「瓦全」でいこう!
このところ「玉砕」という言葉がとても気になっている。戦中期、多くの日本人が「玉砕」を覚悟し、敵が上陸すれば、戦いの果てに最後は自決する覚悟だった。実際、アッツ島や硫黄島を始め、南洋や北洋の多くの島々で日本軍は「玉砕」し、一部の軍属や住民はそれに倣った。自決のための手榴弾を必ず一つは残すのが習わしだったという。沖縄戦では、軍人だけでなく多くの住民が「玉砕」した。軍命があった かなかったかが問題になっているが、当時の国民はみな玉砕を覚悟することを求められ、多くは玉砕を覚悟をした。悲しいことだが、それは事実である。
戦後、生き残った者たちは玉砕のことは忘れた。「忘れようとした者」も少なくなかったろう。昭和20年の二学期が始まると、一学期まで「玉砕」を叫んでいた教師たちが、「平和」を唱え、「民主主義」を教えるようになっていた。子どもたちは驚いたが、進駐軍がチョコレートを配り、ララ物資を持ち込むと、平和と民主主義は空腹を満たしてくれるものだと、みな心から喜んだ。「玉砕」は歴史の1ページになった。
「玉砕」の対義語は「瓦全」である。「玉砕」は、玉(宝玉)のような貴重なものが砕け散ることを意味するが、「瓦全」は瓦のような価値のないものがおめおめと生き残ることを意味する。「玉砕」の立場に立て ば、生き残った日本人は「瓦全」だ。おめおめと生き残り、「玉砕」という価値観の対極にあるような民主主義を信じた。
ぼくは「玉砕」が死語になってよかったと思っている。民主主義の時代になってほんとうによかったとつくづく思っている。人はみな瓦全、一億瓦全だ。おめおめと生き残っている。加川良「教訓I」ではないが、おめおめと生きることは無上の喜びだ。だから、価値のないぼくたちがおめおめと生きることを許してくれる国家こそいい国家だと思う。おめおめと生きる条件を整えてくれる政府こそいい政府だと思う。
だが、「瓦全」をモットーに生きる生き方は意外に難しい。「瓦全」は「瓦全」なりにたいへんなのだ。その理由の一つは、「瓦全」は許しがたい、という人びとが少なからず存在するからだ。もともと瓦全に理論 など備わっているはずもない。おめおめと生きているだけである。ところが、反瓦全派の人たちの理論武装はバッチリだ。あの手この手で瓦全派の陣地に攻めこんでくる。厄介なことに、その反瓦全派も一枚岩ではない。「国家のために玉砕せよ」と迫るような、原理主義的ナショナリズムの闘士もいれば、「反米」や 「反核」や「環境」を旗印にした過激な運動家もいる。ときに彼らは「あんたたち瓦全のために命をかけて闘っている」とまでいう。「そっか、俺たちのために闘っているのか」と感謝しなければならないのかもしれないが、瓦全派のぼくたちのなかには、「そんなの余計なお世話じゃん」という感情も強い。「瓦全を認める社会」は、そんな単純な反体制運動に裏打ちされてはいないはずだ。
反瓦全派は言葉の数も引き出しの数もたくさん持っているから、一筋縄ではいかない。彼らがどんな真理を求めて闘っているのか知ることも必要だ。おめおめと生きているぼくたち瓦全派も、やむなく理論武装しな ければならなくなってしまう。ほんとうは逃げ回りたいのだが、どこかで必ず通せんぼされてしまう。通せんぼをやり過ごすには闘うほかないない。ときには不毛な論争も、敢えて引き受けなければならない。「価値」の問題も「意味」の問題もどうでもいいのだが、「小さな幸福」を積み重ねたいばかりに、ぼくたちは 「大きな幸福」を主張する人たちと同じ土俵で勝負しなければならなくなる。戦況もつねに厳しいが、反瓦全派の人たちにこれ以上介入されるのは「イヤだ」と いう思いがあるから、闘いの場に渋々出ていく。
どうしてこんなことになるのだろうと思う。 「瓦全」を得るために、ヘタをすれば「玉砕」しかねない。ただ、おめおめと生きたいだけなのに実に理不尽だ。
こうした事態を迎えた原因を探っていくと、再び 「玉砕」という言葉が立ちはだかる。戦後、多くの文学者が「文学者の戦争責任」を論じてきたが、この手の議論に実は決着がついていないのではないか。「玉砕」についても十分考え抜かれてはいないのではないか。そうした思いが最近強くなってきている。「玉砕」に決着がついていないから、「瓦全」も理解されて いないというわけだ。
「玉砕を叫んでいた教師が平和を唱える瓦全になった」ことが問題なのではない。「玉砕を美化する小説を書いていた文学者が民主主義を賛美する瓦全になった」ことが問題なのでもない。もっと踏み込んでいえば、「玉砕の背景に天皇の神格化や軍国主義があった」ことも大きな問題ではない。むしろ「天皇の神格化が行われ、軍部が台頭することになった」理由とその経路こそ問題なのではないか。日本という国が「戦争」や「侵略」を選択したメカニズムこそ問題なのではないか。それは本質的に正義・不正義の問題でもなけ れば、倫理や宗教の問題でもない。経済的な環境変化への対応と民主主義(文化)の受容の問題だとぼくは思っている。
大江健三郎は『沖縄ノート』で、慶良間諸島における 日本軍将校の、住民に対する「玉砕の強要」を虐殺だと主張し、日本軍国主義という「悪」をあらためて告発した。曾野綾子は大江のいうような虐殺はなかったと反論した。そうした議論が無意味だとぼくは思わない。事実の追求は必要だろう。だが、「平和運動」が大江健三郎の主張を土台にするかぎり、戦争という不幸な選択は繰り返される。「軍国主義の復活は許さないぞ」「憲法第九条を死守するぞ」というスローガンだけで平和が実現されるとはとても思えない。おめおめと生き残ることは不可能だ。世界はそれほどシンプルじゃない。一国が、あるいは一国の国民が「戦争」を選択するメカニズムこそ追求すべきではないのか。 もっと文学的にいえば、一国が戦争に関わるメカニズムを玉砕教師が瓦全教師に転ずるプロセスと結びつけて考えるべきではないのか。
いずれにせよ、ぼくは瓦全だ。瓦全である状態を愛している。耳障りのいい政治的スローガンに左右されたくはない。既存の国家や、政府や、政治的党派やその理念に翻弄されたくもない。簡単にいえば究極のノンポリでありつづけたいと願っている。ノンポリでありつづけるために、ノンポリの障害となるものと闘い続ける。その闘いで命が危なくなったらどうするって? そうなったら、もちろんぼくは逃げ隠れする。けっして玉砕なんてしない。おめおめと生き残るために、ヤバクなったら遁走するに決まっている。