MMTに関するメモ
MMT;現代経済学に突きつけられた刃
最初にいっておきますが、MMTは現代経済学に対する刃のような新しい政治経済学の提唱だというのが、ぼくの認識です。貨幣論のもっとも脆弱な部分を突いて、大きな問題提起に至った理論だと思います。したがって、MMTからは実にさまざまな示唆を受けましたが、以下で書いたような理由から、ぼく自身はMMT論者に「転進」はできませんでした。
貨幣とは銀行預金である
貨幣には、むかしから「交換手段としての役割」「価値表示手段としての役割」「富の貯蔵手段としての役割」といったように、さまざまな役割が与えられてきたのですが、MMTは、現実を見るかぎりそうした機能は副次的なもので、貨幣の真の機能は信用創造そのもの、信用システムそのものだという前提で議論を組み立てています。貸借対照表の貸方と借方を金融経済全体にリンクづけるという試みで、会計学的な理念を土台に『資本論』を記したマルクスの試みにも似ています。簡単にいえば、「貨幣とは銀行預金である」という立論ですね。
で、銀行預金は何によって生みだされるかというと、政府による借金によって生みだされるというのがMMTの考え方です。なぜかというと、国債を買うのは銀行ですが、銀行は貨幣と引き換えに国債を買うのではなく、貨幣と引き換えに国債という資産を得ている。新しい資産を得た銀行は、その資産をもとに企業に貸し出しを行う。貸し出された貨幣は経済全体を潤すから、経済成長に寄与するというわけです。政府は借り換えを繰り返すことによって、あるいは紙幣を印刷することによって借金を返せるのだから、一国の経済の供給力を借金が上回らないかぎり、問題なく借金を続けられるというロジックです。
「課税」によって生まれる貨幣需要
MMT論者はさらに、貨幣の正統性・有用性を保証するのが政府による課税だともいう。つまり、人々は税金を払うために貨幣を必要とする。それが最大の目的だという。その貨幣を供給するのが政府による国債の発行である、と彼らは考える。国債は発行されると銀行の預金(貸方)になる(信用創造)。銀行の預金は企業に貸し出されて企業の預金(借方)になる。企業がその預金を給料などの支払いに充てると社員の預金になる。社員の預金は市場で支出に用いられて、他の企業の預金になる。企業は市場取引で形成された預金に加えて、政府が発行する国債によって発生した預金を保有する。企業と個人が、そうして得た預金の一部を納税に使うことによって、政府はあらたな資金を得る。しかし、それでは足らないので、国債発行というかたちで借金をするが、その借金はいずれ国民の懐に入っていくのだから問題ない、という。こうして貨幣経済は回っていくというのがMMTの世界観なのです。ただし、そのための条件がふたつあります。(1)貨幣の発行権を政府が保有していること、(2)国債を外国政府が保有しないことのふたつです。
さらに、政府は際限なく国債を発行できるわけではなく、一国の経済の供給能力を超えて発行することはできないできない、ともいいます。政府による借金は貨幣の創造であって、日本政府はその点を理解しながら、現実にはそうした政策を実施しないからデフレが進行し、どんどんGDPが縮小していくのだ、という理屈で、MMT論者は政府と日本銀行を批判しています。
MMTが「信用創造=貨幣」としている点、「政府による課税と貨幣との関係」を理念的に明確にした点は、実は経済学のなかでも以前から再三指摘されてきたのですが、MMTほどこれらを重視してきませんでした。ぼくもこれまでの議論では不十分だと思っていたので、MMTはやはり重要な問題提起をしたと思っています。
MMTへの疑問
ただし、今のところいくつか大きな問題がクリアできていないと思っています。
中野さんのMMTの説明によれば、貨幣はまず政府の存在が前提です。政府が存在して課税権と通貨発行権を行使しなければ貨幣にはなんの意味もないことになるからです。その点からいえば、MMTはビットコインなどのブロックチェーンを使った分散型電子通貨とは対立する存在です。ブロックチェーン通貨は政府や中央銀行の存在を必要としないからです。というかブロックチェーン通貨は政府や中央銀行をむしろ否定するような金融手段ですからね。
中国政府がブロックチェーン通貨を規制しようとしているのは、政府の力の及ばない経済が形成される恐れがあるからです。各国政府はいまのところ中国での規制を様子見している段階ですが、MMTの理屈から言えば、政府の統制の及ばない危険な金融手段になるので、他国も中国政府に倣う可能性は強いと思います。ブロックチェーン通貨に政府がなんらかのかたちで関与できるポイントを見つければ、ブロックチェーン通貨も公的に認められるでしょうが、現状では、ブロックチェーン通貨が金融政策の主流になることはないとぼくは思います。政府が納税手段としてブロックチェーン通貨を認めるにしても、ブロックチェーン通貨の可能性・汎用性は大幅に縮小されたかたちになると思います。
「小さな政府」論は無意味?
これに関連することですが、MMTの世界では「小さな政府論」はまったく無意味になります。むしろ政府は大きければ大きいほどいい、という考え方が普及する契機になると思います。が、MMTは、社会保障の拡大やベーシックインカムの導入のために国債発行せよといっているのではなく、「教育研究投資を含む公共事業の拡大」(つまり一国の供給力を増す事業)に政府資金を投入せよといっているので、バラマキ行政を肯定しているとはいえません。もっとも、公共事業の範囲が必ずしも明確ではないので、政治家や官僚によって「政府のやることはすべて公共事業」と拡大解釈される可能性もあり、沖縄振興策のような無定見な政策も拡充される結果を招くと思います。この点について、MMT論者から納得できる説明はありません。
不明確な国際貿易体制に対する評価
また、MMT論者は、グローバル経済の元でのサプライチェーンの国際化には否定的で、TPPのような制度や経済の国際化のための制度には反対しています。各国の通貨発行権を認めないEUにも否定的です。各国は内需拡大を中心とした経済成長に努めるべきで、外需依存型経済はもう時代遅れだというのが、彼らの主張です。経済のグローバル化は戦争をあおり国際社会を緊張させるだけだともいっています。その意味では、イギリスのEU離脱は正しい選択で、「合理的なナショナリズム」にあわせた経済体制の構築こそいまやもっとも必要なことだというわけです。MMTは必ずしも国際貿易を否定はしていないので、経済グローバリズムと経済ナショナリズムのバランスを考え直せ、ということだと思いますが、ではそのバランスは誰がどのように決めるのかについてははっきりしてきません。彼らは「経済に関する国境の壁をもっと高くせよ」というわけですが、どの程度の高さにすればいいのかも説明していません。
はっきりしない「一国の供給能力」
さらに、「超過需要が発生しない需要一国の供給力」がいかに形成されるのか、つまり企業の投資に関する意思決定とMMTとの関係がいまひとつわかりません。政府は国債発行によって国民経済の需要を高めることになりますが、供給力がそれに見合わなければやはりインフレは起こります。どの程度のインフレなら許容できるのか、インフレが発生した場合、それに合わせて供給力を高めればいいわけですが、人々が何を欲し、何を買うのかという需要の心理的な側面とそれに対応した供給力の形成がどのような関係で推移するのかやはり不明です。簡単にいえば、「欲しいものが大してないのにお金を貰ってどうすりゃいいの」というのがぼくの疑問です。MMT側からすれば、教育投資、研究開発投資によって供給力を増大し、膨らんだ需要に応えられるような経済を創れという理屈になるのだと想像していますが、海外需要を掘り起こすことと国内需要をコントロールすることとの関係性も不明です。
あの無駄な補助金も肯定される?
沖縄振興策の実態を解明するとはっきりしますが、たとえば「那覇空港のハブ化」はもっぱら外国の需要に見合う財サービスを沖縄側が提供できないことから、思ったように進んでいません。「那覇空港のハブ化」は、はっきりいえば補助金がなければ成り立たない事業です。経済成長にはまったく寄与していないのです。MMTの立場からは、これらの外需に依存している無駄な事業はやめるべきだという結論もあり得ますが、公共事業の拡大という観点からは残すべきだという結論もありえます。いや、もっともっと無駄な事業を起こせという結論さえ導かれる可能性があります。とはいえ、無駄な事業を繰り返していけば、沖縄の民間経済は公共経済におんぶされているのがあたりまえという風潮が生まれ(すでにそういう状態ですが)、供給力のアップ(自律的な経済成長)にはつながらないと思います。MMT論者は、まずは沖縄県内の内需を喚起して、それに見合う供給力を身につけよ、というつもりなのかもしれませんが、そんなことで実質的な経済成長は生まれないと思います。この点はいったいどう考えればいいのでしょう。さらなる教育投資をすること、研究開発費を増額することの趣旨はよくわかるのですが、内容が伴わない投資も認めるべきなのか、投資の内容あるいは質の評価は誰がどうすればいいのかなど、わからないことはいまだにたくさんあります。
MMTは現実的か?それとも理想的か?
現段階でのぼくのMMT観はざっとこんなところです。まだ不案内な部分も多いので、引き続き勉強しようとは思いますが、あまり期待はしないでください。
MMT論者は自分たちの理論は現実に即したものだと主張するのですが、政治家の存在やビューロクラシー(官僚制)の硬直化の問題はいずれにせよ避けて通ることはできず、たとえMMTがどんなに魅力的な政策を掲げたとしても、それが現実にうまく機能するかどうかは別問題だと思うのです。民主主義(あるいは経済民主主義)の理想と現実という問題の壁は、そう簡単にクリアできないでしょう。
ただ、MMT論者のうち中野剛志氏は、MMTを考察するにあたって高度に地政学的な分析を加えていました。日米同盟のあり方をMMTから見直すっていう発想ですが、これはきわめて斬新と思いました。
理想的な経済社会はAIの進化によって訪れるという考え方がありますが、この考え方はMMTに親和的だと思います。やり方によってはベーシックインカム論もこれに取り込めるのではないでしょうか。なぜならMMTの考え方自体が、独自の合理主義・機能主義にもとづいているからです。しかしながら、MMTが「大きな政府」「(時として排他的な)経済ナショナリズム」につながりかねないという危惧は依然として強いと思います。「大きな政府」を理論的に肯定することで、理論家たちの想像を超える規模の政府が現出し、財政経済は崩壊の危機に瀕する、という事態をぼくはいちばんおそれています。民間経済を支えてきた自立または自律への指向性も削がれてしまうと思います。
なお、ネット上でいちばんわかりやすくかつ包括的な説明をしているのが、日本のMMT論者の代表格である中野剛志さんの『ダイヤモンド』でのインタビュー記事です。かなり長いけれど、MMTを理解するには便利な記事だと思います。ご参考まで。