安冨歩東大教授の言説こそとんでもない「沖縄差別」だ

「土人発言」は、「ウチナーンチュ(沖縄人)に対するヤマトンチュー(日本人)の潜在的な差別意識の現れ」としてメディアで厳しく糾弾され、「先住民である沖縄人を虐待する植民者・日本人の蛮行」として国際社会に訴える識者すら登場している。沖縄県民はもはや「基地被害者」などではなく、「抑圧される少数民族」に「格上げ」されようとしているのである。

が、こうした事態は、反対派グループとその支援者にとってたんなる「予定調和」だったともいえるかもしれない。たとえば、「女装の歴史家」として知られる東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授は、以下のような一文を10月26日付けの琉球新報に寄せている。

『非暴力の闘争で最も大事なのは、どうすればこちらが暴力を使わずに、相手を挑発して暴力を使わせるか、ということ。今回、この線から近づくなと言う警察に対し、抗議する人々が金網を利用して挑発し、日本警察の本質を露呈させた。「土人」発言という暴力を振るったことで、警察は窮地に立たされている。沖縄が今考えるべきは、さらに挑発的な次のアクションをどう起こすかだ』
『もちろん、それが一般化し「沖縄人は土人だ」という空気が広がる可能性もある。その場合、沖縄は独立せざるを得ない。そのときは世界中がそれを容認し、日本は威信を喪失するだろう』
『今回の「土人」騒動は、言い訳した大臣の発言がまた火種をつくっている。沖縄はかさにかかって権力者を挑発し、ばかなことを言わせ続け、次々に言い訳させて対応を迫るべきだ』

安冨教授の主張は、まさに沖縄における反基地闘争が勝利するための「方程式」を示したものだが、一連の「闘争」をゲームのごとくにしか捉えていないこともまた歴然としている。なによりも問題となるのは『もちろん、それが一般化し「沖縄人は土人だ」という空気が広がる可能性もある』という表現だ。「沖縄県民は土人だ」と認識する日本人がほとんど存在していないにもかかわらず、安冨教授は「土人を強調すれば日本人の差別感情が昂じて独立が勝ち取れるぞ」というのである。「土人として差別されることが望ましい」といっているに等しい。

差別感情を煽ることで、「沖縄VS日本」という分断の構図をでっち上げ、実像か虚像かも不明な「沖縄ナショナリズム」の具体化が目標であるかのごとく語る安冨教授の言説は、研究者としての倫理を問われるだけでなく、沖縄県民に対する許されざる侮辱である。私たちが直面する問題は、人びとの命と暮らしが息づく実世界の話なのであって、ゲームでもフィクションでもない。そのことを知ってか知らずか、安冨教授は、「非暴力という名の暴力」によって、基地問題と沖縄県民をいいように弄んでいるのである。

これほど沖縄と沖縄県民をバカにした言説はこれまで見たこともない。「冷酷」どころではない。彼の言説はむしろ「残忍」だ。おまけに安冨教授は、ことがどのように推移しようとも、東京という安全な場所で、大好きな女装に興じながら高みの見物を決めこむことができる。この男は、沖縄の人びとの命と暮らしのことなど(ついでにいえばLGBTの人びとの心情も)、本気で考えたことは一度もないはずだ。彼は「土人発言」を非難するのではなく、結果的に「土人発言」を擁護し、自らを愛撫するためだけに築かれた、いびつなイデオロギーの世界に、生身の人間である沖縄の大衆を引き摺り込もうとしている。

高江や辺野古の基地反対運動が、このような言説を無神経に発信する識者の「戦術」に先導されるとすれば、その先には邪悪な結末さえ見えてきてしまう。

批評.COM  篠原章
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