「秘密保護法」は政治家と官僚とジャーナリストをスポイルする

「秘密保護法案」の閣議決定(10月25日)を受けて、メディアやネットでの議論が活発になっている。「報道の自由」とか「知る権利」とか、どちらかといえば抽象的な論点がトピックになっているが、まともな報道ができなくなる、といった主張には「なんだかヘンだ」という思いを禁じ得ない。「法制化によって官僚が萎縮する」というのも必ずしも実態に即していない。もっと論点をわかりやすくはっきりさせるべきだ。

たしかにこの法案のいちばんの問題は、安全保障上守られるべき「特定秘密」の範囲がきわめて恣意的に見えるところだ。法案が成立すれば、その範囲は政府の裁量に委ねられるようになる。だが、ぼくが懸念しているのは、法案の趣旨そのものよりも、思慮のない政治家の迂闊な判断・発言、官僚の権限強化、ジャーナリストによる「自主規制」という名の怠業である。この法案によって、安全保障体制が格段に強化されるとは思えない。むしろ、ネガティブな引力のほうがポジ ティブな要素を上回るのではないか。

すでにその懸念を裏づけるようなことも起こっている。法案が審議される前だというのに、森雅子少子化担当相は「TPPも特定秘密」といった発言をしている。政府の公式見解では「TPPは特定秘密に含まれない」だが、森大臣の発言はこれを覆すものだ。TPPはたしかに経済安全保障の一システムである。が、防衛計画や防衛力そのものとは直結しない。国民生活や企業活動に直結した社会経済システムの問題である。適正な情報開示がなければ、暮らしや仕事が脅かされかねない。交渉プロセスではトップシークレットになる情報も生まれるだろうが、それは関連する政治家や官僚の職責において守られるべき極秘事項である。秘密保護法案以前の問題だ。トップシークレット以外の部分は、たとえ交渉プロセスに関わるものでも、可能な限り開示することが不可欠である。そうでなけれ ば、国民はTPPの是非を判断できないし、TPPに加盟した場合(あるいは加盟しない場合)を見越した対応策も決められない。つまり、 森大臣の考え方は「国益」(国民益)に反する、ということだ。彼女個人の判断を表明したものではなく、安倍内閣の意思を反映したものであるとするなら、この内閣は「国益」について誤った観念を持っているということになる。安保の概念を拡張しすぎると、民主主義を否定することになりかねない。政治家が民主主 義の主役なのではない。国民が民主主義の主役である。

防衛力整備に関する情報公開についても懸念材料はある。たとえば、私はオスプレイを離島や山間部を対象とした病院ヘリに活用すればいいと考えている。兵器として開発されてはいるが、その機能は従来のヘリをはるかに上回り、民需品としての汎用性も高い。なぜ、こんなことを思いついたかいうと、アメリカ国務省や関連機関、あるいは日本の防衛省が公表しているオスプレイに関する詳しいデータを検討することができたからである。公開されている情報によれば、オスプレイは他の民生用ヘリやセスナなどよりも事故率は低く、航空機としての基本性能は高い。ところが、秘密保護法が可決されれば、政治家や官僚に妙な「自主規制」が働いて、これまで公開されていたこの手のデータを特定秘密扱いする可能性は小さくない。日本の行政のシステムはヘンなところで「優秀」かつ一貫性があるから、すでに公開されている情報、他国が公開している情報まで徹底して「秘密」にしかねない。

いや、「自主規制」というのはむしろ美しすぎる言い方だ。政治家や官僚が、己の権限を秘密裏に拡張することを、この法律は助長する可能性がある、といったほうが適切だろう。 彼らは、彼らのうちもっとも良質な人たちまで含めて、権限の保持や拡張にはきわめて熱心である。 情報を合法的に極秘にすることによって、政治家や官僚はしちめんどくさい議論を避けることができるのだ。それは権限の制約ではなく拡張である。なにも安保の根幹に関わることまで公開せよといっているのではない。秘密保護法には、これまで公開されていたものまで、非公開にするインセンティブがあるといいたいのだ。

秘密保護法と原発の関係についても、もちろん同じことがいえる。テロリストが襲えば彼らにとって最強の武器となり得る「原発施設」内部の情報(機器配置図 や見取り図)などはためらいもなく公開されてきたが、漏出する(あるいは漏出した)放射線や被ばく線量に関する情報には一定の制約がかけられている。秘密保護法が施行されれば、政府や関係機関はより多くの情報を秘匿する可能性が高い。「テロ対策」としての機密保持は当然だが(むしろこれまで緩すぎた)、国民の健康や経済活動に直結する放射線や被ばくなどのデータは極力公開すべきだ。秘密保護法によって、これまで野放図に垂れ流されてきた情報が選別され、非公開とされるのはけっこうだが、官僚や行政機関は、自主規制に名を借りて情報公開に歯止めをかけ、国民の暮らしや健康に直結する情報まで秘匿することになりかねない。

要するに、政治家の無定見や官僚のエゴによって秘密の範囲が際限なく拡大され、これまで国民が享受してきた行政サービスや行政情報までダメ出しされる可能性がかなり高いということだ。秘密保護法は、彼らをスポイルし、「いい気」にさせる法律である。

マスメディアは、ジャーナリズムに自主規制がかかることを心配しているようだが、そもそも日本には、安保上のトップシークレットを熱心に追いかけるような気骨あるジャーナリストなんているのだろうか? 今だって彼らは、( おそらくはもっぱら営業的な理由によって)報道すべきことすらまともに報道していない。彼らだって国民の知る権利を侵しているのである。この法律ができようができまいが、その姿勢が変化するとは思えない。むしろ、報道しないことを「秘密保護法」のせいにして逃げ切ろうとするのではないか。この法律は、マスメディアをもスポイルしかねないのである。

「安保上の機密保持が必要だ」というのはわからなくもないが、国民の暮らしや経済活動を根本から揺るがし、政治家・官僚・マスメディアをスポイルするような「秘密保護法」ではどうしようもない。少数野党とはいえ、民主党も対案すら出せない体たらく。「国防・安保」が絡んだとたんに前頭葉が硬直してしまう維新の会やみんなの党にも無論期待できない。野党に属する政治家も少しは頭を働かせたらどうか。このままでは安保の障害ともなっている防衛省・自衛隊内部 の腐敗や怠業すら告発しにくくなくなる。皆、あまりにも無責任だ。

結論的にいえば、秘密保護法が守るのは国民の暮らしなどではない。同法は、政治家と官僚の権限をいたずらに強化し、ジャーナリストの怠慢を覆い隠す装置になりかねない。本気で安全保障のことを考えるなら、現行法の強化によっても十分対応できる。なんだか責任者不在の「秘密ごっこ」みたいで呆れてくる。

最近は、議論するのもバカらしいふざけた話ばかりで、もうウンザリだ。頼むからみんなもう少し頭を使ってくれよ。

特定秘密の保護に関する法律

特定秘密の保護に関する法律

批評.COM  篠原章
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