『はっぴいえんどの原像』は明日発売です! サエキ×篠原対談番外編(11)「松本隆の再評価をめぐって」
『ゆでめん』から53年、はっぴいえんどとは何だったのか?……
『はっぴいえんどの原像』発売記念トークスペシャル
2023年1月20日、リットーミュージックからサエキけんぞう×篠原章『はっぴいえんどの原像』が発売される。
当サイトでは、サエキ・篠原による〝はっぴいえんど〟をめぐる対談を6回にわたって掲載したが(2015年)、その内容は『はっぴいえんどの原像』の土台の一部になっている。そこで、今回この対談を編集したうえ『はっぴいえんどの原像』番外編として分割再掲載する。
番外編(11)は「松本隆の再評価をめぐって」
ロックはアニメの付随物?
篠原章「“ゆでめん=吹っ切れる前”、“風街以降=吹っ切れた後”で、2014年のこの時代の同じ場所をめぐっている感じがある。『ゆでめん』で暗いのは、何かを生みだせるのか生みだせないのか,よく分からないところに原因があると思いますね。希望を持てるのか持てないのか、と言い換えてもいいかな。」
サエキけんぞう「今の若者は、孤立というよりは、もしボッチなら、疎外みたいな感じかな?当時の焦燥感は、今なら、恐怖だったりするかもしれません。〈暗いのは、生みだせるのか生みだせないのか,よく分からないところに原因〉というのは重要。創造のハードルが高い時代の感覚ですね。今はハードルが低くなってる。 曲なんかソフトの力でごくごく簡単に生み出せる」
篠原「ああ、そうですかねえ。サエキ氏のが詳しいと思うけど、今回、フランスで日本文化会館とかの関係者とかと色々話して、クールジャパンに実体があることを初めて知りました。けっこう疑ってた(笑)。イベントに、30万人とかホントに来てるんですよね。で、5年前にオペラ周辺にあったラーメン屋は5軒ぐらいだったけど、いまは20軒近くあって」
サエキ「そうですよ(笑)エルヴィス以来のロックと、アニメ、アイドルを並置して論じた拙著『ロックとメディア社会』には、そこにひとつのポイントがあるんです」
篠原「なるほど。そうだったのか!ぼくはジャズ・マヌーシュとか、アフリカン・フレンチ・ポップス、フレンチ・アラビックとかとの交流を求めているんだけど、 向こうはクールジャパンにつながる情報を求めてくる。ぼくはクールジャパンの情報はあまり持ちあわせていないんだけど(笑)、たしかに以前あったような文化的な障壁みたいなものがすっかり崩れ去って、“好き嫌い”の対象が完全に国境を越えちゃっている、という驚きはあったなあ」
サエキ「アニメの力は、ひょっとしたらロックより強大なんです。その文脈では、音楽は、もはや付随物です」
篠原「ま、ほとんどアニメなんでしょうけど、これから関心の対象は広がると思いますねえ」
サエキ「アニメ、きゃりーぱみゅぱみゅも、エックスも、ディルアングレイも、みんな人気あります」
篠原「はっぴいえんどの頃は、それこそ“輸入”一辺倒だったけど、今はそういうレベルじゃない。でも、その出発点を創ったのは70年前後の動きだとぼくは思うんですよね」
サエキ「その通りだと思います。サディスティック・ミカ・バンドが英国デビューする1973年には国際的なポップさも手に入れて」
必要な松本隆の再評価
篠原「松本隆さんの言葉の力だって、もっと評価されていいはずだけど、多くの人にはただのヒットメーカーぐらいの認識しかないのが残念ですね」
サエキ「この2枚のアルバムの詞を含んだ松本さんの最初の詩集『風のくわるてつと』(写真、ブロンズ社版)に僕らが思い入れていた時は、全く違う潮流でしたね。今風にいうなら、オルタナティヴな作家だったというか。ロックなのか?純粋詩なのか?フォークなのか?そのポジションの意味が解明されないまま、 1973年、ニューミュージックの先がけであるチューリップの「夏色のおもいで」のヒットから流行作家になったから、ロックから抜けた感じがしたのですね」
篠原「ビジネスはただのインフラだってコトに皆気づいていないというか,一般人の目標がビジネスのみになっちゃってる。何だか、愚痴っぽい話だけど」
サエキ「そうですね。当時もお金の話はされたけど、なんたって70年代までは、音楽業界でお金になるといったら、イコール歌謡曲しかなかった。それがインフラ。 加藤和彦さんのフォーク・クルセダースは、たいやき君とかと同じ例外の文脈。色物ですね。そこで、歌謡曲で活躍される以前の松本さんのオルタナティヴな功績が見えにくくなったわけです」
篠原「ただ、ビジネスの実態を皆が知らないという問題もある。ビジネス=悪というわけでもない」
サエキ「昔を思い出すなあ。ロックは金もうけじゃない!みたいなスローガンさえあった。ストーンズとか金儲けそのものじゃないですか(笑)。でも、未だに僕もそんなのが身体に残ってて、だから金儲けにせいを出せない!」
篠原「ま、目標にはしにくいですね。はっぴいえんどだってビジネスが目標ではなかった」
サエキ「ビジネス的構造の中で、筒美京平先生や松本さんのように量産することも、骨太なクリエイティビティで、大変なものですけどね。こうして、当時の“お金もうけじゃない!”みたいなロックの状況を思い出せば、はっぴいえんどの位相が見えますね」
篠原「世の中が変化する瞬間とか革命の瞬間っていうのは、お金にこだわらないというか、対価を求めないというか、“変化への志”が何にも増して重要になるような気がしますね。明治維新の主役だった人たちもそういう傾向があったし。もちろん、その影には資金調達係みたいな人もいることはいるんでしょうけど。 はっぴいえんどの場合も、周辺のスタッフは風都市(はっぴいえんどの事務所)のようなビジネス基盤をつくるのに苦労したでしょうけど、本人たちはビジネス 云々という意識はとても乏しかった。69年から72年ぐらいまでの日本のロックって一般的にいってそんな状況で、はっぴいえんどは、まさにその典型の “志”のバンドだったと思います。ビジネス的にいえば、アルバム売上げ数千枚の世界を彷徨っていたはっぴいえんどだけど、当時数十万枚売っていた人たちよ り、その歴史的な功績ははるかに大きいわけです。ただ、ビジネスとか売上げ以外の評価軸が定まっていないから、はっぴいえんどは過小評価されたり、過大評価されたりしちゃうんですね。そこがなんとも残念です」
サエキ「60年代末から70年代初めの時期の日本ロックの置かれている条件とか特徴とかを、はっぴいえんどという文脈で整理すると、〈①純粋な音楽衝動から作るロック。経済基盤とジャンルがない②アメリカと英国、日本、どれ単体にも拠らない文化衝動を実現する③(当時の)リアルタイムの若者と風土の意識下の真情を表現する言葉といったところでしょうか?」
〈つづく〉
※次回が最終回