別人口では、朝鮮人の人口は、埼玉県、千葉県、東京府、神奈川県全てを合わせて三千三百八十五人なのであります。

小池知事は、この質問を受けて調査の上「犠牲者の数には諸説ある」として追悼文の送付を取りやめたようだ。同じ日に同じ横綱町公園の慰霊堂で執り行われている東京都慰霊協会主催の(関東大震災犠牲者のための)大法要には知事の追悼文が寄せられている。それで十分だという判断もあるのだろう。

内閣府が2008(平成20)年3月に公表した報告書『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書』には、学術的成果を踏まえた上で朝鮮人の犠牲者数が考察されている(コラム8)。それによれば、犠牲者数は2600人程度と推定するのがもっとも適切なようだ。今さら正確な数を求めるのは困難だが、ここに記載されている考察を参考にしながら、横綱町公園の朝鮮人犠牲者慰霊碑に説明板を設けるのもひとつの手だろう。横綱町公園には、関東大震災や東京大空襲の犠牲者を慰霊するために東京都が建立した慰霊堂や復興記念館があるのだから、そうした施設で犠牲者数についての資料を閲覧できるようにする方法もある。

失礼を承知で言うと、たかだか慰霊碑の碑文および追悼文送付の問題である。本来揉めるほどの問題でもない。都知事は追悼文を主催団体に送付し、慰霊碑に説明板を設ければいい。ただそれだけの話である。このレベルの議論で、歴史認識云々を問うのも問われるのもたんなる徒労だ。Twitter上には、「#都知事は追悼文出しましょう」「#小池百合子は9月1日に追悼文を送れ」というハッシュタグを付けたTweetが出回っているが、これも実にバカバカしい。いつものことだが、歴史的事件の背景も実態も事後評価もろくに知らぬ連中が「歴史修正主義だ!」「ヘイトスピーチだ!」と空騒ぎしている。

内閣府報告書の第4章「混乱による被害の拡大」(佐藤健二、鈴木淳、武村雅之)は秀逸だった。事件の本質に触れる業績だと思う。これはお奨めである。震災直後の、おもに流言による殺傷が、朝鮮人だけでなく、中国人、日本人の共産主義者・無政府主義者にまで及んだことは良く知られているが、その被害がわかりやすくまとめられているだけでなく、資本主義の急展開に従って膨張する巨大都市・東京の外縁部(当時でいえば東京の東部・東北部や横浜・川崎)に全国各地から集まってきた新住民(都市の最下層民)の疑心暗鬼が、明治維新以来最大の自然災害だった関東大震災に直面して機能不全となった都市インフラや新聞報道を背景に流言飛語にまで発展し、最下層民からさらに格下として差別されていた朝鮮人移民・出稼ぎ労働者の大量殺害事件を引き起こしてしまうプロセスが過不足なく描かれている。

明治後期以降に東京に流入し、経済発展を底辺で支えていた労働者が、同じように底辺に生きる朝鮮人労働者を虐殺するという構図はなんともやりきれないが、従来から東京に住まう市民が多い地区での殺害事件はほとんど起きていない。防災体制を欠いた東京の周縁部で起こった、人権概念や市民概念、都市民としての良識すら乏しかった時代の不幸な事件として「正しく」記憶しておくことが、亡くなった人々に対する最大の供養となる。また、防災体制を日々充実させることこそが、事件の再発を防止することになる。はっきりいって慰霊碑や追悼文なんてどうだっていい。

見当違いの「ハッシュタグ」派の人々にも、無知に甘んじている「朝鮮人虐殺はなかった」派の人々にももううんざりだ。「おまえらみんな東京から出て行け!」といいたい気持ちを我慢するだけで寿命が縮まりそうである。

批評.COM  篠原章
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