勝者のいない「歴史認識」の衝突
【概要】
在日朝鮮人であった文世光に母(陸英修)を、KCIA長官だった金載圭に父(朴正煕)を暗殺された悲劇の女性である朴槿恵大統領が、伊藤博文の暗殺者である安重根の記念碑をハルピンに設置するという計画は、一般の日本人にとって大きな違和がある。安重根が韓国で英雄視されているというのはわからなくはない。それが韓国の歴史認識だからである。だが、伊藤博文が明治維新の立役者の一人として日本で尊敬されているというのも、変えることのできない歴史認識である。「貴国を苦しめた伊藤博文を尊敬していた私たちはまちがっていました」といえる日本人はまず存在しない。にもかかわらず韓国側は日本が歴史認識を変えるべきだという。この場合、相互の歴史認識を一致できないことは誰の目にも明らかだ。「違う」ということを相互に認識し、その歴史認識を尊重するほかない。一方の歴史認識の基づいた記念碑を第三国に建てる行為は、東アジアの安定にとって負の遺産となることは否定できない。
慰安婦問題も含めて、「歴史認識」の齟齬が簡単に解消されないことを朴槿恵大統領も知らないわけがない。にもかかわらず、彼女は日本の歴史認識を厳しく批判しつづける。これには裏があるに決まっている。実は韓国経済に重大な危機が迫っているのだ。韓国経済の場合、その危機はじわじわしのびよってくるような性格のものではない。ある日突然襲ってくる。彼女はその日に備えて、国民の関心を「反日」に向けている。中国までも巻きこんで反日ネットワークを築こうとさえしている。だが、日韓関係が不安定のままであれば、より深刻な経済危機に発展しかねない。相互依存の経済関係は彼女のような政治家が考えるよりもはるかに深く浸透しているのだ。朴槿恵大統領が今なすべきことは、経済危機から目を背けさせることではなく、経済危機と対決することではないのか。「歴史認識」への拘泥は、自国民を裏切り、日本とのあいだの溝を取り返しのつかないものにしかねない。「歴史認識」の衝突で勝者が生まれることはない。
勝者のいない「歴史認識」の衝突(本文)
【反日感情・反韓感情の高まり】
ぼくは、朝鮮人慰安婦問題について日本政府の責任を問う論調や安重根を義士と見る見解の大部分が、日本から発信されたものだという事実を追及する気にはなれない。慰安婦問題についていえば、朝日新聞や日弁連が「火元」であるとして、彼らを攻撃する人たちがいることは知っている。おそらく朝日新聞や日弁連の報道や調査がなければ、この問題が韓国で注目されることはなかったことも確かだろう。だが、それは日本の民主主義が健全に機能していることの証でもある。歴史上の複雑な問題について、当事国(加害国とされる国)のメディアや識者が、自らの国の「過ち」を指摘することは言論の自由が保障されている状態を意味する。
だが、それに対する反論がしっかりと行われる環境もまた必要である。反韓感情や嫌韓感情をベースに韓国を嘲笑うかのような姿勢で反論するのは百害あって一利なしである。「彼らはこう主張するが、それは間違いだ」としっかり主張を展開することが必要だ。今回はそのつもりで筆を進めた。
一連の報道を信ずる限り、韓国における反日感情の高まりは、今までにないほどのレベルに達しているように見える。日本の側の反韓感情・嫌韓感情も、ここにきて急速に膨らんでいる。あれだけの隆盛を誇ったK-POPや韓流ドラマの人気も退潮し、新大久保周辺のコリアン街の賑わいも衰えている。
「反日感情」や「反韓感情」の高まりで誰が得をするのだろうか。お互いに隣国であり、経済交流も深い。対北朝鮮という意味では安保上不可欠のパートナーでもある。IT、家電、自動車などの分野で日韓はライバル関係にあるが、ライバルが倒れれば自分たちが得をすると考える企業経営者などおそらくほとんどいない。ライバルが倒れれば自分もあおりを食らって倒れるような時代である。このように考えると、両国の関係悪化で得をするのは北朝鮮ぐらいではないか、と思えてくる。その北朝鮮も、経済的には日韓の「経済援助」や「送金」が頼りである。彼らが想いだしたように軍事衝突を引き起こしたり、カラのミサイルをフラフラと打ち上げたりと圧力をかけるのは、安保上の利害や経済的な利害を意識しているからだろう。日韓関係が不安定になれば、北朝鮮は一時の漁夫の利を得るかもしれないが、安保上の緊張関係が長期的な「国益」を北朝鮮にもたらすとは考えにくい。やはり「誰も得しない」んじゃないか。
【韓国側にも「一理」はある】
朴槿恵大統領が繰り返すのは「歴史認識」である。日本による植民地支配や軍国体制のおかげで酷い目にあった。甚大な人的・物的な被害を被った。日本は歴史上のその「罪」について謝罪しない。韓国民の被害者感情に配慮しない。その上賠償も不十分だ。というのである。日本批判は外交の場にまで及んでいる。朴大統領は、中国をはじめ、各国を訪問するたびに「日本の歴史認識の欠如」を訴えつづけている。来韓したアウン・サン・スー・チーにまで「日本の歴史認識の欠如」訴えた。安倍首相からの会談要請は拒否され、朴槿恵大統領が就任してから一度も首脳会談はない。「日本が正しい歴史認識を持つまでは会談はなし」というのが朴槿恵大統領側の主張である。日本政府がとまどうほどの「圧力」をかけている。
「正しい歴史認識」というのは一理ある。「一理ある」というのは韓国側の主張が正しいという意味ではない。“お互いに”より正しい歴史認識を持つ必要があるという意味だ。ところが、“より正しい”歴史認識を共有するのはとても難しい。新しい「歴史的事実」の発掘もある。したがって歴史の解釈も変化する。お互いの都合で不都合な事実を隠したり、認めなかったりする傾向もある。
安重根による伊藤博文暗殺を、韓国側は義挙として礼賛する。日本側は法治国の立場から犯罪とみなしている。両者ともにその論には拠りどころがある。
韓国側は安重根の行動を日本の植民地支配への抵抗と見る。安重根は国民的英雄である。義のために人命を奪うというのは、けっして特異な思想ではない。国家や宗教という理想のために人は人を殺す。それはよりよき国家建設の名の下に正当化される。抑圧される側には「抵抗」という名の自然権があるという考え方もある(例:マルクーゼ)。
安重根が朝鮮併合に反対していた伊藤博文を暗殺したおかげで朝鮮併合が早まったという見方もあるが、それは植民地支配の「形式」の問題に過ぎず、朝鮮の植民地としての実質は、暗殺があろうがなかろうが変わらなかったと予測できるから、この点を捉えて「安重根は未来を見誤った暗殺者」とみなすのは的が外れている。たとえ安重根が、歴史的な役割を果たし損ねていたとしても、朝鮮の人びとによる安重根の英雄視に異議を唱えることはできない。
【植民地時代の「善悪」は判断できない】
一方で、一国の歴史を超えてマクロな歴史的趨勢という観点から考えれば、朝鮮併合(日本による植民地化)は、中国の冊封体制と封建的な李氏朝鮮を解体するきっかけになったという意味で近代化・民主化の重要なプロセスであったことも否定できない。植民地主義は今様の考え方からすれば「悪」だが、近代化・民主化の土台を提供したことは事実である。
安重根が所属したといわれるパリ外国宣教会(第一宣教会)も、イエズス会同様バチカンの指示で動く一方で、フランス軍の支援も受ける宗教活動体だった。つまり、パリ外国宣教会にはフランスの植民地支配のための宗教的先兵という機能も見受けられるのである。安重根自身が、アジアでのフランスの植民地主義の宗教的部隊だったパリ外国宣教会の下で教育を受け、そのなかで日本の植民地主義への抵抗運動に目覚めていったことにも注目する必要はある。つまり、アジアに展開した植民地主義には功と罪がある。罪のほうが大きいとしても、それは歴史的必然としかいいようのないものだ。相対立する「功」と「罪」の双方を引き受けながら歴史を語る覚悟がなければ、歴史の全体像は浮かび上がってこない。伊藤博文はもちろんのこと、安重根という人物も「功」と「罪」の矛盾のなかに投影された存在である。
欧米の植民地主義は、欧米の思想と文化と制度を広めるのに歴史的機能を果たしたからOKで、欧米によるアジア進出を水際で食いとめ、中国やロシアに変わって東アジアの覇権国とならんとした明治政府の歴史的機能は認められないというのでは、歴史に対する公平さが欠けている。日本の植民地主義は悪だが、欧米の植民地主義は善であるということはけっしてない。20〜21世紀の思想をもって振り返れば植民地主義は等しく悪だが、「封建制の解体」が近代化や民主化の礎石となったことは誰にも否定できない。それがアジアにおいては主として「外圧」「侵略」「植民地化」という契機でもたらされたとしても、紛れもない歴史的事実である。歴史的事実は、単純な「善悪」の判定とは別問題だ。事実は事実として受けとめなければならない。
【ドイツの「戦争責任」〜朴大統領の歴史認識】
朴大統領が日本に「歴史認識」を求めたとき、ドイツの「歴史認識」が引き合いに出されている。欧州歴訪の最中、11月2日のフィガロ紙に掲載された記事で は「未来志向的な関係を発展させていきたいが、一部の日本政治家たちが過去の問題について引き続き不適切な言動をしたことについては本当に残念だと思う」「欧州の統合はドイツが(フランスなどに向けた)過去の過ちに前向きな態度を持っていたので可能だったが、日本も欧州連合の統合過程をよく参考にしてみる必要がある」と話したという(『中央日報(日本語版)』2013年11月4日付)。
欧州統合の前提に「独仏による戦争の回避」という理念があることは間違いないが、統合が「ドイツの反省の上に成り立っている」という認識は正しくない。過去の戦争のきっかけとなったアルザス・ロレーヌ地方における「石炭鉄鉱資源の平和的管理」(欧州石炭鉄鉱共同体=ECSC)と「関税撤廃」(欧州経済共同体=EEC)が、独仏を中心とした欧州の経済成長にとって不可欠であるとの認識が欧州統合の出発点である。ドイツのリーダーたちがホロコーストを謝罪し、二度と繰り返さないと言明してきたのは事実だが、それはヒトラーおよびナチの行動に絞っての発言であり、ドイツの戦争責任全体について謝罪を口にしたわけではない。「ドイツを真似ろ」という朴大統領の歴史認識は、その意味で適切さを欠いている。そもそもドイツは戦後まもなく「再軍備」したのに対して、日本は平和憲法下での「自衛隊」設置に留まっている。今、日本は憲法を改正して軍国化への道を歩んでいると韓国側は論難するが、西ドイツの再軍備は1955年、東ドイツの再軍備は1956年のことである。日本のメディアはたんに彼女のこうした発言を紹介するに留めているが、その不適切な歴史認識については、 誰も指摘していない。
【法治国家と暗殺者〜安重根、文世光、金載圭】
他方、朴大統領は安重根を英雄視する一方で、自身の両親がいずれも暗殺者によって殺されたことに言及したとの報道はほとんど見られない。彼女の母上である 陸英修さんは、朴正煕大統領(当時)を狙った在日朝鮮人・文世光に暗殺されている(1973年)。助かった父上も、その6年後に金載圭KCIA長官に暗殺されている(1979年)。両親とも暗殺者に奪われるという前代未聞の悲劇を経験した朴槿恵現大統領が、暗殺者・安重根を賞賛するというのは、自らの不幸な体験の否定につながりかねない。しかも、韓国の民主化は、独裁者だった彼女の父上(朴正煕大統領)が倒れてから加速している。金載圭が現代韓国の民主化の出発点だという捉え方もできる。だが、金載圭が英雄だとは誰もいわない。暗殺者には暗殺を正当化する理由はあっても、殺人者であることに変わりはない。 殺人罪の適用対象だ。殺人犯を英雄として礼賛することなど法治国なら許されないことだ。
安重根を礼賛し、金載圭を殺人者に留める姿勢を貫くことがダメだというわけではない。安重根の碑を設置する動きについて、安倍首相が「伊藤博文は初代の日本の総理大臣だ。長州にとっても尊敬されている偉大な人物だ。お互いにしっかりと尊重しあうべきだ」と発言し(7月のテレビ出演時)、菅官房長官が「わが国は安重根は犯罪者と韓国政府に伝えてきている。このような動きは日韓関係のためにはならない」と発言したことを批判するのはお門違いだということだ。
法治国なら、殺人者は殺人者である。法治という観点から見れば、日本が安重根を殺人者と見なすのはあまりにも当然である。韓国の「安重根は英雄」という歴史認識も、日本の「伊藤博文は近代日本を築いた偉人の一人」という歴史認識も等しく尊重されてしかるべきだ。日本の側から「安重根を暗殺者だから尊敬するな」とは要求していないにもかかわらず、韓国側は日本が歴史認識を変えるべきだというが、「貴国を苦しめた伊藤博文を尊敬していた私たちはまちがっていました」といえる日本人はまず存在しない。その溝は埋められるものではない。埋める必要もない。もし日本の側が、「伊藤博文は安重根に暗殺されてもやむをえぬ人物」だとしたら、少なくとも明治維新まで遡って、韓国側の視点から歴史を書き替えなければならなくなる。この問題で、歴史認識を共有することはほぼ不可能である。
が、お互いに「違う」ということは確認できる。歴史認識が異なる以上、第三国に一方の歴史認識を広報するための碑をつくるのは、両国間関係を悪化させる意 図が明白だといわれてもやむをえない。行き過ぎたナショナリズムと日本に対するバッシングを助長するだけの非常識な行動である、と判断されてもやむをえないだろう。
【慰安婦問題の「歴史認識」】
慰安婦問題についても状況はほぼ同じである。秦郁彦教授による研究がほぼ決定版となっている現状を見れば、「もう今さら」の感もあるが、簡単にまとめておきたい。
朝鮮人にかぎらず、日本軍あるいは軍の委託を受けた業者が、一部の女性を従軍慰安婦として半ば強制的に連行したという事実はおそらくあるだろう。そのことは否定できない。だが、韓国側がしばしば主張するように、軍に連行され、強制的に慰安婦にされた女性が「20万人」「数十万人」という数値には合理的な根拠がない。
当時の「外地」における慰安施設の数は400箇所程度。これら全部が慰安所だったと仮定した上で、慰安婦の総数が朝鮮人だけで20万人とすれば、1箇所当たり朝鮮人だけで500人ということになる。これは非現実的な数字である。各慰安所に在籍する慰安婦の数を1箇所50人と見積もっても2万人であり、そのなかには自発的に慰安婦になった者、家族に売られてきた者、業者に騙されて連れてこられた者、強制的に連れてこられた者が含まれている。半数が強制連行だったとしても1万人だが、韓国政府が慰安婦として公式に認定する人数が234人(2011年)であるという事実を踏まえれば、強制連行された慰安婦の数は数百人規模と考えるのが穏当である。一般の慰安所の女性数は10名程度といわれているから、どんなに多めに推計しても数千人単位の人数は考えにくい。
人数の問題ではないという批判もあるだろうが、数十万という数字に合理性がまったく欠けている。数百人規模という数字が実態に近いとすれば、少なくとも政府が先頭に立って組織的・強制的に集めた人数とはいえない。徴用された女子挺身隊20万人がすべて慰安婦であるかのように書かれた記事や論文もあるが、それもむろん誇張である。女子挺身隊は、一般的に工場などでの通常の労働に駆り出されていた。強制的に慰安婦にされたという韓国人女性やインドネシア人女性の話はきわめてリアルだが、「国家としての戦争責任」が問題にされている以上、数字の問題はやはり無視できない。
総括的にいえば、慰安婦の強制連行問題では以下の点を冷静に検討する必要がある。
- 各部隊レベルで「慰安婦」の必要性が唱えられ、それに応えるかたちで民間業者(売春業者)が実働部隊となって慰安所を設置するというのが基本的構図であり、業者は事実上「軍属」と位置づけられていたと考えるのが自然である。軍民が阿吽の呼吸で多くの慰安所を設置していった可能性は高い。そのプロセスで、娼妓が集まらなかった場合に強制や詐欺に近いかたち徴用されていった女性が一部に存在したことは事実と認められよう。ただし、このプロセスに政府が積極的に関与していたという証明するものはない以上、政府としての「戦争責任」は監督責任に絞られるだろう。
- 騙された、あるいは強制された女性たちは日本人、朝鮮人、現地女性から構成されていたが、朝鮮人や現地女性が日本人に比べて差別的な待遇を与えられていたことも事実だろう。しかし、その数は数十万ということはありえない。東北や九州の貧農の女性のように、貧窮状態を打開するために、自らやむをえず、あるいは家族などに売られて、涙ながらに業者のルートに乗った女性のほうが圧倒的に多数派と見るほうが合理的で現実的である。慰安婦の一部に軍の関与による「強制」によって連行された女性は存在するだろうが、それと娼妓という職業を選択せざるをえなかった社会経済状況とを同一視はできない。「身を売る」という現象は「軍」や「戦争」とはまた別問題だ。
- 軍隊が慰安婦を必要としたという歴史的な経験および進攻する軍隊には強姦というリスクがつねにつきまとうという事態は、けっして日本だけの現象ではない。「強姦」というリスクを慰安所などによってヘッジするという対策は、戦争にはつきものといっていい。日本批判だけが突出している事態は公平さを欠く。
- 韓国側が、科学的に検証されていない数字(強制的に慰安婦にされた朝鮮人女性は20万人)を刻んだ「慰安婦像」を日本人・日系人も多いグレンデイル(カリフォルニア州)などに設置したことは深刻である。安重根の記念碑以上に危険な行動である。
以上の事実を踏まえた上で政府の対応を考えると、戦時下の日本政府は、慰安婦の強制連行は禁じていた。ただし、“現場レベル” では、そのような事例が一部に存在した可能性は否定できない。そうした実態が明らかになれば、政府が監督責任を果たさなかったという意味で謝罪に値する。実際、道義的な見地から歴代 政権は「謝意」を表明してきた。ただし、事実関係については不明な点も多いので、あらためて第三者機関に実態調査を依頼する方法はある。調査結果を受けて政府は公式見解を出し、あらためて謝罪の意を表明することはできる。
が、これは広義の戦争責任の問題だから、「公式見解」については、日韓基本条約を始め、過去の戦争責任に関わる経緯や賠償についての申し合わせ、アジア女性基金の評価などを盛り込んだものになる。慰安婦に関する道義的責任を事実上認めて設置された「アジア女性基金」が機能不全に陥ったことについては、韓国側にも責任がある以上、その点にも配慮しなければならない。とはいえ、日韓基本条約がある以上、謝罪が行われたとしても、個別の賠償は、既存の条約を廃棄して新しい条約を結ばない限り、困難であると考えざるをえない。それは朝鮮人慰安婦が日本の裁判所に起こした訴訟に対する判決の範囲を上回るものでもないだろう。
【韓国の経済危機〜「歴史認識」問題の背景】
「歴史認識」の齟齬が簡単に解消されないことを朴槿恵大統領が知らないわけはない。彼女の父だった朴正煕大統領は、朝鮮を植民地化した日本を批判はしたが、植民地時代の経済基盤の整備や教育政策は高く評価した。その歴史認識はあくまで冷静だった。日韓基本条約による賠償金を国民にはほとんど分配しなかったが、その賠償金で日本の経済政策に倣ってインフラを整備し、産業を振興した。それ以上の賠償義務を日本には求めなかった。国家間の賠償問題はこれで決着している。つまり、戦争責任の問題も、少なくとも国家間では決着を見ている。もし、娘である朴槿恵大統領が未決着だというなら、それは父の仕事を否定することになりかねない。にもかかわらず、彼女が日本の歴史認識を厳しく批判する。なぜだろうか。
その背景に、名目額で日本を超えている莫大な経常収支にもかかわらず、内需の停滞と外資の不安定な流出入という経済の脆弱性に対する不安があることは、以前からたびたび指摘されている。
貿易黒字は拡大しているのに、国内企業の景況感はきわめてネガティブだ。経済成長率では、アベノミクス下の日本に劣るという。9割以上の企業が「先行きに不安」と答えている(『ニューズウィーク』Web日本版・8月19日)。
JETROソウル事務所の大砂雅子所長のインタビュー記事で、中央日報(11月15日付)は次のように報じている。
日本企業の韓国投資熱が冷めている。1~9月月平均投資額は2億1811万ドルで昨年(3億7846万ドル)より半分近く減った。韓国で事業する日本企業を助ける日本貿易振興機構(JETRO)ソウル事務所の大砂雅子所長(57)は「韓国投資をするよりは、かえってASEAN(東南アジア諸国連合)国家が良いという判断をする企業が多い」と話した。大砂所長はこれを「六重苦のため」と指摘した。環境規制、労働規制、税金負担、電力難、労働力難、円安などだ。 反日・嫌韓感情はこのような状況をさらに複雑にしている。大砂所長は「日本企業の韓国投資は現状態を維持か減少するだろう」としつつ「日本が環太平洋経済パートナー協定(TPP)に参加すれば貿易自由化が進展するので韓日自由貿易協定(FTA)の必要性を感じない」と話した。
実にクールな分析である。
韓国経済はそもそも大規模な財閥グループに支えられているが(全企業の約7割が財閥に系列化されている)、その財閥の中核を成す4大銀行グループのうちの3行が外資を導入している(1行は国営銀行)。外資比率は目まぐるしく変わるが、概ね50%を超えている。つまり、韓国の財閥は金融的には外資の影響下にあるといってもいい。経常収支は巨額の黒字だが、資本収支は巨額の赤字となっている。外資が流入するなら本来は資本収支も「黒字」のはずだが、外資に対する金利などの返済に追われているため、深刻な赤字が生まれてしまうという特殊な構造である。直接投資も多いが、資本が一斉に引き上げるという状態も経験している。
大砂所長の分析はこれを裏づけるもので、日本企業を例にとって、外資の流出入が不安定な理由を指摘している。六重苦として挙げられている環境規制、労働規制、税金負担、電力難、労働力難、円安はかなり深刻な要因である。日本経済もまだ回復途上にあるが、現時点では原発問題を除き、韓国ほどの不安要素は抱えていない。サムスン電子の好調は伝えられているが、経済をトータルで見れば、輸出が増えているのに景気は停滞している。経済的なファンダメンタルズは脆弱だから、危機は突然のように襲ってくる可能性も高い。田原総一朗など一部の識者が指摘するように、こうした「内憂」から国民の目をそらせるために反日姿勢を強めていると見るのは、けっして的外れではないだろう。中国までも巻きこんで反日ネットワークを築こうとさえしている。
だが、日韓関係が不安定のままであれば、より深刻な経済危機に発展しかねない。相互依存の経済関係は彼女が考えるよりもはるかに深く浸透しているのだ。普通に考えれば、朴槿恵大統領が今なすべきことは、経済危機から目を背けさせることではなく、経済危機と対決することである。「歴史認識」への拘泥は、自国民を裏切り、日本とのあいだの溝を取り返しのつかないものにしかねない。唯一の救いは安倍政権の冷静な対応である。最近では「韓国に対して弱腰」との批判も散見されるが、安倍政権の苛苛するほどの静かな対応こそ事態を打開する鍵となっているではないか。
朴大統領の強硬な対日姿勢と安倍政権の冷静な対応を前にして、韓国メディアの論調も徐々に変わりはじめている。最後にこうしたメディアの変容を象徴する記事を貼りつけておきたい。
【コラム】日本を見る目、世界が馬鹿なのか
・韓国は日本の放射能を懸念し、韓国産の魚さえ食べず
・世界は東京の五輪開催を支持
・外部が韓日をどう見ているのか冷静に観察すべき韓日関係が悪化して以降、米国ワシントンの当局者、専門家の考えは「韓国が強硬過ぎる」という方向に傾いているという。韓国人にとって、日本の集団的自衛 権行使容認は戦犯国家による再武装の企てだ。その戦犯国家と実際に戦争した米国、英国、オーストラリアが日本の集団的自衛権行使を歓迎する立場を取った。 オーストラリアは日本の降伏後、戦犯リストに天皇を含めるほど強硬だった国だ。ロシアも日本の集団的自衛権行使を「理解する」との立場を表明した。日本帝 国主義による被害を受けた東南アジア各国も日本軍の再登場を喜んでいる。日本の侵略軍との戦争で多くの血が流されたフィリピンの外相もメディアのインタ ビューで、日本の再武装を「とても歓迎している」と語っている状況だ。今や世界で日本の集団的自衛権に反対している国は韓国と中国しかない印象だ。
各国は内心、日本が中国をけん制することを望んでいる側面もある。しかし、それに先立ち、日本が国際社会で「信頼できる国」「合理的な国」だという評価を得られなかったとすれば、国際世論の劇的な転換も不可能だったはずだ。国別の好感度を評価する国際調査で、日本は常にトップ圏内に入る。集団的自衛権は国連憲章で保障された権利だが、万一中国が日本より世界の尊敬を受ける国だったならば、日本が国際社会で「武力行使」といった話を容易に切り出すことはできなかったはずだ。
同じ戦犯国家でありながら、ドイツが誠実なざんげを行ったのは、相手が米国、英国、フランスだったことが大きいと考える。日本がドイツと異なる行動を取るのは、相手が韓国だからだ。日本に関する問題を根本的に解決する方法は、韓国がもっと合理的で信頼できる国、言い換えれば、英国やフランスのような国になるしかない。韓国を軽視する国際社会の見方が変われば、日本を重視してきた目も変わることになる。
ところで、韓国は今、そういう道を歩んでいるだろうか。1965年6月22日に結ばれた韓日基本条約と同時に、韓日は請求権に関する問題が「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」との点で合意した。「1945年8月15日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする」とも明記された。韓国は当時受け取った3億ドルの経済協力資金で浦項総合製鉄(現ポスコ)の製鉄所、京釜高速道路、発電所を建設し、 経済の奇跡の足掛かりを築いた。ところが、韓国の裁判所は最近、日本に再び賠償を命じる判決を下した。韓国と同様の内容で日本と請求権協定を結んだアジア 4カ国ではそういうことは起きていない。韓国が日本帝国主義によって受けた被害が他国よりはるかに大きいのは事実だが、国際社会は韓国を状況次第で国際的 な約束まで覆す国として捉えているようだ。
多くの韓国人が放射能を恐れ、日本旅行を避けている。さらには全く無関係の韓国の魚まで食べないというありさまだ。しかし、世界は福島からそう遠くない東京で五輪を開催することを圧倒的支持で決定した。世界が愚かなのか、それともわれわれの度が過ぎているのか。福島を除く日本の大半の地域では放射能が基準値以下だ。韓国の方が高い数値を示すこともある。韓国では公式の調査結果よりもインターネット上での根拠のないうわさが威力を発揮する。国際社会は韓国で子どもたちまで「米国産牛肉を食べると脳に穴が開いて死ぬ」と泣きながらデモ行進する姿を見守った。世界で韓国人を合理的で信頼できると考える人がどれだけいるだろうか。
1995年に韓国の大統領が独島(日本名・竹島)問題をめぐり「日本の不作法を正してやる」と公言した際、韓国人は留飲を下げた。しかし、香港で世論調査を行ったところ「日本に共感する」との回答が60%に達した。
韓国は日本帝国主義による最大の被害国だ。しかし、加害犯罪国が被害国より高い評判と信頼を得ている。加害国日本は、被害国である韓国には認められていない核再処理まで行っている。この腹立たしい現実は結局韓国自身のせいと言わざるを得ない。興奮しやすく感情的な気質、理性的な態度が求められるときに非理性的な行動を取ること、他人が何を言おうと、われわれが内輪で万歳を叫べばそれまでという態度、これらを放置していては日本をめぐる問題は克服できない。
「北も南も韓国人は感情的で衝動的な人々だ。その衝動的で好戦的な人々が事件を起こさないようにしなければならない」
72年に米国のニクソン大統領(当時)が中国の周恩来首相(当時)に語った言葉だ。韓国戦争(朝鮮戦争)の渦中にあった53年に韓国を訪れたニクソン副大統領(当時)が、李承晩(イ・スンマン)大統領(当時)に停戦方針を説明すると、李大統領は怒って声を張り上げたという。ニクソン大統領はその印象を持ち続けた。外部から韓国を見詰める目には、われわれが隠したいわれわれの姿が映っていることがある。ここまで到達したわれわれに残された最後の関門は合理性、理性、礼儀、冷静さだ。最後の関門だが、最も高いハードルだ。
11月13日付 朝鮮日報(Chosun Online)
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/11/13/2013111301243.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/11/13/2013111301243_2.html
朴大統領が「歴史認識」を重視し、国民がそれを支持している現状を嘲笑おうとは思わない。だが、それがナショナリズムの醸成を目的とした恣意的で単眼的な 歴史観である可能性にも覚醒しなければ、韓国のナショナリズムはいたずらに偏向し、いずれ自国の経済と民主主義を墓場に葬ることになりかねない。「歴史認識」の衝突で勝者となるのは不可能なのである。