白鵬の会見拒否 (1)〜粉飾された舞の海発言

Problems Involving Refusal of Press Conference by Hakuho, the Yokozuna (1)

1.粉飾された舞の海発言

横綱・白鵬が、恒例の優勝一夜明け記者会見を拒否したことが話題になっている。これまで「恒例」を破った例はほとんどないから異例の事態だという。

(以下5月27日付『スポーツ報知』Web版からの引用)

これまで重ねてきた28回の優勝では、必ず行われてきた一夜明け会見が、今回はなかった。千秋楽(25日)の深夜まで関係者が説得を試みたが、白鵬自身が拒否の姿勢を崩さなかったという。一夜明け会見はあくまで恒例行事であって、日本相撲協会の公式行事ではない。北の湖理事長は「本人に事情があるかも分からないから」と横綱自身の意思を尊重した。
一夜明け会見が行われなかったことは、過去になかったわけではない。最近では、朝青龍が応じないこともあった。ただ、白鵬は野球賭博問題などの渦中で開催された10年名古屋場所後も、八百長問題発生後初の場所となった11年5月技量審査場所後の優勝一夜明け会見は必ず応じてきた。それだけに今回のケースは異例のことだ。

(引用おわり)

会見拒否の理由について、各種メディアやSNSでは、以下のような憶測が流れている。

  1. 舞の海が「外国人力士を排除すべき」と発言したことに対する抗議
  2. 千秋楽の白鵬VS日馬富士戦で観客から「日馬富士コール」が起こったことに対する抗議
  3. 安倍首相が日本人大関・稀勢の里の優勝を期待してわざわざ国技館まで足を運んだことに対する抗議
  4. 来日中の父の体調が悪いことへの配慮

(4)を除いて「排外主義」や「人種差別」を臭わせる「理由」ばかりである。

白鵬の心中はあくあくまでブラックボックスだから、真相は藪のなかだ。が、白鵬の心中を察する余り、他者の批判に及ぶ場合は、やはり言動に注意する必要があるだろう。

これらの「理由」のうち、(2)については、完全にマナーの問題である。輪島と北の湖が並び立つ輪湖時代、高校生だったぼくは熱心な輪島ファンで、蔵前にあった国技館まで行って「北の湖負けろ」と叫び、臨席の老人から「気持ちはわかるが、そういうことを叫ぶのはマナー違反だ。相撲も神聖なスポーツなんだから」と諭された苦い記憶がある。稀勢の里を応援する人たちが、「日本人に優勝させたい」と思ったのかどうかは知らないが、相手が誰であれ、やってはならないことである。日馬富士コールを問題にする人たちは「日本人同士が優勝を争う場面ならああしたコールは許される」とでもいうのだろうか。

(3)についてはそれこそ憶測に過ぎない。むしろ邪推に近い。「安倍さんならあり得る」と思う人もいるかもしれないが、大相撲の場合、首相が国技館に出かけて優勝者を賞する行為は異例でも何でもない。

いちばん問題なのは、(1)の舞の海発言である。『週刊金曜日』5月9日号に掲載された「“昭和天皇万歳”集会で――舞の海氏が排外発言」と題された教育ライター・永野厚男さんの記事が憶測の拠り所になっている。

永野さんは同記事で次のように書いている。

(5月22日付『週刊金曜日ニュース』より引用)

「昭和天皇と大相撲」と題し〝記念講演〟をした舞の海秀平氏が「外国人力士が強くなり過ぎ、相撲を見なくなる人が多くなった。NHK解説では言えないが、 蒙古襲来だ。外国人力士を排除したらいいと言う人がいる」と語ると、参加者から拍手が湧いた。〝日の丸〟の旗を手にした男性が「頑張れよ」と叫び、会場は排外主義的空気が顕著になった。さらに舞の海氏が「天覧相撲の再開が必要だ。日本に天皇がいたからこそ、大相撲は生き延びてこられた。天皇という大きな懐の中で生かされていると感じる。皇室の安泰を」と結ぶと、大拍手が起こっていた。

(引用おわり)
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=4394
“昭和天皇万歳”集会で――舞の海氏が排外発言

問題の講演は()、「昭和の日ネットワーク」という団体()が開催した「平成26年 昭和の日をお祝いする集い」で行われた。永野さんはこの団体を「改憲を唱える政治団体」としているが、理事長挨拶や定款にはそのような文言はない。 「国民の祝日・昭和の日の理解促進」が唯一の目的である。同団体の前身は『「昭和の日」推進国民ネットワーク』であり、祝日の「みどりの日」を「昭和の日」と改名させるための運動を展開した団体だった。平成19年に「昭和の日」が生まれてから現在の名称に変更されている。要するに、政治的な目的や使命がとくにあるわけでもない、「折角つくったのだから存続させよう」という程度の思惑で成り立っているNPOに過ぎない。参加者には右寄りの人や改憲論者が多いだろうが、こちらに伝わってくるのは「昭和天皇の事績を尊重しよう」という思いぐらいである。

したがって、「改憲団体」というのは永野さんの思い過ごしか誇張である。舞の海さんの本当の政治的な立場は知らないが、その「排外発言」を際立たせるためのレトリックみたいなものかもしれない。

講演の映像を確認してみたが、永野さんの舞の海発言の引用は誤ってはいない。が、舞の海さんは「外国人力士の排除」を自分の主張としていっているわけではない。「そういう人もいるが、それは不可能だ」というのが彼の主張である。「今、世間ではグローバリズムとかいわれているが、相撲界はとっくの昔にグローバリズムの時代を迎えている」ともいっている。ロシアやモンゴルから来た力士のハングリー精神をたたえ、最近の日本人力士がいかにダメになったかも強調している。舞の海関のような小兵の日本人でも、工夫次第で曙関のような巨漢の外国人力士を倒せるのが相撲の醍醐味である、といった話も差し挟んでいる。相撲の歴史にも触れ、それがモンゴル由来であること、明治初期には相撲が排斥されたことなど、あまり知られていない事実も積極的に語っている。

舞の海さんは「天覧相撲の再開」にも言及しているが、その背景には、平成23年以降、天覧相撲がないことも相撲人気の衰退と関係ある、という彼の問題意識が潜んでいる。舞の海さんのいうとおり、天皇が歴史的に相撲の庇護者だった事実は間違いなく、天覧相撲が相撲人気を支えるツールのひとつである可能性も否定できない。そうした問題意識のある舞の海さんが、昭和天皇を尊敬する人びとの集会で、天皇制を持ち上げるリップサービスをしたからといって、そのことを差別問題や政治問題に直結させる永野さんのアプローチは、政治を語って舞の海発言を見極めない、不誠実な姿勢である。

舞の海さんがいいたいのは、外国人力士の人気がなければ成り立たない相撲界の体たらくであって、外国人力士の排斥ではない。ダメダメな日本人力士が工夫や努力を重ねて、強力な外国人力士に拮抗するようになれば、相撲はもっと面白くなり、人気も回復するといいたいのである。彼の主張は、外国人力士の活躍を前提にしなければ成立しないのだから、排斥ではなくて「共存」である。

結論的にいえば、永野さんの記事は、舞の海さんの「排除」「天皇」といった表現を意図的に歪めることによって粉飾し、「外国人排斥主義」「右傾化」の一現 象として糾弾しようとしたものだ。悪意があるとまでいわないが、自分の支持する政治的立場を喧伝したいがために、白鵬や舞の海を利用している。「改憲・右傾化反対」という主張は理解できるが、歪曲・誇張された事実をもとに主張する姿勢には疑問が多い。

週刊金曜日(2014年5月22日)

週刊金曜日(2014年5月22日)

白鵬の会見拒否 (2)に続く)

批評.COM  篠原章
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