遺骨と埋め立て( 4月23日補足)

糸満の遺骨と辺野古の埋め立て

沖縄戦の激戦地だった沖縄本島南部・糸満市米須の土砂採掘を巡り、沖縄県の玉城デニー知事は、事業者に対して採掘を禁止・制限する措置命令を見送った(4月16日)。

沖縄防衛局は昨年、沖縄本島南部の土砂を辺野古埋め立てに利用する可能性を示し、これを知った事業者が、自社が所有する糸満市米須の土地について、県当局に土砂採掘の許可を求める申請を提出した。この事業者は防衛局の指定事業者に入っておらず、防衛局の仕事を取るための実績づくりのため採掘申請を行ったと思われるが、その際に、この土地に遺骨収集のため出入りしていた遺骨収集ボランディア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松氏に対して「出入り禁止」を通告したことで問題化した。

具志堅隆松氏は「遺骨を含んだ土砂を辺野古埋め立てに使うのは戦没者への冒涜である」と主張し、ハンガーストライキまで決行したが、これによって県内マスコミの注目を一気に集めることになった。沖縄県議会も全会一致で反対の意見書を採択し、沖縄県内の一部の市町村もこれに追随したが、これらの意見書は、土砂の利用先を「辺野古」には限定しておらず、「遺骨を含んだ土砂を埋め立てに利用することに反対」との一般論を展開している。

玉城知事の「苦渋の選択」

事業者の申請を受けて、玉城知事は、土砂採掘は「人道的」に問題があると認める一方、事業者に対して土砂採掘中止の命令は行わず、国立公園・国定公園を対象とした自然公園法の適用を前提とした「環境保全」のため、事業者の採掘に厳しい条件を付した。糸満市の当該地域は、「沖縄戦跡国定公園」の指定地域だったのである。ただし、デニー知事のこの措置は、「あらゆる手段を使って辺野古埋め立てを阻止する」というオール沖縄の方針を尊重した苦肉の策で、私有地における土砂採掘権そのものを否定したわけではない。自然公園法を持ちだしたのも不自然である。この点を捉えて、オール沖縄の司令塔・島ぐるみ会議のメンバーでもある具志堅隆松氏は、「残念を通り越して憤りを感じる」と玉城知事への不信感をあらわにしたが、現行法の枠内で砂利採取を「全面禁止」する手立ては見つけにくい。さらに、全面禁止できたとしても、今後の埋め立て計画に及ぼす影響が出てくる恐れがある。本島南部地域での土砂採取が難しくなれば、政府が進める辺野古だけでなく、玉城知事が進める浦添での埋め立て計画(米軍那覇軍港の浦添移設)の障害にもなりうる。

遺骨収集推進法と沖縄

「戦没者の遺骨を含んだ土砂を埋め立てに使うな」という言い分は理解できるが、わからないのは、照屋寛徳衆院議員や糸数慶子前参院議員などオール沖縄のリーダーたちが、これまで「遺骨収集は国の責任」と訴え続け、与野党を動かして平成28(2016)年に「遺骨収集推進法」を成立させる一つの原動力になってきたにもかかわらず、沖縄における遺骨収集事業が国の手によって積極的に進められていないことだ。沖縄における遺骨収集の主体は今もなお、具志堅氏を始め数千柱を収骨したことで知られる国吉勇氏(すでに引退)の弟子たちを中心に、民間ボランティア(団体)の手に大きく委ねられている。遺骨収集推進法が成立する平成28年以前の状況とほとんど変わっていない。国の役割と責任は、いったいどうなっているのだろうか。

遺骨収集推進法は、収容されていない内外の戦没者の遺骨を、平成28年から令和6年度にかけて集中的に収容することを目的に制定された。収集の主体は、厚労省が中心になって設置した「日本戦没者遺骨収集推進協会」である。

日本戦没者遺骨収集推進協会の活動実績を調べると、硫黄島を含む太平洋や東南アジア諸国、北方領土・ロシアなど、海外での遺骨収集活動は広く展開している。ところが驚いたことに、沖縄での活動は一度も記録されていない。推進協会と提携関係にあるJYMA日本青年遺骨収集団は沖縄での遺骨収集を独自に実施しているが、その規模はけっして大きくない。JYMAは平成28年度から令和1年度までの4年間にのべ60人を動員して13柱を収骨しているにすぎない。この間に沖縄全体で収骨された遺骨の合計は114柱である。

法の趣旨に則れば、沖縄での遺骨収集も国の責任のはずだが、2019(令和1)年度の予算を見ると、33億3500万円の遺骨収集予算(厚労省予算)のうち、沖縄関係は沖縄県への委託費2500万円、琉球大学への100万円(DNA鑑定料)の合計2600万円だ。比率でいえば1%未満(0.8%)である。なお、これ以外に国による重機のレンタル料や壕の補修費などが沖縄関係の予算に計上されていると思われるが、公開資料を見るかぎり詳細は不明だ。

沖縄に遺骨はない?

こうした実情を知ると、政府は「沖縄県における遺骨収集は概ね終わった」というスタンスではないかと判断できる。

国の沖縄県における遺骨収集について関係者に訊ねたが、厚労省の担当者は「沖縄県の立場を尊重した収集活動となっているが、国が何もしていないわけではない」と答えた。簡単にいえば、「沖縄県の縄張りを荒らしたくない」ということだ。遺骨収集に縄張りも何もあったものではない、と思うが、政府と沖縄県の辺野古移設問題における長年の対立を考えれば、「沖縄に触れると火傷しそうだ」という厚労省の危惧もわからないではない。現に今回、厚労省所管の遺骨収集事業と防衛省所管の辺野古埋め立て事業が直結してしまった。危惧が現実のものとなってしまったのである。国の役所にとって「沖縄は難しい」のである。

他方、日本戦没者遺骨収集推進協会の担当者は「沖縄には遺骨はもう残されていないので、当会は関わっていない」との認識を示した。推進協会のこの認識は、推進法の趣旨にまるで反していると判断せざるをえないが、沖縄の遺骨が海外に比べて相対的に少ないことは事実である。

実際、厚労省は、未収容の遺骨(概数)について、海外に約59万柱(収骨可能数)、硫黄島に11,420柱、沖縄に630柱と推計している(2019年度)。海外や硫黄島の遺骨収集が重視され、沖縄が軽視されているのは、沖縄の未収容遺骨の規模が格段に小さいからだ。ただし、沖縄県平和祈念公園戦没者遺骨収集情報センターの発表では、2021年3月26日現在で2822柱が未収骨とされている。

未収遺骨の数が少ないからといって軽視していいことにはならないが、沖縄の場合、平和の礎、自治体・団体が建立した慰霊碑・慰霊塔、さらには護国神社・靖国神社など慰霊・追悼のための施設が多数設けられているので、たとえ遺骨が見つからなくとも慰霊・追悼はできる。ところが、海外の場合、慰霊・追悼すら困難な地域が多い。「海外での遺骨の発見・遺骨の帰国」が今も強く求められているのには、おそらくこうした事情も働いているのだろう。

主体になるべきは沖縄県

長年のあいだ遺骨収集に取り組んできた遺骨収集ボランティア、そして今も沖縄で遺骨を探し求めている遺族や関係者の意思と行動を尊重するなら、国は遺骨収集推進法にもとづき一定の予算を沖縄県に配分した上で、収集事業の主体を県に移したらどうか。照屋寛徳氏や糸数慶子氏などがいう「国の責任でやれ」という理屈はわかるが、沖縄県が音頭をとって、遺骨収集ボランティアにあらためて委託するかたちで遺骨収集を積極的に進めるほうがはるかに合理的だ。国には海外の遺骨収集で手一杯という厳しい現実があり、これ以上多くを期待できない。沖縄県は遺骨収集に取り組む人びとを財政的にサポートすると同時に、条例などによって遺骨収集がしやすい環境を整えるべきだろう。「平和への願い」が沖縄県民の矜恃であるとするなら、基地反対運動への関与と遺骨収集事業を切り離して、沖縄県には「国にはできないことが沖縄県にはできる」という意気込みと実績を示してもらいたいものだ。

これによって「遺骨」と「辺野古埋め立て」を政治的にリンクさせることで生ずる歪みも回避することができる。本来、遺骨収集と辺野古埋め立てはまったく関係がない。このままでは、「辺野古埋め立てにさえ利用しなければ土砂採掘も埋め立てもOK」といった論理さえ許容されかねない。そうなれば、玉城知事が適用しようとしている自然公園法の趣旨(自然環境の保護)にも反することになる。沖縄県は埋め立て一般や都市計画・地域開発一般の将来も考慮した独自の基準をつくり、双方が釣りあうかたちでの着地点を模索すべきだろう。

再開発による土砂は何処に?

国に代わり沖縄県が主体となることには、もうひとつメリットがある。たとえば、沖縄戦の際に数多の人命が失われた真嘉比(那覇市)、前田高地(浦添市)、嘉数高台(宜野湾市)などは都市化が進展し、再開発・ミニ開発によって遺骨の発見がより難しくなってしまった。こうした敷地は掘り返され、今やマンションやアパートや商業施設などで覆われている。開発前に遺骨収集ボランティアによる作業が行われたケースもあるが、それは限定的である。

埋め立て目的での土砂採掘はむしろ特殊なケースで、市街地の開発・掘削による建設発生土(産業廃棄物)は、例年かなりの規模で発生している。これらの残土が最終的にどの場所で処分されるか、あるいは処分されたかを突き止めるのは容易ではない。処分場で処分されるものもあるし、海洋投棄されるケースもある。まったく別の土地に搬出され、その場に長期間貯留されたのち埋め立てに使われるケースもある。県外に搬出される土砂まである。が、沖縄県は、こうした残土処分を監督・管理できる立場にあるのだから、のちの遺骨の発見につながるシステムやデータ・ベースも構築可能である。現状では、那覇で掘削した遺骨を含む残土が、最終的に沖縄市の人口ビーチに利用されたとしても追跡するのは難しいが、沖縄県が残土を統合的に管理すれば、その点は容易になる。

コストの問題

それにしても、やり方によってはかなりのコストがかかってしまう。こうした経費を「沖縄振興予算」の項目に組み入れるという議論も出てくるかもしれないが、やはり遺骨収集は、趣旨からいって別立てでやるべきだし、沖縄振興予算自体が旧時代の仕組みである以上、振興予算に依存した財政体質・経済体質を温存すべきでもない。沖縄振興策はあらたな旧慣温存策になりつつある。旧慣温存策が沖縄の旧体制を維持するために用いられた愚策であったと同様、沖縄振興策も愚策と知るべきだろう。沖縄で生起するあらゆる現象を沖縄戦や米軍基地に結びつけ、一定の政治目標や財政目標を達成するために活用するという政治手法は「県民の心」を荒廃させるだけでなく、戦没者の魂も冒涜する。その点は最後に強調しておきたい。

4月23日補足

沖縄県における遺骨収集は国も県も事実上タッチしていない。本業の傍ら日夜収集に情熱を傾けてきた国吉勇氏などがいなければ進まなかった。他方で、遺骨収集が文字どおり「コレクション」になってしまっている事例もあれば、「遺骨収集ビジネスではないか」と批判されているボランティアもいる。厚労省から沖縄県に支出されている収集のための予算2500万円の使い途も実は不透明だ。

現状は、沖縄県による「ゆるゆるの管理」である。「県は一部ボランティアのいいなり」という人もいる。国吉氏は一切のお金を受け取らなかったといわれるが、生活のため(お金のため)遺骨収集に携わる人もいるという。経費や日当を貰うのがダメだとは思わないが、その場合は「遺骨収集有償委託業者」としての登録ぐらい必要ではないか。危険が伴う作業なのだからボランティア保険も必要だ。少なくとも個人名、ボランティア団体名、業者名などを県が一元管理し、保安体制や緊急連絡体制ぐらい整えるべきだろう。

県内外から多数の人びとが集まる大型プロジェクトが実施される場合には、万一に備えて(遺骨が出ないときに備えて)過去に個人的にコレクションした遺骨や遺品を密かに準備し、「成果」を捏造するボランティア・リーダーもいるという。国が沖縄県における遺骨収集にタッチしないのは、おそらくこうした「ボランティア」とのやり取りを避けるためでもある。その結果、沖縄における遺骨収集が「聖域化」していることも否めない。

沖縄県もこうした事情をある程度把握しているはずだが、政治的な裏事情のため、「聖域化」に手を貸しているだけだ。であるなら、たとえ知事が交替しても(政治的事情が変わっても)遺骨収集が順調に進められる体制を整える必要がある。「遺骨を含んだ土砂を埋め立てに使うな」という要求は理解できるが、その前に沖縄県は、遺骨収集の実情を説明し、開示する義務がある。県は足りないところを補い、不都合なところを改善する意欲を見せてほしい。

批評.COM  篠原章
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