那覇に孔子廟は二つある—歴史に無知な沖縄メディアを嗤う

取材しないメディア

今回の孔子廟違憲判決を受けて書かれた沖縄の新聞の記事を読むと「最高裁が久米孔子廟という歴史文化遺産を認定しなかったとはとんでもない」という強いニュアンスを感ずる。最高裁判決は「久米孔子廟は歴史文化遺産に非ず」と認定している。久米孔子廟の釈奠祭礼をぼくは何回も見学しているが、新聞記者やテレビが取材にきていたためしがない。

2021年2月24日、最高裁で違憲判決が出ました!
孔子廟違憲訴訟は那覇市の全面敗訴

取材抜きで「歴史文化遺産」とはヘソが茶を沸かす。釈奠祭礼は久米人には厳かなものだが、市民県民の伝統とは異なる。新聞は崇聖会の開催する講座も取材していない。孔孟の教えを説く講座だが一般市民は殆ど参加していない。開講数・参加人数もわずかだ。それのどこが沖縄の「歴史文化遺産」なのか。

那覇に孔子廟は二つある

もっと決定的なことをいおう。那覇には王朝時代に造られた孔子廟は二つあるが、そのことを沖縄メディアは知っているのか?久米人の孔子廟独占を嫌った王府が国学(大学)を開校したとき首里城内に孔子廟を造営している。今もその跡地は県立芸大の敷地にある。

孔子廟はなぜ二つあるのか。その理由は明白である。久米孔子廟は久米人(久米士族)限定で、首里士族・那覇士族が排除されていたからだ。首里孔子廟は国学の学生のための学問の神様として王府が設営した。では、国学はなぜ造られたか?久米人の学問独占に風穴を開けるためだ。

メディアの無知を嗤う

王府が国学をつくり首里孔子廟をつくったのは、久米人の閉鎖性と学問独占に対する対抗措置だ。今回の孔子廟問題と同じ構図である。王朝内の政争は、政治、文化、学問、神を独占しようとした久米士族と那覇士族・首里士族のあいだで幾たびとなく繰り返されたが、久米孔子廟は久米士族による「神と学問」独占の象徴だったのだ。

今回の孔子廟の問題をそこまで遡ると、市や県、国が支援して再建すべきは首里孔子廟であって、私的な施設である久米孔子廟ではないことは明らかだ。「歴史文化遺産」というならそこまで掘り下げて判決を語るべきだが、沖縄・本土のメディアでこの件を指摘するものはひとつもない。みんな出直してこい、といいたい。

 

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批評.COM  篠原章
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