小倉ナイトサーキットあるいは日本資本主義の亡霊

ここ1年半あまり、大学の職務として微妙な仕事を任されているため、基本的に東京から無断で離れられないことになっている。ある種の禁足令である。だから好きな沖縄もマンゾクに行けない(といいつつ密かに行ってたりして)。この夏は、沖縄どころか贔屓のティンクティンク(りんけんバンドジュニア)が出演する伊勢丹の「大沖縄展」の見物すら危ういところだった。事実上休日返上といった状態で、授業こそないが仕事は山積み、ほぼ毎日のように出勤を余儀なくされた。

が、急な仕事で小倉と福島に出張する機会はあった。自慢のPanasonic Let’s Note(とはいえCF-S21という廉価モデル)に接続したカード型モデムが不調でE-MAILの送受信ができず、そのおかげもあって出張中は「忙中閑あり」、多少の息抜きにはなった。

8月も旧盆過ぎのある日、福岡上空は熱帯低気圧の影響でどんよりと曇っていた。空港に降り立ったとたん、アジアの薫りが微かに漂っていた。福岡空港は市街地に隣接していることが最大の特徴で、今は亡きカイタク空港(香港)を彷彿させる。ひょっとしたらそのせいなのかもしれないが、空港から地下鉄で博多駅に出て、新幹線で小倉に向かう車窓から見た北九州の大地は、いつも見慣れた関東平野とはひと味違う空気感だった。たんなる住宅地であり、たんなる田園なのに、風景の輪郭がしっかりしているのだ。思い込みにすぎないのかもしれないが、その向こう側には朝鮮半島や中国大陸が控えているという気がしたのである。

JR小倉駅は思いのほか立派だった。建築にはまったく不案内だからエラそうにはいえないが、スチール製のポストモダンとでもいおうか。そのポストモダン構造物のいちばん真ん中に、「小倉食堂」なる屋台風大衆食堂が暖簾を出している。不均衡のおもしろさを狙っているのではと推察したが、いかにもありそげな奇のてらい方ではある。もっともメニューを覗いたら大衆食堂というほどではなく、数年前「日本レストランシステムズ」と社名変更した日本食堂並みだった。残念ながら時間不足で味見まではできなかったが。

小倉駅の北口とブリッジ(ペデストリアンデッキというらしい)で結ばれたリーガロイヤル小倉が今回の投宿先である。小倉でいちばんの高級ホテルだが仕事絡みなのでちょっぴり贅沢させてもらった。とはいえ朝食付き一泊1万2千円程度なので、ホテルの格からいえば高くない。地方の高級ホテルはこれだからやめられない。最近の日本人がアジアを好きな理由の一つは「内外価格差」のメリットを享受できるからだが、ことホテルに限れば日本でも「東京=地方価格差」が歴然と存在していて、東京人はこの価格差をけっこう楽しんでいるはずである。

部屋の窓から戸畑方面が一望できる。無数の煙突がそびえていて、壮観といえば壮観。そのほとんどは新日鐵やその関連会社の工場だろう。川崎や千葉の臨海部に似た風景ではあるが、さすがに明治以降1970年代初めまで日本資本主義を支えた最大の企業群が本拠としてきた地域だけあって、なんともいえぬ重厚感と哀感とが同居している。今にも「おれたちゃ欧米に拮抗する力をつけるために精一杯頑張ってきたんだよ」と語りかけてくるかのようだ。かつてはゴールドラッシュにわき返る西部の街のごとく、そりゃ活気にあふれていたに違いない。南に広がる筑豊炭田の賑わいまで幻影となって見えてきそうだ。が、今は半分屍となったこの街にぼくたちの求めるものはきっとないだろう。「あんたにもいい時代があったんだよ。ありがとう」

夕方から夜にかけて大学の「業務」を遂行して一区切りつけた後、今回の仕事に全面的に協力してもらった友人の大学教員Iと夜の小倉をぶらぶらと歩いた。ぼく同様小倉は初めてというIだったが、彼は一日早く小倉入りしていて、「篠原に楽しんでもらうために街の構造は調査済み」という。さすがはわが友と敬服。

駅から南に延びる平和通りの左右に広がる一帯が小倉の旧市街である。小倉城も南側にある。魚町、京町、室町、烏街と街の名前はとてもいいが、バンコクの市街を貫く旧運河のようにすっかり澱んでいる紫川がかつての城下町の面影を残すぐらいだ。駅からみて左側の、そごうの裏あたりから無法松の碑にいたるまでの一帯が色街らしい。水商売専用の低層ビルジングが林立し、その麓に安っぽいピンクサロンが展開している。方言混じりの客引きの、リズミカルで早口の口上はなかなかのものだが、歌舞伎町あたりと違って執拗に食い下がる連中はいない。口上と同じで諦めのスピードも早く、おかげで歩きやすい。歩きやすいのだが、「おっと!!」と感心するようなネタはどこにも見あたらない。謎めいたところがないのである。ま、ほとんどの地方都市がこんなものだから、そもそも過度に期待するのは禁物だが、同じ九州北部でも福岡などに比べるとかなり見劣りするし、熊本にもかなわないだろう。俺のエリスはどこにいるんだ、鴎外さんよお。

街歩きをほどほどに切り上げ、Iとかなり“いける”居酒屋で一杯やって、最後は旦過市場入り口に店を張る行列の屋台の、実にねちねちと脂っこいラーメンで仕上げた。スープの濃厚さはこれまでのラーメン歴の中でピカイチだったが、それは「ただただ濃いだけ」ともいえる味で、圧倒的に品に欠ける粗っぽさはまるでハリウッド映画の日本兵のようだった。

ふらつきながらホテルの玄関口をさがし、ひんやりと冷気に満ちたロビーに入ったとたん無機質の安心感が広がった。高級ホテルの安心感と屋台の脂っこさのこの落差はひょっとしたらアジアならではのものかもしれぬ。やはりここもアジアなのか。

そうはいっても沖縄の夜がちらつく。あのねっとりとした闇。妖しげなピンクの扉。濃い化粧の南国女がろくに洗いもしないグラスに注ぐ生ぬるいオリオンビールよ。

コザで目覚めたい。ナハで微睡みたい。思いは沖縄へと紡がれてゆく。

 
 
 
批評.COM  篠原章
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket