「刷新」の姿勢が求められる「森友書き換え問題」の決着

よほど奇っ怪な政治的な「事件」が起こっても、私自身はあまり動揺しない質だが、今回の財務省財務局による文書書き換え問題には強い衝撃を受けた。「決済済み文書の書き換え」など想像もしないことだったからだ。「お前の想像力の欠如だ」といわれればそれまでだが、ここ1年あまり国会で審議されてきた「森友問題」の審議の材料となった文書自体が、本物の決裁文書とは異なるということになると、国会自体が不正確な情報に翻弄されてきたことになる。文書自体を出し渋るならまだ話はわかるが、まさか役所がこうした過ちを犯すとは考えなかった。

本質的には「役所と役人の失態」だった森友問題だが、さすがに決裁文書の書き換えまでは想定していなかった。「書き換え」が事実と認められた以上、相応の政治責任は免れえない。「書き換え」は役人として絶対にやってはいけないことだから、すでに財務省解体論まで浮上している。非現実的な解体論だが、職員に犠牲者まで出している以上、責任追及は真摯に受けとめるべきだ。

問題は、「政府VS朝日」のレベルをすでに超えてしまっている。官僚レベルでは、人事権を中心に政治主導が強化されている現状に対する不満が非常に強い。政治主導の流れは民主党がつくったが、自公がそれをもっと上手に活用した。森友問題には、政治主導をそのまま受け入れがたい官僚の不満も背景にある。行政内部の問題といえばたしかにそのとおりだが、そこから政治主導の現状を変えようという動きにも火がついてしまった。これによって朝日だけでなくほぼすべてのジャーナリズムが「政治と行政の関係」を疑い、「政治主導体制」を糾弾する報道姿勢をとることになろう。こうした流れに対しては、「否認や回避」の手法では対抗できない。「刷新」という要素がないと火の手は容易に収まらない、というのが率直な実感である。

政府がどのような対応策をとるかまだはっきりしないが、麻生財務相はもうハラを括っているだろう。財務局を監督しきれなかった「政治責任」はあまりに重い。常軌を逸した「忖度」が役所で行われたとすれば、麻生財務相だけでなく内閣全体の責任も徹底的に問われる。すでにあちこちから火の手があがっているが、こうした局面に達すると過去の森友問題に関する政府答弁の多くが「虚偽」の烙印を押されることになるからだ。麻生財務相辞任だけでは与党内も納得しないだろう。次の段階では首相夫人並びに首相本人に対する責任追及が厳しくなる。財務省高官(元高官も含む)が逮捕される可能性も否定できない。自公政権が政権を維持するためには「野田聖子首班」という、これまであまり話題に上らなかった選択肢も浮上してくることだろう。まさに前代未聞の危機だ。

枝野立憲民主党代表の口にした「民主主義を揺るがす問題」にまで発展しないよう、今後の政権運営は、「猛省」、「心機一転」、「盤石」の三つのバランスが取れる態勢で臨むべきだ。このままで行けば「ポスト安倍」を求める動きが「ポスト自公」を求める動きに転換する可能性もある。そのくらい深刻な局面だということだ。外交、安全保障、経済運営に対する影響を最小限に留めつつ、「刷新」する姿勢が強く求められる。

批評.COM  篠原章
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket