女性楽団員比率「日本一」の琉球交響楽団が奏でる普久原メロディー(後編)

「千年音楽」のプログラムには、お馴染みの楽曲以外に、伊是名島の古謡に着想を得た『史曲 尚円』第4楽章「ウナザーレーイ」と同じく「第7章終曲」が加えられていたが、とても印象的だった。会場の『史曲 尚円』の作詞を担当した高良倉吉さんがいたので、終演後、作品の由来を解説してもらった。

この日の出演は、フォーシスターズ、饒辺(よへん)愛子、 我如古より子、ゆいゆいシスターズ、おから(田里直樹、前川佳央)、名護ジュニアコーラスなどの面々。琉球交響楽団は最初から最後まで出ずっぱりだった。

フォーシスターズのボスである伊波貞子も、80歳を迎えた饒辺愛子も元気で安心した。独特の沖縄風デザインの衣装をまとった饒辺には、いまが歌手としてのピークなのかと思わせるようなパワーが溢れていた。饒辺はコザ中の町の民謡酒場の老舗「なんた浜」のオーナーだが、ぼくが彼女の名を知ったのは、喜納昌永(昌吉の父)の弟子としてデビューして間もない1970年頃のことだった。

竹中労の書いたライナーノーツに「饒辺愛子」という名を発見したのが最初だが(当時は姓の読み方を知らなかった)、実際にその姿を見たのは、照屋林助(林賢の父)が主宰するマーニンネーラン・バンドに参加していた90年代初めのことだった。てるりんハウス(中央パークアヴェニユー裏の照屋家)でのバンドのお稽古を見学したとき、彼女から差し入れの天ぷらを勧められ、ウスターソースを手渡されて悩んだ記憶がある。そのときは沖縄の習慣にまるで無知だったのだ。
今回のコンサートでは、交響楽団が普久原メロディーに真面目に取り組んだことも収穫だったが、それよりも琉球交響楽団(琉響)の「個性」を発見できたことが最大の収穫だった。

沖縄にはより歴史の長い、アマチュアの沖縄交響楽団(沖響)がある。とはいえ、プロフェッショナルの交響楽団を目指すのは「琉球交響楽団」だけだ。が、楽団関連の仕事だけで生計が成り立つメンバーはほぼ皆無だから、あくまでも「目指す」である。実は「目指す」だけでもきわめて大きな課題である。人口150万人弱の沖縄で、プロの交響楽団が生き残るのは至難の業だからだ。

たとえば、人口550万人のフィンランドにはヘルシンキ交響楽団とタンペレ・フィルハーモニー管弦楽団があるが、楽団の経営に補助金が投入され、なんとか成り立っているのが実情だ。フィンランドの隣国であるエストニアは人口135万人程度と、沖縄に近似した人口だが、ここには、エストニア国立交響楽団とエストニア・フェスティバル管弦楽団の2つの交響楽団がある。ただし、後者は「上手なアマチュア・オーケストラ」といっていいような楽団である。

沖縄の交響楽団の状況はエストニアに近いようにも見えるが、エストニア国立交響楽団は、ヨーロッパの一流どころの交響楽団と競い合うレベルのメンバーも多く、プロとして恥ずかしくない楽団である。琉響のレベルはけっして高いとはいえないので、エストニアの状況とはかなり異なると考えたほうがいい。

「経営的に成り立たないんだったら、琉響なんて解散してしまえばいい。沖縄には民謡もロックもポップスもあるんだからそれで十分」という意見も耳にする。だが、ぼくはそうは思わない。インフラとしてのクラシックがなければ、地域の文化資産としての民謡もロックもポップスも衰退していくか、薄っぺらなものになってしまうと思うからだ。

それに、琉響には他の交響楽団にない特別な個性がある。日本オーケストラ連盟(正会員25団体/準会員も含めると38団体/琉響は未加盟)によれば、日本の交響楽団の平均女性比率は38.5%、最高は東京ニューシティ管弦楽団の61.5%である。ところが、琉響は42名の団員中37名が女性である。その女性比率は88%、約9割だ。プロあるいはプロ志向のオーケストラでそんな楽団は他にひとつもない。

この事実に気づいたのは、今回のコンサートに足を運んだからである。この日のステージは32人編成だったが、指揮者の高宮城徹夫(本来はバイオリン奏者)を除くと、男性団員は4人しかいなかった。高宮城が指揮者だったせいで、弦楽器は大型楽器のコントラバスも含め全員女性、ホルンやチューバのような大型管楽器の担当も女性だった。かなりびっくりした。

琉響はまだオーケストラとしては発展途上だが、この日の演奏はとても好感が持てた。全員が楽しみながら普久原恒勇の音楽に挑んでいたと思う。こういう楽団は聴く者も幸せにしてくれる。沖縄の音楽の可能性も広げてくれるだろう。

「女性比率全国一」という個性は、間違いなく琉響の“売り”になるし、おそらく楽団全体のレベルアップにも役立つ。そうなれば、楽団経営もいまより改善される。贅沢を言えば、「女性指揮者」をどこからか引き抜いてくれれば一段と魅力的になるだろう。公金を投入せずとも、十分「商売」になるはずである。

普久原恒勇が女性比率まで意識していたとは思えないが、期せずして大きな遺産を残してくれたと思う。ぼくは琉響に大きな期待を持っている。これからが楽しみだ。

批評.COM  篠原章
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