レビュー:秋山大輔『萩原健一と沢田研二、その世紀〜涙のあとに微笑みを〜』(2023年6月)
GSに造詣の深い秋山大輔氏が、2019年の力作『沢田研二と阿久悠、その時代 — 井上堯之さんに捧ぐ』(牧歌社)に続いて、『萩原健一と沢田研二、その世紀〜涙のあとに微笑みを〜』(デザインエッグ/2023年6月25日発売)を上梓した。
特定のアーティストをテーマにした本や文章が成り立つためには、「そのアーティストを愛しているか否か」が分水嶺になる。「愛があればOK」というわけにはいかないが、愛がなければ読み手も楽しくはない。
前著のタイトルには阿久悠と 井上堯之の名も連ねられているが、秋山氏の著書に一貫してこめられているのは沢田研二(以下ジュリー)への迸るような愛情である。
1976年生まれの筆者が前著でなぜここまでジュリーに入れこみ、本著で萩原健一(ショーケン)に踏みこんでいるのか。著者の心の奥までは覗ききれなかったが、膨大な資料を発掘し、そうした資料を整理して引用した労力には頭が下がる。他の批評家ではとてもできない相談だ。
『日本ロック大系』(白夜書房・1989年/下巻もあり)や『日本ロック大百科〈年表編(1955~1990)〉』(宝島社・1992年)といった資料本に関わった者としていえるのは、資料の発掘と整理は気の遠くなるような作業だということだ。作業の厳しさに比例した評価を受けることもなく、経済的にもほとんど報われない。対象に対して無条件に没入できる人しかできない作業だ。愛情と体力(年齢)・集中力の勝負である。
前著によってジュリーの全体像が解明されたと思うのは早計だったと感じたようで、本著『萩原健一と沢田研二、その世紀』では、ショーケンとの「比較論」が展開され、「ジュリーとショーケンとの関係」が詳しく触れられている。ただ、前著同様、詳細なディスコグラフィやバイオグラフィは添付されていない。基本的にはジュリーとショーケンを熱愛する著者による作品論・時代論で、その根底には阿久悠などふたりを支えた才能に対する強いリスペクトもある。
著者の取り上げる資料を読むと、驚くことも、また合点のいくこともある。初めて目にする資料も多く、あれこれ考えさせられる。その意味では「その世紀」を振り返るための貴重な記録である。
「世紀」は必ずしも浮き彫りになっていないが、それは1976年生まれという著者の年齢的な限界だと思う。その原因の多くは、ぼくら先輩世代が、1960年代〜70年代日本のポップカルチャーのちゃんとした「お墓」を造ってこなかったことに帰せられると思う。なお、前著では巻末に付された三浦小太郎さんの解説が、史的な整理のためのヒントを提供してくれる。
現在伝えられている日本のポップカルチャー史は、過大評価と過小評価のないまぜになったものが多く、必ずしもその時代を正しく映してはいない。「何が正しいのか」も含めて、あらためて、資料を整理した上で検証する必要があるのではないか。ぼくら、あるいはぼくら以上の世代に課せられた責任は重いと感じている。