検察は甘くない〜猪瀬知事へのアドバイス

猪瀬直樹東京知事の「5000万円」問題が、どんどん膨らんでいる。ぼく自身は「5000万円」が倫理的にどうのこうのという議論にはあまり関心がない。

たしかに驚きはした。第一印象は「いったいどこの田舎の話だい」。これが山梨や沖縄ならいざ知らず、東京での出来事だったからである。東京は良くも悪くも「透明性」がいちばん強く求められる場所である。5000万円もの金を影で動かすのはかなり難しい。ましてやつねに衆人の監視下に置かれている都知事である。逆にいえば、東京だからこそ、あるいは東京都知事だからこそバレてしまったともいえる。猪瀬知事は、5000万円をもらってもバレないと思ったのかもしれないが、いつかはバレるに決まっている。甘かったのである。

「田舎」ならバレない。あるいはバレにくい。このコラムでも沖縄の事例を取り上げたが、地方政治家をめぐるお金の疑惑などいくらでもある。地方のメディアは、ほとんどの場合、そういう疑惑の存在を知りつつ取り上げようとはしない。マスメディアは「地方政治」にはあまり関心がない。実態としていえば、地方の政治家は基本的に利権屋である。利権屋という表現が悪ければ自分の資産形成に大きな関心がある。21世紀になってもその実態は大きく変わらない。一度知事をやれば数億円の資産をつくることができる、という話がまことしやかに囁かれるが、けっして根も葉もないことではない。利権屋であるからといって、政治家としてダメであるとはかぎらないから、始末に負えない。政治家も公僕だが、公僕として奉仕しているからこそ、彼らは数億円規模の利権を握ることぐらいは許されると思っている。ときどき想いだしたように、検察が地方政治家を摘発するが、そのリスクは必ずしも高いとはいえない。

だが、それはあくまでも「田舎」での話である。東京のような大都会でトップに立つ政治家には適用できない。やるのであればよほど用意周到にやらなければバレるに決まっている。一介の公務員にすぎない副知事職に慣れていた猪瀬知事は、政治家として「お金」の心配したことはあまりなかったはずだ。初めての選挙戦で、その必要に迫られたということなのだろうが、お金についてアドバイスする人はろくにいなかったのだろう。東京には東京なりのお金の作り方があるはずだが、その手法を誰も積極的に教えてくれなかったということだ。

報道によれば、猪瀬知事と徳州会のあいだをとりもったのは「一水会」の木村三浩代表だという。右翼団体代表のアドバイスを受けるということが、政治家がお金の問題をクリアするために今も必要だとしたら、田中角栄=児玉誉士夫の関係に象徴される戦後日本の保守政治家をめぐる「お金」の実態はまるで変わっていないことになる。もっとマシな選択肢があるに決まっているが、根っからの政治家ではない猪瀬知事は、そこまで考えることができなかったということだろうか。本当に信頼できるブレーンがいない、ということなのかもしれない。「都知事になっていい気になってんじゃないよ」といえる立場の細君を亡くしたことも大きいだろう。

いずれにせよ猪瀬知事は「バレっこない」と思ったのである。政治とお金の関係を甘く見ていたとしかいいようがないが、結果的にいえば彼は検察(東京地検特捜部)も舐めていたということになる。問題はまさにこれだ。

検察は時の権力者におもねると思っている人がいるが、それは大間違いである。検察は独自の正義感と倫理観で動く。それを体現する組織が東京地検特捜部だ。 彼らは自分たちの「正義」を発揮する場をつねに探し求めている。その「正義感」は人びとが想像するよりもはるかに強い。彼らには自分たちがこの法治国・日本を支えているという信念がある。その信念が冤罪をつくりだしてしまうこともある。厚労省の局長だった村木厚子さんが逮捕・起訴された「凛の会事件」がいい例だ。大阪地検特捜部が暴走した結果だが、東京地検特捜部は大阪地検特捜部よりもはるかに優秀だから、そうした失敗例は少ない。最近では小沢一郎さんの陸山会事件が、東京地検特捜部が絡んだ失敗例といわれるが、特捜部自体は、小沢一郎さんは不起訴、配下のふたりを逮捕・起訴し、有罪(一審・二審)に持ち込んでいるから、事件としては「検察勝利」なのである。あの事件で敗北したのは、あくまで強制起訴を決めた検察審査会である。佐藤優さん、鈴木宗男さん、堀江貴文さんの事件も、「冤罪」ともいえる側面はあるが、裁判では東京地検特捜部の「勝利」だった。正義感は強いが、勝てない戦はしないのが東京地検特捜部である。手の汚れた地方政治家の摘発が頻繁でないひとつの理由は、東京地検特捜部のようなエリート集団が地方にはいないからだろう。

今回の「5000万円」についても、東京地検特捜部は猪瀬知事がこの5000万円を受領した1年前の11月の時点で把握していたというから恐れ入る。「密室でのやり取りだった」というが、このやり取りの最中の徳田毅衆院議員と猪瀬知事との電話での会話は、スピーカーを通じて徳田虎雄さんの病室に流れ、その場に居合わせた看護婦や見舞いに来た銀行員にも聴かれているという。検察へのリーク元はそのあたりだろうが、検察が「5000万円」の件を知ったのはその数日後だという。この1年間、東京地検特捜部は手ぐすね引いて「問題化」するのを待っていたのである。つまり、5000万円が政治資金規正法に違反する可能性が高いという事実を裏づけるために、徳州会を捜索したのである。特捜部にとって、徳州会の摘発が目的ではなかったということだ。検察の標的は猪瀬知事で、これは佐藤優さんが繰り返し批判する「国策捜査」に発展する可能性が高い。

ぼくは東京地検特捜部を批判するつもりもなければ、猪瀬知事を擁護するつもりもない。自分の拙い経験からいっても、検察を敵に回す事態になれば、勝ち目は薄い。まして相手が東京地検特捜部ともなれば、標的となった者は「絶望」の淵にたたされることになる。特捜部はそれだけの「証拠」を握っている。直接的な「証拠」があやしげなものだったとしても、他の証拠によって(その証拠が猪瀬知事側にとって捏造に思えたとしても、である)法論理的に盤石な態勢を整えていると見るべきだ。逮捕・拘留にいたれば、猪瀬知事は検察側の主張を認めざるをえない事態に追いこまれるだろう。そのことを猪瀬知事は十分認識しているように思えない。彼は検察を軽視して、すっかり対応を間違えているのだ。

たとえば、彼は以下のような点で大きなミスを犯している。

  1. 5000万円の返却
    徳州会の摘発後に、猪瀬知事側は5000万円を返却したが、これは返すべきではなかった。彼は政治資金規正法の範疇での「問題化」をおそれたのだろうが、 「個人的な貸し借り」と主張するのであれば、あの時点で返す必要は全くなかった。返却しなければ、罪に問われるとしても税法上の問題であり、国税庁との協議を丁寧に重ねれば「告発」にまで至らないで済むところだった。
  2. 領収書の提示
    領収書の提示は百害あって一利なしである。こういうかたちで追いこまれれば、「小細工」は逆効果だ。明らかに「小細工」とわかる領収書の提示は、知事を追いこむことになるだろう(現に追いこまれているが)。特捜部はかなり慎重に証言や証拠を集めているはずで、この領収書についても電話の盗聴や張り込みなどによって、「小細工」であることを明らかにする準備ができている可能性は高い。これが小細工だとわかれば、逮捕・起訴への道のりを短縮することになる。
  3. 議会への対応
    都議会は猪瀬知事を「喚問」することになりそうだが、政治資金規正法や税法違反をなんとかクリアできても、議会への対応しだいで猪瀬知事は「偽証」を問われることになりかねない。猪瀬知事は記者会見などで、精密なシナリオもなく発言してきたので、これまでの発言と議会での発言を無理矢理シンクロさせようとするだろう。が、そんなことをすれば、「偽証」を問われる可能性はより高くなる。その場合、検察側には「偽証」を容疑として猪瀬知事を逮捕・起訴する可能性も生まれる。検察は、猪瀬知事を「政治資金規正法」で告発することもできるし、「偽証罪」で告発することもできる状態になるということだ。つまり検察側の裁量の範囲が拡大する。猪瀬知事側は、決定的に不利になるだろう。

以上のようなミスを犯してきた、あるいは犯しそうな状況下で猪瀬知事側に残された選択肢はほとんどない。秒読みになっている(「分読み」かもしれないが…)逮捕・起訴を回避するために猪瀬知事ができることといえば、「都政を混乱させた」ことを理由に辞任することしかない。退職金も受け取るべきではな い。辞任したからといって、逮捕・起訴を免れるかどうかは未知数だが、このまま職に留まりつづけようとすれば、確実に逮捕・起訴に至る。そうなれば、小沢一郎さんのように数億円の弁護料を支払って大弁護団を編成しても、無罪になる可能性は小さい。佐藤優さん、鈴木宗男さん、堀江貴文さんのように、検察側と対決しつづける強い覚悟も必要だ。それは並大抵の精神力では達成できない。現時点で辞任しておけば、たとえ逮捕・起訴されたとしても、拘留期間や判決の面で苦しむ要素が大幅に少なくなると思う。

正直いえば、猪瀬知事は疑惑を晴らすことはできないと思っている。端から見ると「バレバレ」に見える状態だ。猪瀬知事個人と、東京と、東京五輪にとっていちばんマシな選択肢は「辞任」である。辞任してクビを洗って待つほかない。検察は甘くはない。

ZAKZAK20131129

ZAKZAK (2013年11月29日付)

朝日新聞DIGITAL (2013年11月28日付)

朝日新聞DIGITAL (2013年11月28日付)

産経ニュース (2013年11月29日付)

産経ニュース (2013年11月29日付)

批評.COM  篠原章
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