米軍関係者の犯罪と基地問題ー神奈川県民は劣等か?

沖縄で不幸な事件が起こった。米軍軍属といわれるシンザト・ケネス・フランクリン容疑者の起こした事件だ。亡くなられた被害者女性のご冥福を心から祈りたい。ご家族の哀しみはいかばかりかと思うし、容疑者の家族も苦しみのどん底にある。

だが、周囲の哀しみや苦しみをよそに、すでにこの事件は政治問題と化しつつある。「米軍許すまじ」「基地許すまじ」という声はいちだんと大きくなり、サミットを控えた政府も対応に苦慮している。

沖縄の友人・知人からは、「これで普天間基地の辺野古移設はより難しくなった」「せっかく冷静な議論ができる状態になりつつあったのに、この事件のおかげで感情論に流されてしまう」といった内容のメールやメッセージをいただいている。

昨年あたりから、沖縄の米軍基地問題や普天間基地の辺野古移設問題について、反対論・撤去論だけではなく、これまで隠されていた(隠れていた)支持論・容認論が浮上しつつあったことは確かだ。両論が揃ったところで、「さて、これからどうやって前に進むべきか」を冷静に考えられる環境が少しずつ整いつつあったと思う。

フランクリン容疑者の事件で、「正常化」の道を歩み始めたばかりの政治空間が押し戻された感はあるが、だからといって、せっかく光の当たり始めた「異論」(従来の沖縄における基地観とは対置される、という意味での異論)を後退させる必要はないわけで、正しいと思うことを、これまで以上に発信していけばいい。
今回の不幸な事件についても、県民感情に配慮しながらも、事実に即した、責任ある発言を続ける姿勢が望まれる。

今回の事件を報ずるマスコミは、これまで同様「沖縄における米軍犯罪は深刻で、復帰以来約6000件に上る。うち約1割が凶悪犯罪だ」というスタンスで報道している。しかしながら、ここ15年ほど、沖縄における米軍刑法犯検挙総数は急減しており、凶悪犯も減っている。人口千人当たりの在沖縄米軍の刑法犯発生率(0.9)は、今や県民のそれ(2.3)を下回る状況だ。復帰以来の累計数ばかりに注目するのではなく、長期的な推移にも目配りする必要がある。県民や政府の要求に基づく「米軍の綱紀粛正」が、一定の成果を挙げてきたことは認めなければならない。

だからといって、今回のような事件が許されるわけではない。これまでの日米の努力を水泡に帰するような事件ともいえる。全国レベルでは、2006年に横須賀で発生した米兵による強盗殺人事件があるが(米兵は無期懲役)、沖縄における米軍関係者による殺人事件では、少女暴行事件が発生したのと同じ1995年に宜野湾市で保険外交員の女性が殺されて以来のことである(米兵は懲役11年)。

ただ、こうした凶悪事件についても、冷静に観察する姿勢が必要である。近年の米兵の刑法犯検挙数を調べると、神奈川県は沖縄県とほぼ同様の数字で推移している。その意味では神奈川県も「米軍に苦しめられている」といえる。ところが、2006年の横須賀での凶悪犯罪発生に対して、神奈川県あるいは横須賀市では「基地反対」「基地撤去」という全県的要求あるいは全市的要求は突きつけられなかった。他方沖縄県では、米軍関係の犯罪が発生するたびに、「基地反対」「基地撤去」の声が一気に高まる傾向があり、議会や県民集会において、基地反対あるいは米軍糾弾の「決議」が行われるのが当たり前になっている。

今回の事件に際しても、翁長知事は「基地があるがゆえの事件が起きてしまった」と早くも基地糾弾の姿勢を見せている。この3月に起こった米兵による準強姦事件でも、翁長知事は「(米軍による)良き隣人と言う言葉が、実行された試しがないというのが、正直な気持ちだ」と、厳しい言葉をローレンス・ニコルソン在沖米軍四軍調整官に突きつけたが、今回の殺人事件をきっかけに、翁長知事が米軍に対して今まで以上に厳しい姿勢を示すことは想像に難くない。辺野古移設問題にについても、事件を引き合いに出して強い姿勢で臨むはずだ。

今後、「米軍による犯罪の発生をゼロにできれば最善だが、米軍基地がある限りゼロになることはない。であるとするなら、米軍に出ていってもらうほかない」という論調が、沖縄ではますます強くなるだろう。

が、ここでひとつ疑問がある。なぜ沖縄県ではそうした論調が支配的になるのに、沖縄県と同じように米軍犯罪が起こる神奈川県ではそうした論調が支配的にならないのだろうか。ひょっとしたら、神奈川県民は、他者に共感できず、県民としての自覚も誇りもない劣等県民で、沖縄県民は、他者に共感できる、県民としての自覚や誇りのある高等県民なのかもしれないが、これはじっくり考える価値のある課題である。「おそらく」だが、安保や経済社会の問題への広がりも見いだせる課題だろうと思う。

もうひとつ疑問を付け加えれば、フランクリン容疑者は、米国籍とはいえ、これまで伝えらている情報を総合すると、沖縄の女性と結婚して沖縄に定住する、いわゆる「ウチナームーク」(沖縄婿)である。元海兵隊員だが現在は「軍属」、大雑把に言えば米軍管轄下で仕事をする民間人だ。生粋の米軍人、米軍属とは少々属性が異なる。凶悪な犯罪を犯したとされる以上、厳しい裁きを受けるのは当然だが、ウチナームークであるフランクリン容疑者に、沖縄で手を差し伸べられるのは彼の家族だけなのだろうか。門中(血縁集団)に今もこだわりを見せる沖縄では、彼のような立場の人間はどのように扱われるのだろうか。これは素朴な疑問である。

批評.COM  篠原章
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