孔子廟違憲訴訟は那覇市の全面敗訴—忖度行政のツケは誰が払うのか
孔子廟違憲裁判は那覇市の全面敗訴
2月24日、最高裁大法廷は、公有地(国から譲渡された私有地と国有地が混在)を久米崇聖会に無償で貸し付けた那覇市の行政行為を、政教分離の原則に反するものと認め、「違憲」と判断した。大法廷は、孔子の霊を迎える年に1度の釈奠祭礼(他地域では別称「孔子祭り」を使用することが多い)は宗教的意義を持ち、那覇市と崇聖会による「孔子廟は歴史文化施設」という主張を排し、市が使用料を免除したのは「宗教的活動」に当たると判断した。使用料については、市の裁量権(金額決定権)を認めるべきだとした二審・福岡高裁那覇支部判決を破棄、規定の全額を徴収すべきだとした一審・那覇地裁判決を確定させた。
使用料の全額徴収という決定も含め、原告・金城テルさんの全面勝訴である。被告の那覇市にとっては、予想以上に厳しい判決だったといえる。これについては批評ドットコムで再三取り上げてきたので過去記事を探って欲しいが、関係者は今回の判決をしっかり受けとめ猛省して欲しい。
ことの本質は行政機関の過失
この判決は、今後「政教分離の原則」を扱う際の重要な判例となるものだ。しかしながら、注目すべきは、那覇市による無償貸与の意思決定、それと間接的に関わる沖縄県や国の出先機関である沖縄総合事務局の行政行為も含め、沖縄の行政機関が、いかに安直な見通しと「なあなあ」な意思決定に依存した行政を行っているかを示す事例として重く受けとめ、再発を防止するような手立てを講じなければならない。
実のところ、今回認定されたような違憲状態を未然に防ぐ手立てはいくらでもあった。那覇市は崇聖会への土地の無償貸与の違憲性も認識していたし、それを回避するための手段も検討した形跡がある。にもかかわらず、沖縄の首長と行政機関は憲法・法令・社会規範を無視・軽視した行政行為を、市民・国民・県民に許してもらえるものと判断し、違法な決定をしてしまった。チェックを怠った議会の責任も大きい。ことの本質は「ナニモノかに忖度した、ダラダラ・なあなあ行政機関の過失」である。簡単にいえば、沖縄で半ば黙認されてきた「忖度行政」あるいは「行政の緩さ」のツケが回ってきたといえる。行政のこのようないい加減さが違憲状態を招来したと断定してもよい。今回は金城テルさんの勇気によって違憲・違法が確認されたから良いようなものの、隠された失政のツケは他にいくらでもあるはずだ。
違憲判決でも賃料を請求できない那覇市
実はこれで問題が終わったわけではない。最高裁判決に従えば、那覇市は久米崇聖会に対して所定の賃料を請求しなければならない。ところが、那覇孔子廟のある松山公園の敷地は、国から那覇市が譲渡された土地と国有地から成り、国との契約で第三者に賃料を得て貸し出すことはできないことになっている。つまり那覇市は久米崇聖会に無償で貸さないと契約違反・法令違反になる。那覇市はいったいどう対応するつもりなのか? 久米崇聖会への無償貸付は憲法違反だが、有償貸付は契約違反。那覇市の担当者・顧問弁護士はさぞかし困っていることだろうし、対応によっては、財政措置を積み増ししなければならないケースもある(たとえば国有地の買い取り、国との契約変更に伴う経費など)。久米崇聖会も資金調達に追われ、組織改革を迫られるだろう。
今回の敗訴は那覇市の「忖度行政」の証明
そもそもこの話は、貸付当時の市長だった故・翁長雄志氏の置き土産である。知事だった仲井眞弘多氏と翁長氏自身が有力会員だった崇聖会に対して、行政機関としての那覇市に「忖度」させるような措置「久米崇聖会への公有地の無償貸付」を求めたのが出発点だ。問題の土地の推定時価は約8億円(1334平米/那覇市久米の実勢地価は1平米60万円)である。「政治家・行政の癒着」「公有財産の不正な運用」という点では、けっして無視できない規模だ。
那覇市の担当者は有償での貸付も検討したが、「無償でOK」という選択ができたのは、国との契約があったからだ。違憲の疑いが出ても「孔子廟は歴史文化遺産」で切り抜けられると読んでいたフシもある。「すべて合法」と確信したのだろう。だが、一連の行政行為の前提が、「崇聖会への忖度」であったことを忘れてはならない。翁長氏あるいは仲井眞氏がいなければ、あるいは翁長氏の指示がなければ、そもそもこのような危ない橋を渡らなくて済んだはずだが、沖縄では「この程度の忖度(8億円の忖度)」なら問題にする人もいないだろうという安心感もあったと思う。
実は当初、若狭(波之上神社の隣)にある崇聖会の土地(旧至聖廟)と松山公園の土地とを交換する(換地する)案もあった。那覇市は最終的に換地案を止め、無償貸与に踏み切ったが、崇聖会にとって換地案より無償貸付のほうがはるかに旨味があったことは明白である。もともと持っていた資産(若狭の土地)を温存しながら、あらたな敷地(松山公園)を無償で得ることができるからだ。簡単にいえば崇聖会が利用できる資産は倍増したことになる。無償貸付は合法だし、崇聖会はホクホク、という願ってもない解決策だ。が、市民・国民の財産を利用しながら行政が政治家や特定団体に媚びへつらっているという構図は、やはり「不正」以外のナニモノでもない。
金城テルさんの「眼力」と徳永弁護士の「裁判力」
だが、崇聖会への歪んだ忖度は一市民によって見破られてしまった。保守活動家として長いこと行政の過誤を地道に訴えてきた金城テルさんの眼力は鋭く、2013年にこの件での訴訟を起こした。「大江・岩波裁判」で知られる大阪の徳永信一弁護士が引き受け、「孔子廟への公有地の無償貸付は違憲である」との立場を十分に補強しながら裁判を闘ってきた。最高裁は、金城テルさんと徳永弁護士の主張をほぼ全面的に認める判決を下した。もし今回の住民訴訟がなければ、那覇市の崇聖会に対する忖度・優遇措置はけっして明るみに出なかったろう。
那覇市の行政行為は、崇聖会に対する合法的な優遇措置、つまり忖度だったが、最高裁による憲法違反の認定によって那覇市は崇聖会から賃料を徴収しなければならない。が、それは国との契約に違反することになる。そうなれば今後国が那覇市を訴える可能性は高い。
問題の背景にある「格差社会・沖縄」
沖縄県の不公平な所得分配・貧困の要因の一つは、行政のメカニズムを巧みに利用してロハで利得を得ることができる人たちと、行政・司法の網の目から漏れて生存最低限度の暮らしを強いられる人びととの「格差」である。
城間幹子那覇市長と翁長氏の正統的な後継者である玉城デニー知事は、孔子廟を巡る一連の不正(不適切な行政行為)を我がことと受けとめ、身を律して行政に臨むべきだ。時として「封建的遺制」とでもいいたくなるような、時代遅れの行政が罷り通っているのが現状である。国の出先機関である沖縄総合事務局も、こうした封建的「遺制」を認識しながら放置してきた疑いがある。
「忖度行政」を正せないなら振興策は中止せよ
忖度によるこうした不正行為のツケを払うのは最後は市民・県民・国民である。すべての行政行為はわれわれの税金が原資だ。政治家や役人の姿勢が正されなければ、再び同じことが起こり、またもや市民・県民・国民にツケが回ってくる。2022年から始まる沖縄振興策の際しては、行政のこうした姿勢を刷新するような仕掛けが求められる。そうした仕掛けが作れないなら、振興策などとっとと止めてしまったほうが国民のためだ。
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