落日の「オール沖縄」— 県職員にNOを突きつけられた翁長知事

「選挙のためなら何でもする。安保も基地もへったくれもない。独立だって口にする」
と翁長雄志沖縄県知事が発言したわけではありませんが、端から見ていると翁長知事の「本音」はこんなところにあるのではと、邪推したくなるような「事件」がたびたび起こっています。

昨日(1月23日)は、腹心の安慶田光男副知事が、職員人事・教員採用への介入(口利き)問題で辞任を表明しました。新聞などでは「口利きは未遂に終わった」と報道されていましたから、「実害はなかった」ことになります。「実害はないのだから辞任する必要はない」という声もあるようですが、翁長=安慶田体制が、これまで発令してきた選挙絡みとも思える人事案件を見るかぎり、「実害はあったに違いない」と考えるのが常識だと思います。

翁長知事は安慶田副知事とともに、2014年12月10日の就任以来、数々の情実人事を「発令」してきました。正確にいえば(選挙の)「論功行賞」ともいえるような強引で露骨な人事ばかりです。翁長知事が「選挙こそ政治の本質」と考えるのは勝手ですが(たしかに一面の真理です)、選挙の際の活躍の度合いに応じて人事を決めてきたとすれば、それは合法・非合法にかかわらず、倫理的に問題のある人事との誹(そし)りを免れません。

就任翌年の6月18日付で沖縄県の観光振興を図る目的で設立された外郭団体・沖縄観光コンベンションビューローの会長に、県内で多数のホテルを展開する「かりゆしグループ」の総帥・平良朝敬氏を起用、翌17日付で沖縄都市モノレール社長に県内建設業大手の金秀グループの幹部・美里義雅氏を充てています。周知のようにかりゆしグループと金秀グループは、知事選の際に翁長氏を積極的・精力的に支援していました。6月22日付で県物産公社社長に就任したのは、知事選に先行して行われた沖縄市長選の候補だった同市前副市長・島袋芳敬氏。島袋氏は翁長氏が率いる「オール沖縄」の候補者として出馬しましたが、非翁長系の桑江朝千夫候補(県議)に敗れています。

こうした論功行賞人事が、県の外郭団体などで行われているのは「利益誘導」そのものですから大きな問題ですが、県庁職員など公務員の人事にも、庁内の序列や慣行などを無視して「政治力学」を重視する翁長・安慶田両氏の意向が過剰なまでに反映されることが多く、職員の間ではしだいに反発が強まっているようです。この時期に教員採用や教育庁人事に対する安慶田副知事の「介入」が職員の側からリークされ、安慶田氏が辞任に追いこまれたのも偶然の出来事ではありません。春の人事異動を控えていたこの時期だからこそ起こったリークだと考えるべきでしょう。それだけ人事に関する職員間の不満が高まっていたことの現れです。こうした不満こそまさに「実害」の証明です。

とりわけ教育委員会の人事は、翁長知事の発令する人事のおかげで大揺れに揺れていたと見てよいでしょう。今回矢面に立っている平敷昭人教育長は2016年度の人事で就任していますが、「25年ぶりの知事部局からの起用」として話題になりました。つまり、それ以前の25年間にわたり教育委員会内の昇格人事の対象だった教育長ポストが、知事部局に奪われてしまったのです。この件については、「平敷昭人教育長」が発表された時点で沖縄タイムスも懸念を表明していました(2016年2月11日付記事「【解説】知事部局から教育長 教育現場に困惑と懸念」 )。その沖縄タイムスが、今回の安慶田口利き問題をすっぱ抜いたのも偶然とはいえません。タイムスが教育委員会内部の不満を汲み取る形であえて報道したとみるべきでしょう。知事部局内の人事についても不満を抱く職員は多数存在するといわれており、今回の一件は、「人事をめぐる県庁と教育委員会との対立」というより、人事を政治的に操ろうとする翁長=安慶田体制に対する行政の側からの反発の表れと捉えたほうが適切だと思います。

そもそも副知事人事からして、従来の慣行を大きく逸脱するものでした。大田県政以来仲井眞県政にいたるまで計20名の副知事が誕生していますが、各知事とも県庁職員、財界人、識者(教員など)をバランス良く配してきました。政治家からの起用は、大田知事時代の山内徳信氏(読谷村長。副知事を経て国会議員に当選)1人でした。ところが、翁長県政では、那覇市議だった安慶田氏と県議だった浦崎唯昭が副知事に起用されました。ふたりとも政治家です。これはきわめて異例の人事だといってよいでしょう。「政治的配慮」が何よりも優先した結果だと思われます。

「選挙こそ政治」という翁長知事の姿勢が、「オール沖縄」を生みだし、「オスプレイ反対」「辺野古反対」を定着させたことはよく知られていますが(「選挙対策としての基地反対」)、外郭団体、役所の人事まで選挙に絡めてきわめて政治的なかたちで利用する翁長体制に対する反発が、翁長知事の足元ともいえる県庁や教育委員会から生まれつつあります。これは、「オール沖縄」の落日(内部崩壊)の兆しとみて間違いないでしょう。「策士、策に溺れる」とはまさに翁長知事のためにある言葉です。

批評.COM  篠原章
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