「大滝詠一論」連載のお知らせ 〜追弔にかえて〜(更新)

2014年1月1日付告知で、「大滝詠一論」の連載を1月から始めると告知させていただきましたが、まるで師匠のように(笑)、準備が整いませんでした。

手元には400字詰めで約200枚の下書き原稿がありますが、情報の更新並びに推敲が間に合いません。構成も大幅に変える予定です。

そこで「3月21日」連載開始、ということにさせていただきます。

掲載の遅れをお詫び申し上げます。

2014年2月1日
篠原 章

ootakieiichi


2014年1月1日付告知

2013年12月31日、大滝詠一さん逝去の報が伝えられた。

2011年に岩戸佐智夫さんを失い、2012年に川勝正幸君を失い、2013年に大滝詠一さんを失った。恨んではいけないと思っても、神々の非情さが恨めしくなる。

まるで想像もしていなかった。近々ご自宅にうかがって、身辺のことも含めいろいろお話するつもりでいたのだが、延び延びになっていた。いま、それを悔やんでも仕方がない。

たんなる音楽上の師というより、物事を考える上での基本を教えてくれた恩師だった。「考える」ということ自体を教えてくれたといってもいいすぎではない。つまり、「思想の師」だった。もちろん、その音楽にも、生き方の流儀にも大きく影響されたが、大滝さんを亡くすということは、なによりもまず思想の師を亡くすということだ。

だから、いまのぼくは羅針盤もマストも欠いた船のような状態である。

が、新年である。2014年だ。

まる1日大滝さんのことを考えて、「2014年の大滝詠一」というイメージが浮かんだ。ぼくたちのなかでけっして消えることのない「大滝詠一」を、2014年に今一度甦らせる。

そう、そういうことだ、とぼくは合点した。

10年以上にわたって温めていた「大滝詠一論」を、今年、つまり2014年に書き直しながら公表することにした。それはぼくにしかできないものになる。「自信がある」という意味ではない。ぼくの立っている場所からしか見えない大滝詠一がいるということだ。

連載はこのWebで行う予定だ。現段階では月1度、とりあえず6回程度の連載を考えている。初回は1月21日頃を目安にしたい。

「大滝詠一論」がぼくの大滝さんに対する弔いの礼であり、感謝の礼である。

2014年1月1日

批評.COM  篠原章
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