菅義偉の失敗—「ぶれない俺」への過信が危機管理を破綻させた

2021年9月4日付朝日新聞に掲載された御厨貴と江川紹子のコメントが、「菅政権の失敗」の理由を明らかにしていた。外形的には「コロナに躓いた」ということになるが、本質的には「自ら構築した情報の一極集中体制が自らの情報処理能力に見合わなかった」ということだろう。

「ぶれない俺」に対する自信が菅首相の政治姿勢をかたちづくっていたが、「ぶれる、ぶれない」はやはり主観の世界の出来事で、科学的でも客観的でもない。「俺さえぶれなければ危機は乗り越えられる」と信じ、そんな自分を理解してくれる政治家や官僚を近くに置いておけばことは上手く運ぶ、と考えたのが最大の誤算だった。それはある種の「楽観論」につながるだけで、情報収集能力だけでなく批判的な情報分析能力を強く求められる現代の危機管理には相応しくない。情報は集めるが批判的に分析はせず、おまけに公開はしない。危機管理の失敗も成功も「俺の責任」だが、きっとうまくいくはずだという楽観がつねに心の奥底にあった。言い換えると、「見たいものだけ見る」姿勢に結果してしまったのである。

たとえば、2020年中に医療体制の再編強化に着手すれば、今日のような事態は避けられたろうが、感染のピークを主観によって低く見積もり、その主観を自ら信じて「ぶれなかった」ため、有効な対策を打てなかった。この件では贔屓目に見ても「誰がやっても同じだったでしょ」とはいえない。危機管理能力の高低が問われるポイントだったのである。これによって国民にも舐められ、諦められてしまった。国民は、「政府がやらないなら自分がやればいい」とばかり個人的な感染対策を講ずる一方、自らの判断で「人流」を増やす(外出する)矛盾した行動に出た。感染者数が増えても「政府の無策」のせいにすればいい。国民の身勝手だともいえるが、批判の対象が政府に向かうのを菅首相があらかじめ予測していたとは思えない。これも危機管理の失敗である。

法政大学剛柔流空手道部時代の菅義偉(秋田魁新報の記事より転載)

以下、朝日新聞紙上の御厨貴と江川紹子のコメント(有料記事)を抜粋して紹介しておきたい。

御厨 貴 『「菅さん、裸の王様になったのでは」政治学者・御厨貴さん』2021年9月4日付朝日新聞

「いまの日本に広がっている『説明しない政治』は、第2次安倍政権で始まりました。どんなスキャンダルや問題があっても、安倍さんは国政選挙に毎回勝つことで、国会でもメディアを通してでも、説明はしなくてもよいのだということになってしまいました」
「本来、首相が説明しないのであれば、官房長官がより国民にしっかり説明する必要があります。なのに、官房長官だった菅さんは、記者会見の回数はこなしたが説明というものをしてこなかった。内閣人事局の発足もあって、菅さんに人事権を握られた官僚たちは、説明しない政治を受け入れ、あろうことか公文書の改ざんに手をつけるといった事態になっていったのです。官邸主導政治は、こうして徐々に空洞化していったのだと思います。そんな政治と行政の中心にいたのが菅さんだったのです」
「官房長官時代の菅さんを取材し、2014年2月に人物評論を書きました。菅さんは危機対応で情報の重要性を痛感し、日本の統治をグリップする主役になったという自負を持っていました。専門性を持つ官僚組織を相手に、自らを含めた政治家という『反専門家』のインナーサークルを官邸に立ち上げ、政治主導を確立させるのが、彼の真骨頂でした。しかし、私は『情報の大量集中が、菅さん個人の処理能力を超えてしまう時が必ず来るだろう』と、彼一流の情報政治が破綻(はたん)する日が来ることを予測していました。それがコロナ禍で現実になってしまったとも思います」

 

江川紹子 『菅さんと安倍さんの共通点 二人の失敗から何を学ぶか 江川紹子さん』2021年9月4日付朝日新聞

 

「頭に浮かんだのは、『策士、策におぼれる』ということですね。菅さんは人事を握ることで政治を動かしてきた。今回も、党の役員人事や内閣改造で局面を打開しようとしたけれど、うまくいかなかった。一番得意なはずの人事で行き詰まったんじゃないかと思います」
「ワクチン接種が進んだのは、(菅政権の)一番の功績でしょう。『1日100万回接種』といった目標を打ち出したときは、これは無理だろうと思いましたが、菅さんの手法の強引さが功を奏しました。デジタル庁創設や、温室効果ガスの削減目標など、目のつけどころは良かったと思います」
「ただ、ワクチン一本やりで、コロナ対策全体としては不十分と言わざるをえません。危機時には、様々な課題に同時かつ柔軟に対応していくことが必要なのに、それがうまくできなかった菅さんは、実は危機管理に向いていなかったのかもしれません」
「菅さんのコミュニケーションは一方通行なんです。自分の決めたことを下に下ろすだけで、国民からすると、結果を押しつけられるだけ。納得のいく説明もないし、対話や議論をしようとしない。トップダウンの発想だけでは、コロナのような国民の協力が不可欠な事態には対応できません」

批評.COM  篠原章
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