安田純平氏解放—なぜトルコとカタールなのか?

サウジアラビアの「反体制」記者、ジャマル・カショギ氏が在イスタンブールのサウジアラビア総領事館で殺害されたというニュースは、カタールの放送局・アルジャジーラが第一報を伝えたといわれる。その後もアルジャジーラは、「カショギ氏は7分間で殺害された」などといった、インサイドの生々しい情報を発信し続けている。

他方、菅義偉官房長官によれば、シリアのイスラム過激派に3年にわたって身柄を拘束されていたジャーナリストの安田純平氏が解放され、トルコ国内で保護されているという情報も、カタールからもたらされたという(10月23日夜の緊急記者会見)。2人のジャーナリストの有力な消息情報がカタールからもたらされた、という点がクローズアップされている。

いうまでもなく2つの事件はトルコが絡んでいる。カショギ氏はトルコ滞在中に殺害された。安田氏はトルコ経由でシリアに出国して拘束され、解放後はトルコで保護されている。

カタールが、トルコと阿吽の呼吸で「代理人」のような役割を演じている理由は何か? 実は近年のカタールにとってトルコが最大の支援国だからである。昨年6月、サウジおよびUAE(アラブ首長国連邦)がカタールと国交を断絶し(その後中東各国が追随)、カタールは今中東で孤立状態にある。断絶により、サウジやUAE経由で入ってきていた物資が途絶えたカタールは困窮状態に陥ったが、トルコがその窮状を救った。

サウジなどがカタールと断絶したのは、(1)カタールが、サウジなどアラブ諸国と敵対するイランと友好的な関係にあること、(2)カタールが、サウジがテロリストと見なすムスリム同胞団を支援していること、(3)カタールでは、西欧化が進み、伝統的なイスラム(スンニ派)の律法・戒律が軽視されていること、などを理由としている。

他方、サウジもカタールも米軍が基地を置く親米国である。ただし、サウジでは一時反米感情が高まったため、駐留米軍の大半が撤退したのに対し(現在は数十人の駐留に留まる)、カタールには今も中東最大の米軍空軍基地(Al-Udeid空軍基地)が置かれており、約1万人の米軍部隊が駐留しているといわれる。

米国はサウジとカタールとの不安定な関係に頭を抱えているが、だからといって積極的な調整役を引き受けているわけではない。トランプ政権になってから、米国はイランとより激しく敵対する一方、サウジ(ムハンマド皇太子)とより緊密な関係を構築しており、イランに友好的な政策をとるカタールとの関係はぎくしゃくしている。その一方で、イランに対して睨みを効かせるためには、カタールの米軍基地が不可欠であり、米国はカタールを切り捨てることができない。しかも、後述するように、カタールは米軍・米軍需産業にとって優良顧客の1つであると同時に、ティラーソン前国務長官がCEOを務めていた米大企業、エクソン・モービルの拠点の1つでもある。

トランプとエルドアンがそれぞれ大統領が就任してから、米国とトルコの関係は悪化している。10月12日にトルコで身柄拘束されていた米国人牧師が解放されて以来その関係は改善の方向に進んでいるとされるが、2016年にはカタールにトルコ軍基地を設置するなど、エルドアン大統領にはサウジを刺激する行動や発言も多く、トランプ大統領もトルコにはつねに警戒的な姿勢で臨んでいる。

こうした各国の関係を一層複雑にしているのは米露関係である。サウジもカタールもトルコも、米軍需産業の上客だが、近年、ロシアからの兵器購入(最新鋭地対空ミサイルS-400)も積極的に進めようとしているのだ。

トランプ大統領は、国内選挙の対策上、キリスト教福音派と緊密な関係にあるイスラエルを重視した中東政策をとっている。ところが、中東地域全体の秩序にはオバマ前大統領ほどの関心もない。彼の関心は、もっぱら「兵器市場としての中東」に向けられているように見える。売却できる兵器の種類を選別しながら、中東にできるだけ利の厚い兵器を売りこもうとしている。最近では、最新鋭迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD/サード)」を150億ドルで売却することに成功した。THAADだけではない。ここ十年近く、サウジは米国軍需産業にとって最大の顧客なのだ。サウジの盟邦UAEがそれに続き(第2位)、なんと第3位はトルコである。カタールも米軍需産業の上得意で、近年ではRaytheon社製AN/FPS-132 Block5という長距離レーダーシステム(総額10億ドル)の購入契約を締結したほか、F-15戦闘機36機を$120億ドルで購入することで合意しており、THAADの購入も検討中だという。

米国がその中東政策を、ビジネスや国内の選挙を優先しながら進めてきた結果、中東の結束は崩れ去り、各国の利害対立が顕在化するようになった。ロシアはその隙に乗じて中東地域への影響力を強め、S-400という兵器まで売りこむようになっている。トランプ大統領は、NATO加盟国として初めてロシアから兵器(S-400)を購入したトルコを責め立てるが、その原因を作ったのもトランプ大統領の米国だろう。S-400についてはすでにサウジが購入を決めており、カタールも購入を希望しているという。

こうしてみると、米国のちぐはぐな中東政策とぎくしゃくした米露関係が、サウジ、トルコ、カタールをめぐる混乱の主因と考えてよいだろう。併せてこの混乱を好機とみた中国が、中東に触手を伸ばしているという事実にも注目する必要がある。たとえば、カタールは中国CPMIEC社製のJARM(地対地ミサイルシステム)を購入済みだ。米国のちぐはくな中東政策のせいで、「いちばんの漁夫の利を得るのは中国だ」という観測すら出てきている。

カショギ氏の殺害は、米国の方向の定まらぬ中東政策がサウジ、トルコ、イランの覇権争いに影響を与えるなかで起こった。今回の一件で、サウジに不利な情報を積極的に発信するエルドアン大統領には、ムハンマド皇太子の権力を弱体化させ、サウジとの関係を自国に有利なものに変えようという思惑が見え隠れしており、皇太子を守ろうとするトランプ大統領への圧力ともなっている。一連の事態は膠着したカタール=サウジ関係をカタールに有利なかたちで進められるきっかけにもなるから、サウジに嫌われているカタール(おおよびカタールのアルジャジーラ)はトルコと一体になってサウジを非難するメッセージを発信している。両国の共同作戦が功を奏して、今のところ明らかにサウジは劣勢だ。

安田純平氏の解放も、以上のような中東情勢を背景に実現したものだろう。少々踏み込んでみると、親日国であるトルコとカタールからの日本へのメッセージと受け取ることも可能だ。「我々は日本のために動き、日本人ジャーナリストを救ったのだから、日本も我々のためにそれ相応の努力をすべきだ」というメッセージである。米国やサウジに同調するのではなく、日本にはトルコやカタールの立場を考慮しながら動いてほしい、ということを意味する。日本に求められている姿勢は「静観」や「長いものに巻かれろ」ではなく「調整」だということだ。日本に調整役が務まるかどうかは怪しいが、もはや対岸の火事では済まされないことは確かだ。日本はサウジとUAEに原油を依存し、カタールに原油とLNGを依存している。ついでにいえば、ロシアも石炭とLNGの主要供給国のひとつだ。中東情勢の安定と米ロ関係の安定はこの国の安定でもあるのだ。

批評.COM  篠原章
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