南島慕情 奄美篇(4)

南島慕情 奄美篇(3) からつづき

屋仁川エレジー

屋仁川は寂しい繁華街である。飲食店街なのだが、どこか風情に乏しい。確かに店の数はそこそこある。が、さて飲もうかと繰りだしても、気持ちが入らない。構造がシンプルすぎて、謎めいたところがないからウキウキしないのだろうか。

南島慕情 奄美篇

通りには県民体育大会を控えて「歓迎 いもーれやんご 夜もねらうぞ金メダル」と染め抜かれた名瀬市社交業組合の横断幕が屋仁川通りに掲げられている。「いもーれ」とはWelcome、「やんご」とは屋仁川のことだ。それにしても「夜もねらうぞ金メダル」とはすごい。どうすれば「夜の金メダル」が取れるのだろう。あらぬ事まで想像してしまう。

腹ごしらえは近くのレストラン。ウチナーンチュ的気質が染みこんでしまっているせいか、旅先では何か食べてから飲むことが多くなっている。いくつかのレストランで店頭のメニューをチェックしてみたが、この街の飲食店はけっして安くない。定食屋然とした店の最低料金が800円のカレーだったりする。沖縄風に慣れてしまっている上、最近は東京の飲食店も総じて安い。800円はさすがに高い。東京・丸の内のランチタイム価格である。格安ファミレスのジョイフルに行列ができるわけも、この島で展開する唯一の本格的コンビニ「EVERYONE」の総菜コーナーに家族連れが群がるわけもよくわかった。外食単価が高いのである。

港方向から屋仁川通りを歩いて、薬局の角を右手に入った 場所に“えぷろん”というスナックがあった。最近は離島のスナックを愛している。東京ではスナックなどあまり行かないのだが、この3月に石垣島十三番街の「シャネル」、西表島大原の「コッチ」などといったように信じられないほどディープなスナックを体験してしまったので、できるだけ島々のスナックを探訪す るようにしている。“えぷろん”は投宿したホテルに出入りするマッサージさんから前の晩に教えてもらった店であった。

「お客さん、お酒は好き?」
「せっかく奄美に来たんだから、どこかで美味しい焼酎を飲めればと思ってるよ」

「若い子がいる店がいいでしょう?」
「いや、別に若くなくても気分良く飲めればいいんだけどね」

「そんなこといったって、男の人はやっぱり若い女の子が好きなんだから」
「いや、そうでもないよ」

「じゃあ、あたしぐらいの年齢のおばさんばっかりでも楽しめる?」
「うん、楽しめるよ」
「またまたぁ。無理してるんじゃないの。若い子がいいに決まってるんだから」

マッ サージさんはしつこいくらい「若い子」を連発する。 こちらからすれば、若い女の子がいればいいってもんじゃない。たとえば、十三番街の「シャネル」は還暦過ぎのホステスばかりだったが、まるまると太ったお ばぁホステスたちのやり取りが楽しくて死ぬほど笑った。毎晩、通い詰めてもいいと思ったほどである。オヤジだからといって若い子ばかり欲しがっていると思 われるのはまったくの心外である。

が、あまりにも「若い子のいる店」を連発するマッサージさんに根負けして、結局“えぷろん”の場所と電話番号を教えてもらうことになった。

「今夜にでも電話一本入れておくから、時間のあるときに寄ってあげてね」
「わかったよ、必ず行くから」

ひょっとしたらやばい店かもしれないとも思ったが、「あたしゃ気まぐれだからね。飲みに誘われると仕事さぼっちゃうのよ」という商売っ気のないマッサージさんを警戒する理由もないと、彼女の勧めに従うことにしたのだ。

「紹介」はあるにはあったが、この手の店のドアを開けるのにはけっこうな勇気がいる。入ったとたんに後悔する店だって少なくない。
“えぷろん”のドアを開けると、インテリアはこぎれいにまとまっていていかにも地方都市のスナック風、カウンターには二人の先客がいた。薄いカーキ色の作業員服を着た若い男と、いかにもアマミンチュっぽい髭面の中年男だ。

「Kさんの紹介で来たんだけど、聴いてる?」

スツールに腰掛けながらマッサージさんの名前を出す。

「Kさん・・・。あっ、それじゃあYちゃんのお客さんですね」

髭面の男と話していた女の子が正面に立った。

「夕べの電話の?聴いてますよ。お母さんとは親しいんですか?」
「お母さん?」

「だってお母さんの紹介で来たんでしょう?」
「へーっ、知らなかった。KさんてYちゃんのお母さんなんだ。そういや21歳の娘がいるっていってたけど・・・・」

「やだー、そうなの?でも、お母さんらしいわ。お母さんって、変わった人でしょう?なんか私の悪口いってなかったぁ?」
「悪口はいってなかったけど・・・。それにしても驚いたなあ。自分の娘だっていってもらえればね」

ほんとうに驚いたのである。マッサージさんの娘だとはまったく想像もしなかった。要するに母だけではなく、娘の所得形成にも一役買ったということか・・・。離島振興の鏡のような経済行動である。

焼酎「高倉」を水で割ってもらってぐびぐびと飲む。仄かな黒糖の香りがいい。高校を出てから東京でのフリーター暮らしや箱根の住み込みキャディを経験してきたというY子の話は、いい塩梅にほろ酔い気分を支えてくれる。

「でも、結局ね、島が懐かしくなっちゃって、もういてもたってもいられなくなって帰ってきたの。帰ったはいいんだけど仕事がなくってさぁ。同級生3人と一緒にこの店で働いてるわけ。お客さん少ないけどね。シノハラさんは奄美を気に入った?」
「うーん、まだわからないな。食事が高いでしょう。物価も高いね。風景は雄大だし、海も綺麗だけど、街並みに味がないって思ったよ。トタン屋根の家が多いでしょう。ビーチは北部のほうが安心感がある。沖縄に似ているせいかな。加計呂麻はよさそうだけど」

「そうそうそう、外食が高いでしょう。ちょっと食べるだけで千円札一枚飛んでいくって感じで。だからジョイフルが人気があるんだ。五百円玉一枚で食べられるからねー」
「コンビニはEVERYONEだけ?」

「そうなの、コンビニも少ないよね。みんな、EVERYONEに行くんだ。グリーンストアっていう24時間スーパーはあるんだけど」
「休みの日は何をしてるの?若い子たちは」

「ドライブねー。暇さえあればドライブ。それとハブ取り。昨日の晩も友だちがハブ取りに出かけるんで一緒に行ったんよー。宇検の山んなか。小遣い稼ぎにもなるし。一匹五千円は大きいでしょう。昨日の収穫は二匹、一万円。見ているだけだったけど、五千円もらっちゃった」

そうかそうか、ハブ取りか。報奨金五千円は確かに大きい。名人ならそれだけで暮らしていける金額だ。「仕事がない」というのは、日本中どこでも共通の現象だ が、奄美群島全体の雇用情勢を知るデータがない。鹿児島県全体でみれば失業率はそう悪化してはいないし、九州沖縄地区ではむしろ上位のほう。そもそも県レベルでの雇用政策などたかがしれているし、中央(厚生労働省)は地方への配慮が十分できないまま雇用政策を立てる。では市町村はどうかというと、なんと雇用政策そのものがほとんどない。たしかに権限の問題もあるが、市町村レベルの経済は総体的な経済動向に左右されると当局が信じているからだろう。結局、たいへんだ、たいへんだと騒ぎつつ誰も有効な雇用対策を立てられない。マクロ経済の好転を祈るのみということになる。ハローワークは職業紹介であり、労働訓練も限られた人向けだ。結果として地方は切り捨てられることになる。地方が荒廃すれば、ニッポンの多様性は失われ、将来は暗転する。それを心配する人がいない。公共事業という麻薬のような選択肢のみが錦の御旗のごとくはためいている。

黒糖焼酎のおかげか体がどんどん清浄になってくる気がした。気持ちがいい。このまま酔いつづければこの島に愛着をもてるようになるかもしれない。珊瑚礁に囲まれた巨大な山村のような奄美大島が愛おしくなるかもしれない。

足下がふらつく前に“えぷろん”は閉店時間を迎えた。午前一時半である。早すぎると文句のひとつもいいたくなったが、あすは沖縄である。この続きは泡盛がいいかもしれぬ。それがぼくにはお似合いである。

帰り道、屋仁川のネオンが人恋しそうに煌めいていたが、そんなことを気にかけるそぶりも見せないように、無背筋を伸ばし、「飄々」を装ってホテルに戻った。

ばしゃ山のハワイ

空港に向かう。あまり後ろ髪は引かれない。それよりも沖縄の天候が気になる。台風が近づいているのだ。途中、空港近くのばしゃ山リゾートでトイレを借りたついでにティータイムを決めこんだ。奄美では有名なリゾートである。南国の花をあしらったチェアのある、ウッディな造りの薄暗いコーヒーショップにいたら、ひと昔前のハワイを思いだした。

ハワイを初めて訪れたのは1969年のことだ。出発地は羽田、給油のためウェーキ島を経由するDC8が就航する時代である。それ以来、80年代前半まで、ぼくはほぼ毎年ハワイに通った。あの頃のハワイには、花の香りと蝋の香りが混じり合ったような独特の甘い香りがあった。その香りはホノルル空港に降り立った途端に触覚を刺激した。あれがハワイの香りなのだ。時がたつうちにその香りはなくなってしまうが、80年代にもマウイ島、ハワイ島、カウアイ島などの離島にはかろうじて残っていた。それも90年代にはすっかり消えてしまったが。ぼくの沖縄通いが激しくなったのはその頃からのことである。

60年代末から70年代初めまで、ワイキキビーチでは裸足で舗道を歩く人も珍しくなかった。すでにシェラトン系を中心に高級な高層ホテルも建っていたが、低層のスタンダードなホテルもまだまだたくさんあった。ロイヤルハワイアンにはまだ新館もショッピングセンターもなく、土産物といえば椰子の実で作る民芸品や蝋燭、アロハシャツとムームー、それに1ドル香水ぐらいしかなかった時代、ABCストアももちろんなかった。ブランド品を売るブティックもあるにはあったが、その数はわずかだった。

ばしゃ山リゾートはその頃のハワイのホテルを彷彿とさせ るが、とくにカウアイ島のはずれにあったポイプビーチホテルによく似ている気がした。ポイプビーチは今でこそカウアイ観光の中心だが、その当時はポイプ地域にある唯一のホテルで、海に向かって凹字型をした木造二階建て100室に満たないスタンダード・クラスだった。左右のウィングに挟まれた部分に幅10メートル・長さ20メートルほどのプールがあった。そのプールの先には小さなプライベートビーチがあり、岩場では南国の小魚たちと戯れることができた。海からの強い風を受けると建物全体がきしむような音を発したが、その音がとても心地よかった。海からの風が部屋を通り抜けられるよう客室のドアを開け放していている客さえいた。近隣にはコンドミニアムもあったが、ホテル周辺のほとんどが畑か湿地で、蛙の声がうるさいほど。あのちっぽけなホテルで、皆、気取るでもなく思い思いの方法でハワイでの休暇を過ごしていた。上半身裸のちょっと太めの白人中年が、ハイビスカスの花を髪飾り代わりにしたムームー姿のワイフを伴い、シガーにレイバンのサングラス、そしてパナマ帽という出で立ちでプールサイドを悠々と歩き回っていた。60年代アメリカの白人中産階級がいかにも好みそうな、シンプルでフランクなホテルだった。

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そのポイプビーチホテルも今はな い。80年代の初めに台風で大破して放置された後、隣地に建った高級リゾート“ワイオハイ”の一部として使われたこともある。が、そのワイオハイリゾートも90年代半ばには台風で水に浸かり休業に追い込まれてしまった。最近になってマリオット・ホテルズ・アンド・リゾートが改修して営業しているが、ポイプビーチホテルの建物は取り壊されてしまった。

記憶の片隅にあった昔日の良きハワイが奄美で甦っている。エメラルド・グリーンの水を湛えたビーチから子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてきた。その瞬間、消えてしまったはずのハワイの香りが漂ってくる気がした。ひょっとしたらこの島には正しき南島の姿が残っているのかもしれない。ぼくはとても幸せな気分になった。

南島慕情 奄美篇(4)

あわせてどうぞ 南島慕情 奄美篇(1)
南島慕情 奄美篇(2)
南島慕情 奄美篇(3)

批評.COM  篠原章
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