ようやく公開される台湾映画『軍中楽園』(2014年)— 従軍慰安婦をめぐる柔らかい視点

台湾の西約260キロ、中国本土(中華人民共和国)の廈門(アモイ)から東に5キロ、いちばん近接した中国領からならわずか2.1キロの位置に、台湾が実効支配する金門島という島があります(下記地図参照・GoogleMAPより)。正確には大金門、小金門、烏坵鄉など大小12の島々からなる金門縣(県)を便宜上「金門島」と総称しています。このように、中国本土に泳いでも渡れそうな近い距離に台湾の支配地域があることを知る日本人は、おそらくあまりいないことでしょう。

1949年、中華民国軍(国民党政府軍=国府軍)は中華人民共和国人民解放軍(=解放軍)との内戦に敗れて台湾に脱出しますが、国府軍は福建省・浙江省沖合にある島々を生命線と位置づけ、解放軍を迎え撃ちました。金門島はその激戦地の一つで、熾烈な戦闘の末に中華民国側が勝利を収め、以後中華民国が実効支配を続けています。金門島での戦闘は1949年以降もつづき、1954年-55年と1958年にも激しい海戦や砲戦が行われました。戦闘は国府軍優勢のうちに終わりましたが、1959年以降も解放軍は廈門から金門島に向けて、週3回(月水金)、威嚇的な砲撃をつづけました。いずれも山岳部を狙ったもので、中華民国側に被害を与えるようなものではありませんでしたが、国府軍側は有事に備えて数万人の兵力を金門島に常駐させ、臨戦体制の構えで臨みました。こうした緊張状態は、1979年1月1日に解放軍の砲撃が止むまでつづき(この日に米中国交が成立)、以後も金門島は、1992年11月7日まで戒厳令下に置かれました。

その後中台融和が進み、今や台湾や中国本土からの観光客が押し寄せ、中台間の出入り口として利用する通過客も溢れかえる金門島ですが、今回紹介する台湾映画『軍中楽園』〈鈕承澤(ニウ・チェンザー、Doze, Niu Chen-Ze)監督作品・2014年制作)は、まだ激しい緊張状態にあった1969年の金門島を舞台とする「問題作」です。日本で今まで公開にいたらなかった事情はよくわかりませんが、素晴らしい作品であるにもかかわらず「従軍慰安婦」を扱った映画であるが故に、なんらかの自主規制でも働いたのでしょうか。今回の配給元の英断には敬意を表したいと思います。

物語は、台湾南部出身の青年ルオ・バオタイが、兵士としてこの島へ着任するところから始まります。当時の台湾には徴兵制が敷かれていました。2015年より廃止されていますが、1949年から2014年までの台湾では、一定期間の兵役義務が科せられていました。バオタイの時代は約2年間の兵役に服することになっていたようです。

バオタイの金門島での配属先は過酷な訓練で知られる通称「海龍蛙兵(フロッグマン部隊)」。いかにも癖の強い直属の上官であるラオジャンにしごかれるバオタイですが、海龍蛙兵の必須条件である水練への不適(つまりカナヅチ)が判明して「831」部隊への転属命令が下されます。「831」部隊への転属の理由は「童貞であること」「プラトニックな関係の恋人がいること」。妙な転属理由だと訝りつつバオタイは新しい配属先を訪れますが、なんとこの「831」とは、事実上軍が設置した娼館(特約茶室または軍中楽園)を管理する部隊だったのです。

特約茶室には、さまざまな過去を持つ慰安婦(待應生)が「配属」されていましたが、慰安婦のキャラクターの描き方は、前々作『モンガに散る』(2012年)娼婦とヤクザの恋を扱った経験のあるニウ・チェンザー監督ならではのもの。この映画のエンターテインメント性を支える、緻密でおおらかな人間描写には感服します。バオタイは、過去に深い傷を負った元人妻の慰安婦ニーニーに惹かれ、上官ラオジャンは小悪魔的な魅力に満ちた若手慰安婦アジャオに惹かれ、この二人の儚くも美しい恋愛譚が交差するかたちでストーリーは展開していきます。

エンターテインメントとしての出来は出色。ハラハラドキドキとお笑いと悲哀が巧みにブレンドされているだけでなく、軍事的な緊張のある1969年という時代的な切り口も映像表現に深みを与えています。街並みや自然を捉えたカットも美しく、配役や演出も見事というほかありませんでした。とくに高橋克実に似たラオジャン役のチェン・ジェンビン。中国の少数民族である回族出身とのことですが、矛盾に満ちた役どころを実に的確に演じきっていました。

きわめてデリケートな慰安婦または特約茶室(慰安所)の描き方も、より正しい歴史認識と抜群のバランス感覚に拠るものでした。実に柔らかく、かつ大きく構えながら問題を提起することに成功しています。

特約茶室の描き方、現地・台湾での反響については、試写会で配布されたプレスリリース収録の野嶋剛『映画「軍中楽園」における「特約茶室」というテーマを我々はどう考えるべきか』という一文に詳述されていますが、この野嶋稿を参考にしながら、以下で私見を整理しておきたいと思います。

「従軍慰安婦」は、わが国ではとても微妙なかたちで問題化されています。とくに日韓関係(さらに日中関係・日朝関係)に大きな影響を与える問題ですが、「ある種歪んだかたちでの問題化」といったほうがより正確かもしれません。

野嶋稿によれば、台湾の特約茶室は、(1)軍人の結婚が制限されていた(2)軍人の給与が低く結婚生活に耐えうるだけの経済的余力がなかったといった背景もあり、1952年の馬祖島での設置を端緒として、1954年には金門島を始め台湾各地の「軍中」に「設置」されたとのこと。文字どおり軍中公娼制度であったわけです。台湾本島では1974年に廃止されたようですが、「国境線」に位置する台湾海峡の離島ではその後も維持され、金門では1990年までこの「制度」はつづきました。最後となった馬祖の特約茶室は1992年に廃止されています。

1992年まで軍関与の慰安所が存在したとはちょっとした驚きですが、野嶋稿によれば、その後「公然たる秘密」だった特約茶室の情報公開が進み、現在その実態はかなり詳しく明らかにされているようです。そうした情報公開を背景に制作された映画であるため、台湾では「特約茶室」というセンシティブな問題を扱った作品であるにもかかわらず、歪んだかたちでの政治的賛否両論が発現しにくくなっているのでしょう。この点は日本と随分違います。

野嶋稿では、ニウ監督の特約茶室の描き方について以下のように述べられています。

軍による管理売春の色彩も濃厚な「特約茶室」について、人権上の搾取とみるのか、それとも時代に翻弄された軍人や女性たちの悲劇とするのかは、その立場によって大きく変わってくる。どちらも間違いではなく、物事のどこに焦点を当てるかの違いにすぎない。映画「軍中楽園」の立場は後者であり、「特約茶室」を戦争が作り出した悲劇の場とみたて、登場人物たちの思うようにならない人生の悲しみを基軸に、生活のなかの喜怒哀楽も含めて、忘れてはならない時代の一コマとして「特約茶室」の日々を描こうとしたのが鈕承澤の態度であった。

個人史的なことで恐縮ですが、「従軍慰安婦」なるものの存在を私に初めて教えてくれたのは、1965年に公開された映画『兵隊やくざ』(増村保造監督作品・勝新太郎・田村高廣出演)でした。公開時ではなく、7〜8年後の1970年代前半にどこかの名画座で観た記憶があります。この作品に出てくる明るく気さくで優しい朝鮮人慰安婦が、私にとっての「慰安婦像」の出発点でした。戦中の中国大陸が舞台でしたが、戦争という、そこに巻き込まれる「個人」にとってはまことに理不尽な時代状況に翻弄されるなかで、たくましく生き延びようとする人びとの息吹が伝わってくる佳作でした。何とも歯がゆいことですが、この手の映画を今の日本で作るのはおそらくきわめて難しいでしょう。

そもそも「戦争反対」を直接テーマにしようとする映画にろくなものはありません。戦争を描くには、事実をひたすら淡々とかつ丁寧に描くか、戦争に媒介されるフィクションとして繊細な人間ドラマを大胆に描き込むか、いずれかの方法論しかないというのが私の持論です。戦争には政治はつきものですが、私の場合、政治的立場から戦争を描いた作品に説得力あるリアリズムや創造性を感じたことがありません。そもそも「戦争反対」というテーマに逆らえる人がいないことを前提に作られたような「戦争反対」映画など、虚空を斬るようなものだと思います。『兵隊やくざ』やこの『軍中楽園』は、そうした「戦争反対」映画の対極にある映画だと思います。

同じような意味で、現代において「慰安婦の悲劇」を「人間の尊厳を無視した性奴隷化であり、許されざる蛮行」として告発し、断罪することが目的の政治的主張は、日本軍やドイツ軍を悪漢に見立てる一方、米軍や中国軍を正義漢に見立てる映画と同様、マーベルあたりが量産するSFコミックと何ら変わりない虚構性を孕んでいます。むしろ歴史を軽視し、慰安婦だった女性たちを頭から否定する行為だと思います。

日本で最初に、自ら従軍慰安婦だったと名乗り出たのは沖縄在住のペ・ポンギさんでした(1975年)。ペ・ポンギさんに関しては2冊の自伝的な書籍が出版されており、ドキュメンタリー映画まで作られています。自伝の著者およびドキュメンタリー映画の監督は、「日本軍国主義に運命を弄ばれた被害者」としてペ・ポンギさんを扱おうとしますが、興味深いことに彼女自身は、そうした「慰安婦像」を拒絶してしまいます。「お国のために慰安婦になった」「お国が勝つことを心から願った」「従軍慰安婦時代は楽しかった」「戦後の沖縄での暮らしのほうが大変だった」「故郷には帰りたいと思わなかった」といった発言が、彼女の口から次から次へと飛び出してくるのです。人の人生は、黒潮に漂う木の葉のように捉え所のないものでもあり、山河を呑みこむほど溶々たるものでもあります。たとえば、「被害者」という政治的言語のなかに彼女の人生を押し込めることは、ときとして真実を覆い隠してしまいます。そのことは肝に銘じておきたいと思います。

だからといって従軍慰安婦を肯定しようというわけではありません。ペ・ポンギさんの場合、軍属にあたる慰安所経営者とその部下である朝鮮人に騙され、渡嘉敷島の慰安所に「配属」されています。現在の基準でいえば、たしかにとんでもない悲劇です。ただ、韓国・忠清南道の貧農の生まれで母の顔も知らず、三度の結婚も貧しさ故に破綻するなど流浪の人生を送っていた彼女が慰安婦という「職業」を強いられた根本的な原因は、「貧困」以外に見あたりません。その貧困につけ込んだ業者、軍部の責任も問われてしかるべきでしょうが、19世紀末まで封建的な諸制度がつづき、農民の大半が農奴のような地位に置かれていた朝鮮半島では、1910年の日本併合後も所得再分配は容易に改善されませんでした。併合後、産業基盤は整備されましたが、その恩恵が下々まで届くにはなお多くの時間を要したのです。併合前10%に満たなかった識字率は併合後10〜20%まで改善したといわれていますが、ペ・ポンギさんの育った食うや食わずの農村部で学校に通える子どもたちは稀で、ペ・ポンギさんも終生日本語はおろかハングルも読み書きできませんでした。貧困と貧困故の無知無学。そうした視点を欠いたまま、慰安婦問題の全責任を特定の組織や人物に負わせようとすれば、歴史を歪めるほかなくなります。

「従軍慰安婦は日本帝国主義に食い物にされた性奴隷である」という主張と同じく、「従軍慰安婦は営利目的の売春婦であり、日本の軍部に責任はない」という主張も、歴史を歪め、慰安婦経験者の人格を貶めるものです。すでに日本政府が責任を繰り返し認め、戦後補償という枠組みのなかで謝意を表明した経緯からもわかるように、従軍慰安婦制度は軍自らが考案したもので、軍の委託を受けた民間業者のなかに、脅しや騙しなどの手口で女性たちを強引に徴用した連中が存在したことも明らかになっています。こうした歴史を否定することはできません。ただ、そこにはさまざまな歴史的条件が折り重なるように帯同しています。貧困が疫病のように蔓延し、(女性の)人権尊重という考え方が欠落した当時の朝鮮社会のあり方も明らかにしなければ、リアルな歴史の全体像を得ることはできません。従軍慰安婦を「たんなる売春婦」と言い切る態度も、「性奴隷化という戦争犯罪」として告発すれば問題は解決すると考える姿勢も、共に「歴史認識の誤謬」を招くだけです。

「従軍慰安婦」問題を取り扱うときには、こうした歴史の全体像を念頭に置き、悲劇を悲劇として片づけるのではなく、その当時の時代状況や社会的経済的条件に十分配慮した姿勢が必要です。その意味で、『軍中楽園』は的確な歴史認識を前提にしながら、激動の時代を生きた一人一人の人間の喜怒哀楽に焦点を当て、時代に翻弄された人間の「ドラマ」を丁寧に描いたという意味で、たんなるエンターテインメントを超え、人間、社会、国家の本質的な部分が透けて見えるような、柔軟で素敵な作品に仕上がっていると思います。

多くの方にぜひ観ていただきたい作品です(5月公開)。

 

批評.COM  篠原章
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