新刊『はっぴいえんどの原像』番外編 (10) 】サエキけんぞう×篠原章「的外れだった同時代の評価」

『ゆでめん』から53年、はっぴいえんどとは何だったのか?……
『はっぴいえんどの原像』発売記念トークスペシャル

2023年1月20日、リットーミュージックからサエキけんぞう×篠原章『はっぴいえんどの原像』が発売される。

当サイトでは、サエキ・篠原による〝はっぴいえんど〟をめぐる対談を6回にわたって掲載したが(2015年)、その内容は『はっぴいえんどの原像』の土台の一部になっている。そこで、今回この対談を編集したうえ『はっぴいえんどの原像』番外編として分割再掲載する。
番外編(9)は「的外れだった同時代の評価」

はっぴいえんどの大いなる旅の軌跡

篠原「はっぴいえんどは、真似と言われているところが、あまりにも部分的。筒美京平さんとかが洋楽を大きく取り入れてきたやり方よりもはるかにトリビアルで、個々の、真似といわれる要素は相対的に小さかったと思う」

サエキ「はっぴいえんどの行ったミクスチャーとか、クリエイティビティは、ちょっと説明に窮するほど多様なハイブリッドになっていて、説明しにくい。だから色々いわれかねない原因になってたんでしょうね……」

篠原「はっぴいえんどのほうが歌謡曲より高いレベルのものをつくっているのに、同時代には、そこはあまり評価されなかったと思います。松本さんはドラムが下手だとか言われて、でもライブ聴いてみると、当時日本でいちばん上手かったのは松本さんじゃないかと思う実演も多いのにね」

サエキ「70年代リアルタイムには大きな人気が出なくて、80年代、90年代、2000年代と、だんだん人気が大きくなるんだけど、時間の経過だけが、そうした点を洗い出していったと。ビートルズみたいにリアルタイムで売れたバンドと全く違う」

篠原シャッフル調の、<はいからはくち>のドラムとかもう抜群ですよ。はっぴいえんどは演奏技術的にも高かったんだと思いますね。問題は練習嫌い(笑)。リハとかほとんどやらなかったという伊藤銀次さんの証言もあるし。意識も技術ももう欧米並みなのに、マーケットがまだついて行っていない。リスナーが追いつけない。彼ら自身が言いだしたってこともあるけど、“日本語ロック”という縛りが、彼らの評価をある意味限定してしまったという部分もあるんだと思いま す。」

サエキ「モビー・グレープの<HE>の要素を取り入れた<夏なんです>に関して言えば、<HE>よりテンポを落とすことで、凄い空間をゲットしていて、その広い空間に日本の風景〜せみの鳴く田舎〜にリンクさせたところはたまらない魅力で、全く追従を許さない。」

篠原「そうです。そうです。<風をあつめて>のデモバージョン<手紙>(はっぴいえんどBOXに収録)なんか、完璧なフォークなんだけど、そこからいくつもの一流の捻りが加えられて傑作<風をあつめて>になるわけでしょ。そのプロセスなんかはもうマジックとしかいいようがない。フォーク的な部分を拡大しちゃうと日本地域限定なんだけど、本質的にはもっとグローバルな動きと連動していたんだと思う。すでにYMO的な要素だってはっぴいえんど時代からあるし。」

サエキ「『風街ろまん』の音楽性は、もちろんフォークではなくてロックだったんだけど、世間からロックとはいわれてなくて、でもフォークじゃ立ち位置にならなくて、せいぜい拠り所は漫画雑誌『ガロ』と『COM』だった。それほど、はっぴいえんどを支える基盤が日本のサブカルチャーになかったんですよ。それを考えると、今、こうしてサバイバルできたことが、奇跡に思える。ホントに良くやりましたね。はっぴいえんどは」

篠原「そういう意味では、明治維新の志士と同じくらいの価値があるとぼくは思ってるんです。それは過大評価とかじゃなくて、冷静な歴史的な評価だと思います。それが、各人の“暗さ”に裏づけられているところがまたおもしろいんです、明治の人たちは命をかけてたけど、はっぴいえんど命を賭けるという発想もないから、出口のない暗さを体現しちゃっている。儒教とかクリスチャニティとかも彼らの拠り所としては薄いから」

サエキ「そうした1969年の暗い若者文化を手がかりにした『ゆでめん』から、『風街ろまん』を経て、カラクリ絵巻のように〈さよならアメリカ、さよならニッポン〉のアメリカ本土の乾いた世界にたどりついた、その道のりの妙ですね。まさに大いなる旅だったんだなと」

篠原「本場のロック人間、ヴァン・ダイク・パークスやリトル・フィートのメンバーが参加した<さよならアメリカ、さよならニッポン>で、ようやく「日本語ロック」という縛りからも解放されたんですね。やりたいのは、やるべきなのはロックでありポップスだと。日本語ロックじゃないんだと。でも、今から思えばあっと言う間」

サエキ「準備期間含めて、1973年9-21の解散ライブまで時間にしてたったの3年。ライブ入れてアルバム4枚。信じられない早さ。これはビートルズの正味7年と対応する。負けてはいない。今の文化から、理解しやすいのは、『風街ろまん』以降から各人の初期ソロの雰囲気ですね」

篠原「そうですね、でも、ぼくは『ゆでめん』こそ、やはり出発点で、そこにはすでにあらゆる要素が入っていると思います。今の日本に文化的な争闘みたいなものがあるとすれば、あるいは政治的・社会的な対立があるとすれば、その源をたどると『ゆでめん』的な孤立感と焦燥感との共通項はあります」

サエキ「僕は『ゆでめん』の暗さのナゾについては、1968〜70年の時代の妙に思えます。非常に多面的なまま、急流で変化を迎えざるを得なかった社会を体現しているかと。情報量も多いんだけど、そもそも1970年時の“日本の変化”“日本人の変化”というものが巨大過ぎて、あまりにも得体が知れない。たしかに明治維新時に日本人が果たした変化に似てるかもしれない」

〈つづく〉

※この対談の連載は12回まで続く予定です

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