沖縄の政治に希望はあるか?— 安里繁信私論

長い間、沖縄の政治には希望がないと思っていた。

口のきき方も知らぬ田舎政治家、銭だけが目当ての利権屋、時代遅れの見果てぬ夢にしがみついている亡霊のような左翼かぶれ。沖縄のすべての政治家がこの3つの類型のどれかに当てはまるから、沖縄に未来などない、中国にでもなんでも身売りしてくれ、俺は知らねーぞ、とまで思ったこともある。

安里繁信と初めて話すことになったとき、繁信など小ざかしい利権屋の代表で、振興策を食い物にしている輩だから、うわべだけのお付き合いでいいだろう、と思っていた。

ところが、振興策について口を開いた繁信は、振興策の実態を批判して再編成が必要だと滔々と述べた。びっくりした。

沖縄の人はみな振興策がいいだの悪いだのいうが、中身をよく知っている人に出会ったことなどついぞなかった。右だろうが左だろうが、結局は振興策がほしいのだ、額が大きければ大きいほど嬉しいんだ、というのが、繁信に会うまでのぼくのウチナーンチュ観だった。

「振興策は使い途と効果が大事」

繁信はあたりまえのことをいったにすぎないが、そういうあたりまえのことすら大概のウチナーンチュは口にしなかった。

世評とはだいぶ違う人物だと思った。「なかなかやるな」が実感だった。それでも繁信に対する疑いは晴れなかった。

繁信との二度目の邂逅はロバート・D・エルドリッヂ(元大阪大学大学院助教授・元在沖縄米海兵隊外交政策部次長)が仕掛けたものだった。エルドリッヂは「沖縄のリーダーは皆ろくな安保観をもっていない。でもたった1人、まともな安保観をもった人物がいるから紹介するよ」といって、ぼくを東京から呼び出した。エルドリッヂが紹介してくれたのはなんと繁信だった。

繁信は、日米同盟の必要性、沖縄の米軍基地の有用性を認めつつ、過剰な基地負担はしっかり軽減すべきだという見解を述べた。中庸な安保観だが他のウチナーンチュの主張には見られないリアリティがあった。なぜなら、東アジア情勢や日本全体の国防・安全保障にも十分目配りしていたし、跡地利用についても具体的なプランを持っていたからだ。現代の戦争のきっかけはほぼすべてエネルギー問題だが、そうした歴史的経緯に関する見識も備えていた。エルドリッヂが褒めるのも当然だな、と思った。繁信を見直した。

エルドリッヂに背中を押されるかたちで、繁信との意見交換はその後もつづいた。繁信が実に広範囲にわたる行政や政策に通じていることがわかった。振興策の問題点や沖縄の行政の問題点についてぼくが触れると、いつも明快な答えが返ってきた。医療や福祉についてもはっきりしたスタンスを持っていた。大金が投じられている沖縄県や国の事業についても詳しかった。それぞれ事業の問題点についても、彼と共有する部分が多かった。

ところが、沖縄の、とくに50代以上の友人・知人の多くが「安里はね。自分の利益しか考えないから」「何も知らない癖に偉そうなことをいうから」といって繁信には否定的だった。右の人も左の人もである。「繁信にカネで取り込まれたんじゃないの」と失礼なことをいう連中もいた。

だが、繁信を批判する年輩者の多くが、繁信とほんの1〜2回しか会ったことのない人たちだった。沖縄の政治や経済について、繁信と突っこんだ話をした人もいなかった。繁信とは一度もあったことのない人まで繁信を批判した。「カネの亡者」「小生意気な利権屋」というのが大方の評価だった。

ぼくもそこそこ年を重ねてきているので、カネの亡者の匂いぐらいは嗅ぎ分けられる。カネの亡者というのと、事業で利益を追求するというのはまるで違う。シンバグループを沖縄有数の企業グループにまで育てたあげた繁信が、利益を追求してきたことはまちがいない。取引上のいさかいや争いもあったことだろう。だが、それはビジネスにはつきものだ。カネの亡者とは、物事の判断基準をすべてカネに還元するような人たちだが、繁信にそうした匂いを感じたことはただの一度もない。

それでも風評は気になる。心のどこかに、魚の小骨のごとく引っかかっていた。

不安を一掃してくれたのは、映画『てぃだかんかん〜海とサンゴと小さな奇跡〜』のモデルでサンゴの養殖で知られる金城浩二さんだった。

昨年3月、金城さんが読谷で安里の応援スピーチをするという話を聞き、予定を変更して東京から読谷まで駆けつけた。金城さんについては、たまたま観て知っていた『てぃだかんかん』以上の知識はなかった。顔はもちろん、実は名前もろくに知らなかった。でも、岡村隆史が演じた人物像は頭に焼き付いていた。映画の主題歌も、ぼくがもっとも敬愛する山下達郎の「希望という名の光」だから、なんだか因縁を感じていた。

壇上に立った、ちょっとぶっきらぼうな作業服姿の中年の男、それが金城さんだった。映画での金城さんがサンゴの養殖で苦労したのは知っていたが、辺野古の活動家や国や県の役人の冷淡な対応の話は映画のなかに出てこなかったと思う。ちょっと想像力を働かせれば、養殖それ自体の苦労に加えて、政治や行政の無理解、エコロジストやアクティビストの唯我独尊に苦しめられることなどわかったはずだが、初めて聴く話だったので大きなショックを受けた。ぼくは自分の無知と不徳を恥じた。

だが、話はそれだけで終わらなかった。何もかもがうまくいかず、孤立無援の状態に置かれた金城さんを救い出したのは繁信だったというのだ。これにはひっくり返るほど驚いた。

何の縁もない金城さんのサンゴ養殖にかける熱意にほだされた繁信は、仕事の合間を見ては読谷村に通い、共に海に潜り、サンゴの養殖が少しでも前に進むよう、コネクションを駆使して関係者を引き摺りこみ、ついには金城さんのサンゴの養殖を成功に導いたのである。一銭の得にもならない他人の事業だが、繁信は金城さんの夢を信じて、自分の力を惜しみなく注ぎこんだ。それは金城さんのためというよりも、金城さんの沖縄の海を守りたいという情熱を、繁信が共有したからだと思う。

「繁信の友情と助力がなければ夢を成就できなかった」という金城さんはつづけた。

「右でも左でもない、安里繁信こそ沖縄の未来にとって唯一の希望なんです」

金城さんの言葉は胸に染みた。恥ずかしながら涙が止まらなかった。鼻水をすすり上げながら、スピーチを終えた金城さんのところに走り寄って感動を伝えた。ぼくは「かっこつけしい」だから、人の話を聞いて感動しても、そんなことをおくびにも出さないよう努めている。ふだんなら何事もなかったかのように平静を装い、その場を立ち去るだけだ。

が、この時ばかりは、金城さんとどうしても握手を交わしたくなった。泣きじゃくりながら、「東京から来た篠原です」といった記憶はあるが、あとは何を話したか憶えていない。ヘンな奴がいるもんだな、ぐらいにしか思われなかったろう。恥ずかしい姿を人前でさらしたことは後悔したが、金城さんの繁信の話を、ぼくはこのときしっかりと胸に刻みつけた。

沖縄の政治にも大きな希望がある。繁信をネガティブに評価している人たちがとても気の毒に思えた。

もちろん、金城さんの「安里繁信観」が唯一のものではないだろう。ぼくの場合、そのお付き合いはせいぜい3年だから、それ以前の繁信には責めを負うべき点もあったのかもしれない。

だが、はっきりいえることはある。繁信が50年先の沖縄を構想しながら、ひとつひとつの仕事に向き合っていることは疑いの余地がない。彼が「無私」であるとはいわない。が、少なくとも人と交わした約束にはつねに誠実である。そして彼の沖縄の未来を観る目は誰よりも温かく、確信に満ちている。ぼくとは見方の違う問題もたくさんあるが、それは大した問題ではない。

安里繁信。政治家としての資質はまちがいなく第一級である。

 

※動画は2019年7月11日開催「あさと繁信1万人総決起大会」より。

批評.COM  篠原章
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