映画『アワモリ君』シリーズと金城哲夫

友人から「坂本九主演の『アワモリ君』シリーズは、沖縄出身の脚本家として知られる金城哲夫のアイデアではないか」という問い合わせがきた。
「アワモリ君」を「泡盛」という文字と重ねて考えたことがなかったので(つまり「粟森」「安房森」「阿波守」なんかを当て字として想定していたということ)、大事なことを見落としていたんじゃないか、とけっこう慌てた。
東宝の「アワモリ君」シリーズは、
『アワモリ君売出す』(1961年)<『モスラ』と併映>
『アワモリ君乾杯!』(1961年)
『アワモリ君西へ行く』(1961年)
の3本。いずれも若かりし坂本九のほとばしるような魅力に溢れた作品で、クレージー映画でお馴染みの古澤憲吾監督の初期の作品。クレージー映画で生かされたアイデアの原型も至る所に見いだされる。おまけに、どの作品も挿入歌が素晴らしい(主に坂本九、森山加代子、ジェリー藤尾、ダニー飯田とパラダイス・キングの歌唱・演奏)。スラップスティック風の音楽映画として大いに楽しめる作品ばかりだ(「西へ行く」のみフルカラー)。
が、金城哲夫が関わっていたという話は聞いたことがない。その昔録画したこの3本を探し出してクレジットを見たが、やっぱり金城哲夫の名前はない。ひょっとしたらノークレジットで関わっている可能性はあるが、金城の円谷プロ入社は1963年だから「ありえない」と見たほうが適切である(金城は1938年生まれ)。
そもそも「アワモリ君」は、『轟先生』(『読売新聞』で連載)で有名な漫画家・秋好馨の作品(『週刊読売』連載)。金城のアイデアが入りこむ余地はないはずだ。

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批評.COM  篠原章
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