首里城燃ゆ
昨夜は、必要があって自分で撮影したこれまでの首里城の写真を整理していた。守礼門しかなかった時代のものから、最近の首里城祭まで、さまざまな写真があった(掲載した写真は2011年4月のもの)。
今朝、目覚めたらその首里城が焼失していた。衝撃的だった。
日本でいちばん火事の少ない沖縄で(消防団すらろくにない)、歴史を象徴するもっとも大切な建造物が一夜にして焼失するなどちょっと考えられないことだ。
かつて「日本3大がっかり遺産」といわれていた首里城は、関係者の弛まぬ努力によって密度の濃い歴史資産に成長しつつあった。ただ、正殿や隣接施設を利用しての祭りが多いことは気になっていたし、今年の2月1日から首里城有料区域の管理者が国から県に移行したことについても不安は感じていた。今年2月4日付けの琉球新報には、「県が主体となって(首里城の)利活用の幅を広げることで、地域の活性化につなげていきたい」という沖縄県土木建築部の担当者のコメントが紹介されていたが、歴史的建造物がほとんど残されていない沖縄県において、復元されたものとはいえ唯一の歴史的建造物といってもいい首里城にかかる負担がちょっと大きすぎるのではないか、と感じていた。
失火の原因はまだわからないが、首里城祭の一環として11月2日に予定されていたイベント「万国津梁の灯火」の準備作業中だったという。防火対策についての情報もまだ挙がってきていない。火災報知システムやスプリンクラーの状態はどうなっていたのかがとくに気になる。
あえて感情を隠さずにいえば、「万国津梁」という言葉が関わるとろくなことがない。目下玉城デニー知事が県議会で追及されている「業者との癒着問題」も、知事の諮問機関である「万国津梁会議」の予算に関するものだ。
NHKのニュースでもコメントが紹介されたが、首里城復元の立役者である歴史家の高良倉吉先生(琉球大学名誉教授)はさぞがっかりされていることだろう。
高良先生はしばしば、「復元作業の過程で左翼陣営の人たちから、“支配と搾取と奢侈の象徴である王族の城など復元しても無意味だ”と批判された。“そうじゃないんだ。大工や職人を中心に当時の琉球の大衆が身につけていた技術と文化の結晶が首里城なんだ。たんなる支配・搾取・奢侈の象徴などではない”といってもなかなか理解されなかった」と語っておられた。ぼくは高良先生この言葉に感動を禁じえなかった。
往時の人々の血と汗と涙と知恵で生まれた首里城を、高良先生たちは復元しようと奮闘し、これを成功させた。今年1月に御内原エリアの復元が終了し、予定された復元作業がひと通り終わったばかりなのに、こんな事態を迎えてしまった。
今の政府には改めて首里城を復元する余力は乏しい。今から再建すれば少なくとも200〜300億規模の資金が必要だろう。「首里城再建県民運動」でも興して、県民1人当たり1万円を集めるといった民間の自主的な運動でもなければ再建資金は調達できない。
平成の復元に当たって高良先生は、首里城の建材に用いられていたイヌマキの木(チャーギ)が沖縄に残されていないことに気づき、断腸の思いで沖縄以外の地域にイヌマキの木を求めたという(「沖縄にゼロからイヌマキの森を作る。首里城を守るためにできることとは?」)。その苦い経験をもとに、高良先生は次の首里城の修理に使うためのイヌマキを植林している。が、そのイヌマキはまだ幼木で使える状態にはない。いちばんの問題は、復元に携わることのできる人材もすっかり高齢化し枯渇しているということだ。
返す返すも残念でならない。