腑に落ちないことばかりの稲嶺名護市長再選 〜「三里塚化」が懸念される辺野古移設問題〜
名護市長選挙(1月19日)の結果が出た。
稲嶺 進 19,839
末松文信 15,684
当選したのは辺野古移設反対派の稲嶺さん。再選である。4,000票の票差はやはり重い。公明党の自主投票、移設容認を掲げた末松候補に関するネガティヴな情報の拡散、共産党活動家・市民運動家など千人規模の稲嶺応援団が全国から名護市に投入されたことなどが功を奏したのだろう。メディアは、名護市民が辺野古移設をめぐる政府の強圧的な姿勢、アメとムチの姿勢にノーを突きつけた、と報じているが、ぼくには腑に落ちないことばかりだ。「稲嶺さんではなく末松さんが当選すればよかった」という単純な話ではない。問題の根っ子は深い。
● 地元・辺野古は移設容認
名護市に属する辺野古区への移設はたしかに「名護市移設」といえるが、辺野古区民の大半は移設受け入れという意思表示をしている。辺野古区はもともと久志村という自治体だったが、1970年に名護町、羽地村、屋我地村、屋部村と合併して名護市の一地域となった。辺野古に滑走路ができれば、久志村側は基地被害を受ける可能性が高いが、名護市中心部のある西側に影響が及ぶことは全くない。現在も西側には基地被害は及んでいないし、米兵を見ることさえ稀である。
もし久志村が今も独立した自治体だったら、辺野古移設を受けいれた可能性は高いが、名護市に属する以上、「移設反対」を掲げて選挙で選ばれた名護市長の判断に従うことになる。この場合は辺野古区の「民意」は尊重されない。国は名護市にとって「強圧的」な存在かもしれないが、名護市は辺野古区に対して「強圧的」な存在となる。人為的につくられた広域的な行政単位が歴史的な行政単位を圧迫することになるが、民主的な手続きを経たのだから、辺野古区や同じく移設受けいれを表明した名護漁協の意思決定に相反するとしても、「辺野古移設を認めない」という稲嶺市長の姿勢には正当性があるとはいえる。
だが、これで普天間基地の辺野古移設が困難になったと考えるのは早計で、名護市が受けいれを認めないとしても、公有水面の埋立は県知事の承認権限の範囲だから、昨年12月末の仲井眞知事の埋立承認は今後も有効である。稲嶺市長は、市が握っている港湾などの管理権を根拠に、辺野古移設工事にはいっさい協力しないと表明しているから、国とのあいだでさまざまな トラブル・軋轢が予想されるが、それでも工事は続行されるだろう。なぜなら、普天間基地の辺野古移設は、日米合意にもとづく決定事項だからである。
● 現実には不可能な県外移設
県外移設が可能ならそれに越したことはないが、県外移設を事実上不可能と日米が判断した現状では、稲嶺さんの一代前の市長や二代前の市長が受けいれた「辺野古移設」以外の選択肢はない。ただし、猪瀬さんの辞任を受けて当選した東京都の新知事など本土の知事のうちの誰かが、「われわれで普天間基地の代替施設を受けいれる」と表明すれば話は別である。だが、その場合も、移設候補となる地域の人びとは当然反対するだろうし、沖縄で辺野古移設反対運動に積極的に関わってきた活動家が、あらたなる移設候補先に移動して引き続き移設反対運動を展開するだろうから、ことは簡単には進まない。むろん、元宜野湾市長の伊波洋一さんや沖縄タイムスの屋良朝博さんなどが主張してきたグアム移設なども“理論的”には選択肢の一つだが、日本地域における米海兵隊のプレゼンスを重視する政治家や官僚は猛反対するだろうから、こうした方向での決着も容易ではない。グアムの人びとの基地負担が増大するという問題も生ずる。上記いずれの場合であっても、国内の合意形成に加えて、米政府・米軍・米海兵隊の意向が最終的には事態を大きく左右するということも認識しておかなければならない。
移設先のオプションをいろいろ考えてみるが、地元(辺野古)が受けいれを表明し、日米両政府が移設先として認めているのは結局辺野古しかない。行政単位の問題で「地元」の範囲が拡大して「名護市」となっていることが、事態を錯綜させているものの、辺野古区という地元が移設を容認しているという事実はあらためて確認しておいたほうがいい。この限りでは辺野古移設は合理的な選択なのである。沖縄県内でもこの事実は必ずしも十分知られていない。
●「アメ」を要求した沖縄の政界と財界
先に先代名護市長、先々代名護市長は移設容認派だった、といったが、一般にはそのこともほとんど忘れ去られている。新たに建設される予定の滑走路の形状がV字型と変則的なのも、移設容認派だった岸本健夫市長・島袋吉和市長との長い折衝の結果である。元市長らのグループが、大浦湾(辺野古)の埋立面積を増やして東開発など地元の建設会社の受注額が増えるよう防衛省側に要請し、苦肉の策として当時の守屋武昌次官が提案したのがV字型滑走路というプランである。その間の生々しいやりとりは守屋さんの『「普天間」 交渉秘録』(新潮社)に詳しい。<政府による「アメとムチ」に翻弄される沖縄>という構図とは、明らかに異なる実態が読み取れる。
「最低でも県外移設」という無責任な鳩山発言が今日の混乱の原因であることはまちがいないが、沖縄政界・沖縄経済界の利権屋的体質が、混乱の土壌として存在することもしっかり認識しておきたい。無理難題を 押しつけてきたのは政府だけではない。沖縄政界・沖縄経済界も政府に無理難題を押しつけ、譲歩という名の振興資金を引き出してきたのである。その事実を知りながら、基地反対運動を展開してきた労働組合運動(=反戦平和運動)も同罪だ。基地反対運動という圧力が、無責任な政府の無責任ぶり(その象徴が鳩山発言だ)を加速してきたのである。沖縄問題の根幹には、政府・沖縄政界・沖縄経済界・労働界(主体は公務員)が一体となって支えている補助金集金システムがある。これに反米・反安保・原理主義な環境保護の勢力も絡むから余計に厄介だ。沖縄県民も米軍基地も安保も人質のような存在だ。
●「お金」の問題は汚らわしくない
ぼくはお金の問題を語ることが「汚らしい」とは思わない。むしろ、お金の問題を語り、議論することで事態を打開する道筋が見えてくると思っている。沖縄の友人たちは「沖縄の金権体質」を取り上げると、嫌な顔をする。一様に「お金が欲しいわけではないし、実際沖縄は潤っていない」という。潤っていないというのは事実だろう。沖縄の所得分配は偏っている。貧富の差が驚くほど大きい。そうだとしても、いやそうだからこそ、お金の問題を正面から見据えることなくして解決の道はない。これまでの振興資金の使途とその効果を検証し、振興資金・補助金のあり方を徹底的に見直す。県民全体の幸福度を高めるのに必要な事業とほんとうにお金を必要とする人たちに、適正な規模と配分方法で資金を配分し直す。そういうことが不可欠だと思っている。もちろんその前提として、欺瞞と策略に満ちた現在の補助金集金システムを「廃棄」することも不可欠の作業だ。そういう議論をまったく伴わない基地問題をめぐる対立はあまりにも不毛だ。
そういう意味で、昨年末の仲井眞知事による埋立承認にはある種の「救い」があった。仲井眞知事は事実上、基地負担と振興資金がリンクしていることを認めたからである。沖縄県民はもとより、ジャーナリズムも国民も、基地負担と振興資金がリンクしていることは知っている。だが、沖縄の政治家は「基地負担と振興資金のリンク」をこれまで認めたことはなかった。「沖縄は金の亡者」と思われたくないということ、リンクを認めれば、政府が「おカネをやったんだから言うことを聞け」という姿勢を強めるのを怖れたこと、 さらに基地のない市町村に資金が行き渡らなくなること、などがその理由だ。今回も仲井眞知事は公式にリンクを認めたわけではないが、歴代のどの知事よりも手厚い振興策・振興資金を安倍首相から引き出したことがよほど嬉しかったのか、仲井眞知事の口からは「いい正月を迎えられる」という失言に近い発言まで飛び出してしまった。事実上、リンクを認めたのも同然である。
仲井眞知事の行動を批判する人たちが多数派だが、お金の問題が重要であることはあらためて確認できた。というより沖縄問題は本質的に経済問題である、ということが図らずも明らかになった。「人びとのこころ」がお金だけで満たされないことなど誰でも知っている。だが、お金がなければ病や傷を治せないことも誰でも知っている。お金で心は買えないが、心を癒すことはできる。お金があれば少なくとも未来に希望は持てる。そういうところから、基地問題を考えないと、ひたすら問題は硬直化するだけだ。まずは認めなければならない。沖縄が未来を描くためにはお金が必要だ、と。補助金頼みの広義の基地経済から、市場経済原理が適正に機能する不公平や差別の少ない経済社会に脱皮するためにも、過去と現状を正面から捉え直し、お金の必要性を認めることから出発すべきだ。昨年末の仲井眞知事の行動や言動は、その意味で、(ご本人の思惑は別として)沖縄と日本が未来を描くための出発点となるものだった。彼自身の政治家としての信義を責めてばかりではけっして前には進めないのであ る。
● やむをえざる選択肢としての日米同盟
ぼくは日米同盟が日本の安全保障の骨格であるという現実を認める立場である。米国の対外政策や軍事戦略には非道なものも多いが、複雑怪奇な国際関係と世界史的な宿命のなかで、日本という国が選ぶことのできる選択肢は多くはない。消去法で考えれば、現時点では日米同盟がいちばんマシな選択肢ではないか、と考えている。
だが、いずれは自立的な安全保障政策を確立せざるをえない。「国家が消滅する」というのは今の段階ではウソである。EUですら、EEC、ECSCが生まれた1950年代から60年かかっても関税と通貨などを統一し、ヒト・モノ・カネの国境間移動を容易にしただけで、今なお税制も各国独自の体系を備えているし、安保や軍事に対する思想は国によってまるで異なる。最大の安全保障は各国経済と国家間経済関係の安定だが、誰かが得すれば誰かが損をするという構造はそう簡単には変えられない。
誰もが損しない経済というのはありえない。あるとすれば理論の上だけである。所得分配ですら偏りを完全に補整することは不可能だ。残念ながら、自分の身を削っても他人を利することのできる人は多数派ではない。ある国・ある地域でそれが可能になったとしても、他の国・他の地域でそれが可能にならなければ「平等」とはいえない。グローバリズムとは、世界のどこかにいる誰かの犠牲の上にぼくたちの繁栄や平和が築かれていることも意味する。そうした犠牲を極小にすることが理想だとしても、自分たちの手の届かない国家や特定の集団の思惑や行動を制御することは難しい。争いは必然であり、不当な差別や痛ましい虐殺も横行している。同盟国でも利害の対立が避けられないこともある。平和を維持するために武力を行使する必要性も生ずる。だからといって、軍事力優先、軍人優先の社会構成は回避しなければならない。
以上のようなさまざまな要素を念頭に、日本という国に拘る安全保障を考えれば、「日米同盟」という選択肢に至らざるをえないということだ。日米同盟に起因する負担やリスクや悲劇も自分たちで引き受けざるをえない。
ぼくは日米同盟はやむをえざる選択肢と考えているが、沖縄には「なぜ沖縄だけが日米同盟に伴う基地負担に苦しまなければならないのか」と真剣に考えている善意の人びともたくさんいる。実際には東京や神奈川にも基地はあり、自衛隊と米軍の共用基地のことまで考えれば、本土にも基地負担に苦しむ地域はある。歴史的な条件が沖縄と本土ではまるで違う、という主張にも一理あるが、非情にも時計の針を戻すことはできない。いまできることを考えるほかないということだ。普天間基地が本土に移設できるならそれに越したことはないが、それができないから問題は膠着してしまったのである。あまりいいたくはないが、「歴史」のことをいうなら、名護市には辺野古を一旦受けいれたという経緯もある。「受けいれは強要されたものだ」という反論もあるだろうが、過去の経緯を詳細に見れば、そうとはいえない。先に触れたように政府も沖縄県も名護市も、この問題については共犯者だ。いちばん割を食っているのは宜野湾市民である。
●「夢物語」を語って当選した稲嶺市長
名護市民が、辺野古容認派の副市長だった末松候補に投票しなかった背景には、「末松さんは巨額の振興資金を獲得してきたかもしれないが、市民生活は一向に変わらなかったではないか」という思いがある、と聞いた。「市民生活を豊かにしない振興資金はもういらない。その代わり辺野古移設も止めてくれ」ということだ。たしかにそれは一理ある。
移設容認派の岸本元市長も、島袋元市長も、公共事業中心の予算配分に力を注いできた。公共住宅も建設したが、地域経済という観点からいえばいわゆるハコモノ中心で、産業振興に長期的に資するようなアイデアやプログラムに乏しかったことは事実だろう。そのことはなにも名護市に限ったことではない、まさに全国レベルの問題だから岸本さんや島袋さんだけを責められないが、稲嶺市長支持派の平良朝敬・かりゆしグループCEOのような経済人が指摘するように、稲嶺市長が公共事業より市民生活の充実に力を入れていたことは名護市の予算・決算からも読み取れる。
歳入歳出を詳細に分析しなければほんとうのところは わからないが、保育所待機児童を減らすなど目に見えやすいところで民生に力を入れたことも間違いないだろう。それが一部の市民の支持を受けたことも容易に想像できる。「稲嶺は一般市民や弱者の味方・末松は建設業者や強者の味方」といったような口コミが名護市内に溢れたのも、故のないことではないのかもしれない。
が、国が名護市に対する財政的な締め付けを強化したといわれている稲嶺市政下にあっても、国や県などへの依存財源は増加し、市税収入など自主財源比率は低下しているのである(名護市財政状況 http://www.city.nago.okinawa.jp/4/3734.htmlによる)。
先の平良朝敏さんは、「基地返還で雇用は20倍以上に増大する」といった夢物語を語り、基地の存在がいかに経済発展の足枷となっているかを力説しながら稲嶺支持を訴えたが、はっきりいえばそれも出鱈目である(NET IB NEWS http://www.data-max.co.jp/2014/01/16/ceo_2_ymh_02.html)。 「基地跡地に1000室級ホテルを仮に10棟立てれば2万人の雇用を生む」などという話を名だたる沖縄の経済人が本気で信じているとすれば、失礼ながら神経を疑う。辺野古に空港ができるか、那覇空港から名護まで高速鉄道を直結させない限り、名護はその観光資源を今以上に生かすことはできない。結局は環境破壊的なインフラ頼みになってしまうのである。沖縄が、本土のみならずハワイや東アジア・東南アジアの観光地と競合することも忘れている。ふざけているな、 と思う。
だが、誰しも、宝くじに託す夢のような話には弱い。「辺野古移設反対派の稲嶺さんが市長に再選されれば名護市民のくらしはもっと豊かになる」というような口コミは、精査すれば正しくないとわかるが、多くの人たちはそれを信じてしまう。
だからといって末松候補が当選すれば名護の未来は明るいと考えているわけではない。だが、少なくとも事態は動いた。事態が動けば、基地反対運動も現在より質が高く建設的な運動を展開することができると思うのだが(これについては別稿を立てる)、 名護市民は事態が錯綜する方向を選んでしまった。仲井眞知事の行動で、仕切り直せるかに見えた沖縄問題だが、稲嶺市長の再選で再びブラックボックスのなかに引き戻されてしまうのではないか。名護や辺野古は三里塚のようになってしまうのではないか。三里塚では、特定の党派以外、誰も得をしなかった。残されたのは悲しみだけである。ぼくはそのことを深く懸念している。