「自公vsオール沖縄」では捉えきれない那覇市長選の勝ち負け

自公新人が勝利した那覇市長選

10月23日に投開票された那覇市長選で、自民・公明が支援する前副市長の新人・知念覚(ちねん・さとる)氏(59)が、オール沖縄の支援する前県会議員の新人・翁長雄治(おながら・たけはる)氏(35)を下して当選した。

当選 知念 覚(自公支援)   64,165票(得票率54.2%)
   翁長雄治(オール沖縄支援)54,125票(同 上45.8%)
                   ※投票率は47.04%

結果的に1万票の大差でオール沖縄候補が敗北したことになるが、一部には「これでオール沖縄は終わった」との拙速な評価をする人もあるようだ。

40日ほど前の9月11日に行われた沖縄県知事選では、現職の玉城デニー候補が新人で元宜野湾市長の佐喜眞淳氏を下しているが、この時の那覇市における投票動向を見ると以下の通りだった。

当選 玉城デニー(オール沖縄支援)72,688票(得票率 53.3%)
佐喜真 淳(自公支援)   47,925票(同 上 35.1%)
下地 幹郎(無所属)    15,775票(同 上 11.6%)
※投票率(那覇市)は54.0%

オール沖縄票は知事選時の約7万3千票から、市長選時の5万4千票まで、約2万票減っているように見えるが、この2万票にあまり意味はない。第一に投票率が異なる。市長選は約47%、県知事選は54%だ。有権者数は25万人を越えるので、7%の差は1万7千票以上に達する。第二に、それぞれの有権者の投票の動機も一様ではない。国政では自民党に投票する人が、知事選に限って玉城デニー氏に投票するケースもあれば、国政や県政の選挙ではオール沖縄候補に投票する人が、市長選に限って知念覚氏に投票するケースもある。「オール沖縄票が減った。オール沖縄はもう終わりだ」という単純な話ではない。

沖縄政界のサラブレッド・翁長雄治氏

では、翁長候補の敗因は何か。1987年生まれの雄治氏は、元市長・前県知事でオール沖縄の「創設者」ともいえる故・翁長雄志氏の次男で、父君・雄志氏が知事在職中の2017年に那覇市議選に立候補し、全候補者中第2位の得票で初当選した。2018年に雄志氏は逝去するが、その2年後の2020年に行われた沖縄県議選(那覇市・南部離島選挙区)に、市議の職を辞して臨み、1万8千票を集めてトップ当選を果たしている。雄志氏の逝去後は、「オール沖縄期待のホープ」と目されていたから、今回の市長選出馬も意外ではなかった。ある程度年輩の市民なら誰しも、「雄志氏と同じ道を歩むつもりだな」と了解したと思う。

ただ、政治家としての出世のスピードは父・雄志氏を上回っていた。雄志氏が市議に当選したのは35歳の時。その後市議2期、県議2期を務めた後、50歳で那覇市長選に立候補して初当選したが、雄治氏は30歳で市議、33歳で県議、35歳で市長選候補となっている。年齢もさることながら、市議も県議も任期を全うすることなく、次のステップに進んでいる。祖父・助静氏も現在の那覇市の前身の一つである真和志市の市長を務めていたから、雄治氏を「沖縄政界のサラブレッド」と見なして周囲が期待するのはわかるが、一部の那覇市民には、これが「お坊っちゃまに対する甘やかし」に見えたという。現に翁長家代々の支持者のあいだにも、「行政力や政治力を身に付けるよりも前に、位だけ上がっていくのは危険だ」とする批判や「ちょっと早すぎる」という不安があったという。血統重視の候補選びが、雄治氏の弱点または敗因の一つとなったことは否めないだろう。

翁長雄志氏が育て上げた能吏・知念覚氏

雄治氏にとって第二の敗因は、翁長市政あるいは城間市政の有力後継者のひとりだった能吏・知念覚氏と戦ってしまったことである。知念氏は、沖縄のエリート校である首里高校を卒業後、私立の沖縄大学に進んだ。沖縄大学は自由な学風で知られるが、けっしてエリート大学ではない。沖縄には、「琉球大学>沖縄国際大学>沖縄大学」という序列があるが、特に琉大卒業生は、官公庁などでは東大や早大・慶大の卒業生より尊重されることも珍しくないローカル・エリートである。知念氏はそうしたエリート・コースには乗らないまま、1985年に那覇市役所に入職したが、翁長雄志氏が那覇市長として2期目の当選を決めると、秘書広報課長に抜擢され、以後、翁長市長に可愛がられながら、総務部長、政策統括官と那覇市の官僚としての王道を歩んだ。2014年に知事選に打って出た翁長氏が市政後継者に指名した城間幹子氏が市長に就任すると、知念氏は副市長に抜擢されている。もちろん、この抜擢は翁長氏の城間氏に対する「申し送り事項」だったと思われる。以後、2期約7年半にわたり、副市長を務めた後、今回の市長選に立候補した。

数年前に知念氏とじっくり話したことがある。その時の印象は、彼が政治家・翁長雄志に育てられて芽吹いた能吏だということだった。そして彼は翁長氏を心底尊敬していた。「翁長氏に育てられた」というと「オール沖縄の思想を叩き込まれた」と勘違いする向きもあるだろうが、知念氏が仕えていた時期の翁長氏は、れっきとした保守政治家であり、自民党沖縄県連の幹部だった。「オール沖縄」は、長い政治的キャリアを重ねてきた翁長氏にしてみれば、晩年のほんの一面に過ぎなかったのである。知念氏が自民党の翁長雄志、保守政治家の翁長雄志の薫陶を受けた行政エリートでるという点はきわめて重要だ。城間市政は、おそらく知念氏抜きには成り立たなかった。事実上の「権力」は知念氏が掌握していたと見て差し支えないだろう。那覇市の行財政の裏も表も知りつくした知念氏が、城間市政の後継者として名乗り出るのはきわめて自然なことで、むしろ雄治氏の市長選出馬の決断を、異例のことに感じた関係者も少なくなかったはずだ。

勝敗を決定づけた城間市長の決断

現市長の城間幹子氏は、新卒以来一貫して教育畑を歩いてきた人物で、1期目の当選を決めた2014年の段階で政治経験はほぼなかった。同年4月に、幼馴染みでもあった翁長市長に請われて副市長に就任し、そのまま横滑りのように市長に当選している(那覇市長候補としては史上最多得票)。政治的にはもともと無色だと思われるが、翁長氏存命中は「オール沖縄」に肩入れしていた。だが、翁長氏が逝去し、城間氏が2期目の当選を決めてからは、「オール沖縄」に距離を置いた。オール沖縄の「基地反対」の信条が那覇市の行政にとって負の効果を持つことを承知していたからである。おそらくこの点においては、知念氏も同じ考え方だったと思う。ふたりとも、翁長氏の最大の「遺産」が基地反対であるとはまったく考えていなかったはずだ。

今回の市長選に際して、知念氏には自公だけでなく「オール沖縄」からの出馬要請もあったことも知られている。最終的に知念氏は自公候補となったが、「翁長氏の薫陶を受けた能吏」なのだからオール沖縄のなかに、知念氏を押す声があったのもまったく不思議ではなかった。知念氏も、オール沖縄に支援されて確実に当選できる環境があれば、オール沖縄の要請に乗ったかもしれない。だが、2021年7月に行われた那覇市議選では、自公系とオール沖縄系の勢力が等しくなっていた。同年10月の総選挙でも自公が躍進した。今年に入ってから行われた参院選ではオール沖縄の候補が当選したが、自公新人候補・古謝玄太氏が予想を上回る善戦をした。沖縄県内の那覇市以外の市長選挙も6市連続で自公候補が勝っていた。知念氏側としては、自公候補として出馬するほうが当選の可能性が高いと思っていたかもしれない。ところが、9月11日に行われた知事選で、オール沖縄が支援する玉城デニー知事が再選を果たしたことで、雲行きが怪しくなった。知念氏は逡巡したに違いない。

だが、上で触れた知事選の得票分布(那覇市内の得票分布)を分析すると、玉城知事票53%に対して反(あるいは非)玉城知事票は47%ほどある。あと3%分の票を積み増せば、自公候補が接戦を制することもできる。得票動向については、自公、オール沖縄、知念氏、雄治氏ともそれぞれ悩みに悩んだろうが、先に正式な出馬表明をしたのは雄治氏だった(9月25日)。それに遅れること1週間、知念氏が出馬表明したのは10月2日のことだ。告示日(16日)のわずか2週間前である。他に有力候補者がいなかったため、雄治氏は「父の作ったオール沖縄を守る」という使命感を感じて出馬したのだろう。知念氏には「市政は俺に任せろ」という自負があったからこそ出馬したのだろう。

だが、二者択一の首長選挙は非情である。最後には「政治力学」がものをいう。

篠原は、知念氏側には出馬表明の時点で隠し球あったと見ている。その隠し球とは城間市長の「支援表明」である。城間氏は、知念氏、雄治氏両者の出馬表明が出されてから、どちらの陣営を支援するか態度を明らかにしなかったが、告示日4日前の10月12日になって、知念氏に対する支援を表明した。前述のように、知念氏も城間氏も、オール沖縄の「基地反対」の信条が、那覇市の行政の足枷になっているという認識を共有していた。城間氏にすれば、雄治氏の「父の作ったオール沖縄を守る」という姿勢は、市政を停滞させかねないという危惧があった。那覇市政のためには、知念氏の当選が望ましいと最初から考えていたはずだが、オール沖縄や翁長家との摩擦を考えて、知念氏などと相談の上、ギリギリまで支援表明を遅らせたのではないか。退任するとはいえ、城間市長の人気は依然として高く、城間氏が支援することが報道されると、「雄治氏優位」だった世論調査の数値はたちまち下落を始め、投票日には完全に逆転されることになった。要するに城間氏の知念氏支援表明が、知念氏にとっては最大の勝因、雄治氏にとっては最大の敗因となったのである。

未来はまだ不透明

オール沖縄や翁長家にとって城間氏はすっかり「裏切り者」になってしまった感があるが、市長の仕事は「市民本位」「市民のため」という原則に照らせば、基地問題に拘泥するあまり、市民生活を犠牲にするような政治・行政はあってはならない、という考え方は理解されてしかるべきだろう。

ただし、「自公vsオール沖縄」といった図式化だけで、沖縄の過去、現在、未来を語ることは禁物だ。沖縄の政治はつまるところ、沖縄振興予算などの政府補助金、経済界や労組の既得権益、対人関係に基づく政争などに強く揺さぶられてきたし、おそらく今後も同じような問題が生起するに違いない。「県民本位」「国民本位」の政治とは何か、つねに身を律して模索し続けなければならないと思う。一時の利害や感情に流されない政治を目指す政治家は、果たして出現してくれるのであろうか。

那覇市長に当選した知念覚氏

批評.COM  篠原章
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