追悼・石原慎太郎 — 個人的な体験から紡ぐ慎太郎像

山口二郎の手に載るな

政治学者の山口二郎が石原慎太郎の逝去(2022年2月1日)に際して、批判的なTweetを発したことが話題になっているらしい。

山口は左派(反自民)政治学者サークルの先頭に立つ人だからそのくらいいうだろう。石原を批判しなかったら山口の存在意義などない。いってみればお定まりの発言というか、左派の学者利権を確認するための発言に過ぎず、ぼくの場合は気にもならない。「山口発言は死者を鞭打つことば」と批判されているが、彼にとって石原を叩くことは「鞭打ってナンボ」の世界の話で、山口発言を批判する人々はその利権にまんまと載せられていることになる。

個人的な体験:慎太郎はエロ小説家だった?

よい意味でも悪い意味でも、ぼくは石原慎太郎の言動に影響を受けてきた。60年安保の時は反安保闘士の1人で、大江健三郎などと行動を共にしていた。考えてみれば、石原は「日本の真の独立」を目指していたのだから、日米安保に反対するのは当然の行動だった。米国に共感しつつそこから政治的・文化的に脱却することの必要性を説き、政治家に転身して自民党タカ派の重鎮になっていったのも十分に肯ける。

ぼくは小学校中6年の時に『太陽の季節』を読んで石原をエロ小説家と思いこんでいた。当時の十代にとって、慎太郎も大江も倉橋由美子もエロ小説家だったのである(石原「太陽の季節」、大江の短編「セブンティーン」、倉橋の短編「鷲になった少年」の3編をぼくは「3大エロ小説」と呼んで友だちに勧めていた)。その石原が1968年の参院選挙に自民党から立候補し、全国区で300万票をとってトップ当選した。エロ小説家でも国会議員になれるのだとびっくりした。当時は政治と文学の関係などまるでわからず、慎太郎より有名だった実弟・裕次郎と間違えて有権者は投票したのだと信じた。有権者ってホントにバカだなとも思った。

銀行税・新銀行東京・尖閣買収提案

でもそのおかげで「政治」が身近になった。ぼくは新潮社から出ていた大江健三郎全集をすべて読んだほどの、ちゃきちゃきの大江健三郎派だったので、アンポ反対闘争に共感していたが、その対極にあった慎太郎の考え方や行動にも興味を持たざるをえなかった。慎太郎たちが結成した党内政治集団・青嵐会は脂ぎってギラギラしていたから大嫌いで、「自民党なら三木武夫か宇都宮徳馬でしょ」と考えていたが、青嵐会の「筋を通す政治姿勢」にはいつも驚かされた。それはぼく自身がのちに「大江健三郎派」から離脱する伏線になった。

その慎太郎が初入閣したのは76年の福田赳夫内閣の時だった。いま思えば絶妙の人選だった。慎太郎は環境庁長官になったのである。入閣後まもなく水俣病患者を見舞った石原の悲痛な表情はいまでも鮮烈な記憶として脳髄に刻まれている。慎太郎は環境などお構いなしの「開発派」だと思っていたが、彼はこの職をきっかけに環境政策への関わりを深め、都知事になってから他の自治体に先駆けて厳しい環境基準(ディーゼル車排ガス規制)を策定するに至っている。

都知事になってからの慎太郎の発言や政策も刺激的だったが、現在は廃止されている「銀行税」という奇策に訴えたときは呆れた。これは大手銀行だけ一方的に冷遇するような外形標準課税で銀行界の反発は強く、やがて地方税法に違反する税として消滅の憂き目に遭うが、ぼくは当時既に税を専門とする研究者になっていたので、慎太郎を厳しく批判する文章を学術誌や大学のテキストに何回か載せている。ただ、「駅前を大手銀行の支店が占拠するような現状はおかしいでしょ」という石原の持論は、護送船団的な産業政策に守られていた当時の日本の金融界に対するアンチテーゼとして有効だと思った。

慎太郎の「大手銀行との戦い」は、東京都が出資した「新銀行東京」の設立で継続され、東京都の中小企業政策(金融政策)の目玉とされたが、この頃には政治家としての慢心も感じられ、新銀行東京は慎太郎「利権」のようなものに変質してしまう。2018年にこの銀行は完全に消滅するが、金融自由化の波間に咲いたあだ花のようなモノに終わってしまった。

慎太郎の政策でもっとも驚かされたものの一つは、尖閣諸島を東京都が買い取るという方針の発表であった。これが呼び水となって民主党政権による「尖閣諸島の国有化」が行われたのは周知のところである。ぼく自身は東京都が尖閣を買い取るべきだったと今でも思っている。尖閣をめぐる領土政策により大きな幅が生まれたはずだ。

ご本人のTwitterアカウントより

 

昭和一桁世代の世界観を代弁した慎太郎

「三国人」「支那」「LGBTの人々に感ずる欠落感」といった慎太郎発言を指して、慎太郎を「差別主義者」の権化として血祭りに上げたい人々は多いようだ。だが、こうした慎太郎発言はある世代(とくに昭和一桁世代)、ある階層に生来つきまとう「感情」や「常識」を代弁するもので、そうした感情や常識を無理矢理闇に葬ろうとすれば、それらは嫌悪の故の「テロリズム」に歪んでしまう可能性すら秘めている。叩けば消滅するといった類のものではない。

慎太郎と同じ昭和7年生まれの我が老母は左翼的な思想に強く共感する傾向が強く、しばしば共産党にも投票している。だが、「支那」「三国人」という言葉は今でも平気で使っている。「それは差別語といわれることが多い言葉だから外では使わないでよ」と注意を促すと、「支那はフランス語由来の綺麗な言葉だし、(昭和4年生まれの)フランキー堺や小沢昭一が映画などで演じてきた怪しげな三国人像は、私たちの世代の朝鮮人観や中国人観そのもの。差別というより体験から生まれた言葉だ」といって憚らない。さらに、LGBTはについて老母は、「まったく理解できない」といい、それどころか嫌悪感を表す。それが多くの昭和一桁世代に共通の反応(世界観)であることはたぶん疑いない。

差別表現として切り捨てる、あるいはゴミ箱に移動して削除すれば、差別がなくなるという短絡的な判断で物事は進まない。過去はけっして書き換えられないし、書き換えるべきでもない。切り捨てや削除という手法では、言葉をアーカイブにファイルすることすら許されなくなる。それは、「日本を戦争する国にするのか」といった(往年の)的外れな論争以上に罪深いことだと思う。人間とは本来、善も悪も等しく引き受け、よりマシな何かを生みだそうと努力を重ねる存在だ。石原慎太郎という特異な政治家・小説家から何かしらのヒントを得たいと思う人々にとって、彼の発した言葉を切り捨てる、削除するという選択肢はありえないことだ。切り捨てや削除は想像力・創造力の摩耗・摩滅につながり、やがて歴史観や文化観の頽廃を招くことになるだろう。

批評.COM  篠原章
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