佐藤優さんの構造的差別論批判(まとめ)

※以下は、友人宛のメールを編集したテキストであるため、語り口調になっています。

佐藤優さんの著書・論考を読むのは疲れます。引用が非常に長い上に、文章のスタイルが難解ですよね。

でも、独特の「佐藤優ワールド」があって、それに熱中する人がいるのはわかる気がします。エリート・ネットワークの表と裏の交流と情報交換・情報操作で、世界の命運は決まっていくという基本的な文法があって、要所要所を、学問の世界や宗教の世界から引っ張り出してきた装飾で飾り立てていきます。それが、ひとつの完結した世界を提供してくれるんですね。「ほお、こんな見方があったんだ」と利口になった気になる。読者にはそれが快感なんです。

しかし、よく見ると穴がある。場合によってはボロボ ロのところもある。例の「同胞意識」。佐藤優さんのいう同胞意識って、閉鎖的な民族意識なんです。相互理解ではけっしてない。日経の大久保潤さんに対する批判についても、ちょっと突っこんでみればわかるんですが、「沖縄人に対する同胞意識」という一方通行です。「日本人に対する同胞意識」は、たぶん意図的に抜かしている。結局、被差別民だけを尊重する同胞意識なんて、逆立ちした差別意識以外何者でもない。今風にいえば、「上から目線」。そういう目線で沖縄人を見るから差別がなくならない、ともいえますね。

佐藤優さんは、元防衛次官・守屋武昌さんの著書『「普天間」交渉秘録』(新潮社、2010年)を取り上げて批判の対象としています(ASAHI.COM WEB RONZA 2011年12月11日 発行:朝日新聞)。

引用しているのは、1944年9月に生まれの守屋さんが幼少時代を過ごした宮城県塩竃市で見た光景。かつて塩竃には、米軍基地もあり米軍住宅もあったといいます。守屋さんにとって、米軍の放出品である缶詰やチョコレートの味とともに、米軍は「豊かさへの憧れ」だったようです。同書には、当時の守屋さんが仙石線に載ったときの想い出も語られています。

仙台と石巻を結ぶ仙石線は、青のビロードの張られた座椅子の米軍専用車両と、板張りの座椅子の日本人専用車両とに分けられた。日本人女性が米兵に寄り添い米軍専用車両に乗っていたら、私は不思議に思い母にその理由を尋ね、母に叱られた思い出がある。

これに対して佐藤優さんは、「重要なのは、米兵に寄り添う日本人女性に対する守屋氏のまなざしだ。自分の母親、姉妹、あるいは娘が同様の境遇に置かれることを守屋氏は小指の先程も考えていない」と、その「差別的心情」を批判するんです。

けれども、米兵と日本人女性とのカップルを好奇に思う守屋少年の心は素朴です。どう考えても批判の材料にならない。長じてその想い出を振り返っている守屋さんの心情にも差別の臭いがあるとは思えない。このシンプルな文章のどこを指して「(自分の血縁が)同様の境遇に置かれることを守屋氏は小指の先程も考えていない」と批判できるのか、よくわかりません。「母もあの女性と紙一重だった」と書けば良かったのでしょうか。「ああした女性が二度と生まれない社会を作りたい」と誓えば良かったのでしょうか。それとも、「好奇の目で見た自分の差別的心情を自己批判したい」と告白すれば佐藤優さんは満足するのでしょうか。

守屋さんは同書で、1975年3月に初めて沖縄を訪れたときの印象も述べています。

ベトナム戦争は終わりに近づいていたが、嘉手納基地からは戦闘機ファントムIIが轟音とともに次々に発進し、日が燦々と照りつける沖縄の空に、矢のように垂直に上がっていった。一方、基地の金網のすぐ外側には、米軍に土地をとられた住民たちが密集して暮らしていた。私はそのコントラストを見て、「ここは日本なのか」と思った。私が在日米軍再編に係った時期、脳裏にあったのはこうした事実だった。特に沖縄の基地問題を考える時、少年時代に見続けた占領下の光景がまざまざと立ち現れた。

守屋さんのこの回想も佐藤優さんは厳しく断罪するんですね。

少年時代、仙石線で目にした米兵に寄り添う日本人女性に対するのと同じまなざしで、沖縄の基地問題を守屋氏は見ている。これがまさに構造的差別者の視座なのである。

守屋さんの回想は、防衛省エリートらしからぬウェットな筆致で描かれています。彼の防衛省における立場を考慮すると、無責任だというそしりは免れないかもしれない。だが、「基地の島・沖縄の現実」を見て素 直にそう感じたことはまちがいないと思います。これは差別意識、構造的差別でしょうか。たしかに、当事者意識に寄り添うものではないかもしれない。だからといって、佐藤優さんのいう「本人も意識していない差別意識」を、こうした印象から読み取るのは困難だと思います。もしこれを差別的心情というなら、沖縄を仕事や観光で訪れるほとんどすべての人が差別者になってしまう。差別者のレッテルから逃れるためには、当事者意識に近づくための想像力を思い切り働かせ、「基地よ出ていけ」と赤字で染め上げた旗でももって沖縄を旅するほかなくなります。

守屋さんが、普天間基地移設に関して、「沖縄」の協力を前提としない基地内移設、すなわち辺野古移設(辺野古移設は形式的には新基地建設ではなく、キャンプ・シュワブへの移転)を推進したことが、佐藤優さんの批判の原点です。守屋さんは、沖縄との交渉の過程で「基地内移設ならOK」という判断に至ったんです。「沖縄」を交渉の相手とせず、というのが守屋さんの姿勢だったと佐藤さんはいい、この姿勢を「構造的差別」と佐藤優さんは断じた。返す刀で、守屋さんの幼少期の記憶まで構造的差別だと批判したんです。ところが、守屋さんは、沖縄の「政治エリート」や企業など既得権を持つ集団からの強い要求を勘案しながら、調整案として辺野古を提案し、沖縄側からさらに微調整を強いられた。「辺野古移設案」も「辺野古陸上案」も「V字型滑走路案」も、沖縄からの要求だったんです。その要求を調整しながら、コトを推進しようとしたんですね。政治的圧力の勘案とか既得権の調整といった手法をめぐる評価は分かれるでしょうが、これは政治的駆け引きであって差別とは異なるレベルです。「沖縄だからこうしたやり方をとった」わけじゃありません。日本じゅうのどこでも、世界じゅうのどこでも、起こりうることです。こうした調整活動を差別というなら、三里塚の農民に対する強権的な土地収用こそ卑劣であって、まさに「差別」の象徴と考えなければいけないと思いますよ。

佐藤優さんは、日本と沖縄との歴史的関係まで含めた「構造的差別」を問題にしているのでしょうが、「琉球は武器のない平和国家」という歴史的誤解や「琉球処分は植民化」という一方的評価を鵜呑みにした上での主張だから、その論理の基盤はきわめて脆弱です。要するに、佐藤優さんの「構造的差別」に確たる根拠などない。にもかかわらず、このことばを多用するのは、以前にも書いたとおり、佐藤優さんが、自分自身の安保防衛構想に基づいた沖縄における自衛隊増強計画を実現するための方便にすぎない、と思えます。

人間社会にはそもそも格差がある。そして差別がある。人は皆、出自で差別され、学歴で差別され、性で差別され、富で差別され、容姿で差別され、宗教で差別される。けれども、差別者も被差別者であり、被差別者も差別者であるという、「入れ替わり」も日常的に起こる。まさに日本〜沖縄〜宮古八重山の関係ですよね。みな、差別の連鎖のなかで生きている。その意味で、人はみな、平等に差別者であり、被差別者である、ということになります。そうした社会的な外皮をひっぺがしていけば、日本人も、沖縄人も、宮古人も、八重山人も、インド人も、パレスチナ人も、ボリビア人も、みな限りなく同じになる。たかが一個の人間にすぎないということになる。そして、一個の人間として、他者に対して共感や共生感を抱きながら、共生関係・共同体をつくっていく。共生関係がつくれないとすれば、その原因の多くは、内部にはびこる階級社会的要素の固定化と経済的問題ですよ。逆にいえば、階級社会と経済問題さえ解決すれば、共生関係は構築しやすいし、差別も極小になる。

佐藤優さんだって、そんなことにはとおの昔に気づいているだろうけど、経済が差別を解消する力になる、とはけっしていわない。一個の人間の集合体が国家を作るとも絶対にいわない。「エリート」の交感・交通が国家や国家間関係を作るといいつづけている。可愛らしくいえば元外務省職員という職業病ですが、結局は、エリート同士が対立を繰り返しながら先導する階級的民族主義が想定されている。

そもそも「日本民族VS沖縄民族」なんていう構図に、ほとんどの人はピンと来ない。民族意識なんて生活レベルではほとんどありません。でも、それを自覚して、克服せよと号令をかけるんです。結局、民族意識にめざめよ、という発想なんですね。

別の例えでいえば、インド人とつきあえば、「なんだインド人だって俺たちと同じじゃん」と思う局面と、「インド人はやっぱ違うね」という局面とふたつある。「やっぱ違うね」を強調・拡大していけば、民族主義に行き着く。「なんだ同じじゃん」を強調・拡大していけば、民主主義に行き着く。

ぼくは近代がもたらした果実を、「民主主義」と「ヒューマニズム」のふたつだと思っていますが、これは「なんだ同じじゃん」の思想なんだと思います。「なんだ同じじゃん」を前提にしても争いは起き、不幸は容易になくならないけれど、「やっぱ違うね」よりはるかにマシだ。

ところが、佐藤優さんは、「沖縄人はやっぱ違うね」 ということを前提とした国家統合を求めている。ご丁寧にも、今までの「やっぱ違うね」は差別の意味だったが、これからの「やっぱ違うね」は尊敬の意味だ、という。でも、「やっぱ違うね」は「やっぱ違うね」だ。差別といおうが、尊敬といおうが、差異を前提としている。

差異はある。人間社会にはつきものです。だが、差異にこだわる国家統合は、やはり対立を内包してしまうと思います。「やっぱ同じじゃん」という発想の国家統合や国際関係じゃなければ、力と力の対決は避けられない。そういうことを、ぼくたちは世界大戦を通じて学んできたはずですよね。民族主義をベースに「異文化尊重」で味付けした佐藤流の処方箋は、「差異や差別の克服」という永久運動を伴うもので、差異や差別がなくなったらダイナミズムを失います。差異がなくなれば、またあらたな差異をつくりだす。佐藤優さんの主張とは裏腹に、「人為的な差別」をつくりつづけないと、前に進まないシステムです。これはどう考えても民主主義やヒューマニズムに反します。

「沖縄の歴史と文化は大切だ」 そりゃそうですよね。

「日本の歴史と文化は大切だ」 そりゃそうですよね。

しかし、日本の歴史・文化と沖縄の歴史・文化は重なり合いながら時を積み重ねてきたんです。植民(吸収)もあるだろうし、融合もあれば、共存もある。が、重なり合いながら来たという事実がいちばん大切なんであって、一方が他方に「強制した」という歴史観だけで判断すると、見えなくなるもののほうが多い。歴史や文化の意義が霧散してしまう。独自性すら見いだせなくなる。一個の人間として、相互の歴史と文化を理解しなければ、前にも進めない。佐藤優さんの「一方通行」では、「差別者」は頭を下げることによってしか、理解を得られない。

佐藤優さんは、国家はある種の幻想によって意思決定に導かれるという。アメリカでいえば民主主義という幻想だと述べています。「俺たちの民主主義はすげえんだぜ」というわけです。佐藤優さんは、「ホントはすごくない」というニュアンスもこめていますが、そういう幻想を尊重する外交が大切だという。「なるほど」とは思いますよね。「あんたの民主主義はすごいねえ」というふうにおだてながら、外交に臨むことが大切だという意味です。

この理論は、沖縄にも当てはめられている。「天命により導かれてきた国家・琉球」ということをいっています。で、その天命の説明のために、王朝の最高神女・聞得大君(きこえおおきみ)や久米島の最高神女・君南風(きみはえ)の呪術的な儀式が取り上げられている。そういう神的・呪術的な儀式にもとづく意思決定の伝統を尊重せよ、ということまでいっている。要するに沖縄という異国の幻想を尊重した外交術が大事なんだという主張ですね。アメリカについては「なるほど」と思った人も、聞得大君ときいて納得するでしょうか。沖縄人自身が納得しないと思いますよ。現代に生きる人に違和感があるのはもちろんですが、歴史的に見ても、それほど独自なものなのかどうかは怪しい。じゃ、天皇家の儀式はどうなのよ。聞得大君も天皇家と同じじゃん、ちっとも独自じゃないじゃん。われわれ自身が天皇家の儀式を尊重してきていないのに(おそらく歴史的にもそうです)、どうして聞得大君の儀式なんぞを尊重して沖縄を「外国扱い」しなきゃならんのよ。

いつもそうだけれど、歴史的・文化的にも「沖縄は独自」という点を強調しすぎるのも過ちです。ねぶたとかなまはげだって相当独自ですよ。中国地方の神楽だって、他の地域とはかなり違いますよ。宮崎や鹿児島の民謡だって他では聞けないものがいっぱいありますよ。現代の東京中心の文化からすれば、日本の各地方の伝統文化は、想像以上の多様性も独自性をもっています。たいていのものは沖縄よりもむしろ古いし。沖縄内部だって、古いものはみんな宮古・八重山じゃないですか。だいたい「安里屋ユンタ」だって竹富島のもので、それをアレンジして今のかたちに直し、「沖縄」民謡の代表曲だと誤魔化しているわけです。観光客が接している文化のほとんどは、戦後にかたちづくられたものです。料理すらそうじゃないですか。ぼくはそうした沖縄文化のなかにも、ユニークなものはやはりたくさんあると思いますが、すべてが「独自」な わけでもなければ、「伝統的」なわけでもない。そのあたりはきちんと峻別しないといけないと思っています。

 

 

批評.COM  篠原章
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