首里城火災の管理責任を問う住民訴訟初公判—原告側意見陳述書の公開

沖縄県(玉城デニー知事)を相手取って、首里城火災の管理責任を問う住民訴訟が11月16日に始まった。初公判では、原告の訴状並びに被告の答弁書が証拠として開示された。

県側は答弁書で「財団が防災や施設の維持管理に関する一切の責任を負っていたわけではない」などと反論し、請求の棄却を求めた。答弁書によると、国と県との実施協定や、県と財団との基本協定書などから、新たな設備の設置や100万円を超える修繕は、財団の責任になっておらず、防火設備は国が設置した。「財団の施設の管理に問題がない」などと主張し、自らの責任を否定した。

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続いて、原告団共同代表の石岡裕さんが意見陳述し「沖縄県民に衝撃を与え、社会的に大問題となった事件で、原因や責任がうやむやであっていいはずがない」と述べ、管理者である沖縄県並びに指定管理者・美ら島財団の責任を明確にするよう求めた。

原告団はこの日の初公判に備え、13日(土)に県立博物館・美術館講堂で、火災原因を推定した寸劇「責任者出てこい!」(弁護団代表・徳永信一氏の脚本・演出)もまじえたシンポジウムを開催した。シンポには50人ほどの県民が参加し、コミカルな寸劇に拍手を送り、パネリスト(原告共同代表・金城満都瑚氏、徳永弁護士、喜納昌吉氏、金城吟呼氏。司会:篠原)の議論に熱心に耳を傾けていた。

以下、原告共同代表・石岡裕さんの意見陳述書を公開します。

意見陳述書

原告団共同代表 石 岡 裕

1 私は原告共同代表の石岡裕と申します。
東京出身のヤマトんちゅーですが、40年余り沖縄で暮らしており、長年音楽家として沖縄の芸能に携わってきたこともあって、沖縄の文化が大好きで、首里城についても焼失以前から様々なかかわりと関心を持ってきました。

2 そんな私にとって、もちろん首里城の焼失は大変ショッキングな出来事でした。
正殿をはじめとする建物の焼失も大変な事でしたが、私にとっては何より展示されてい た本物の文化財や沖縄の伝統技術の粋を結集した工芸品の多くが灰になってしまった ことは、信じられない出来事でした。
戦災により多くの歴史的文化財が失われてしま った沖縄が、やっと集めた、それはかけがえのない宝物であり、民族の歴史そのものだと言っても過言ではなかったと思いますが、灰となり、永遠に失われてしまったのです。また、幸いにして焼失を免れた文化財も、その多くがダメージを受け、損傷してしまいました。
もちろん首里城炎上は私だけでなく、沖縄中がそれこそひっくり返るような大騒ぎになった事件でした。
沖縄県民の喪失感ははかり知れず、首里城は、沖縄の魂であり、シンボルであり、アイデンティティーなのだと連日のように報道されていました。また、先の戦災で焼け落ちた首里城のイメージがよみがえり、不吉な思いに戦慄した県民も少なくなかったと思われます。
そんな中、映し出される、立ち尽くして言葉を失い、涙する大人や子供の姿に、日本各地から暖かい言葉と支援の手が差し伸べられたことは、忘れもしません。急遽立ち上げられた再建基金にも信じられないスピードで寄付が寄せられ、あっという間に数十億にもなってゆきました。 首里城の炎上により深く傷ついた沖縄県民に心を寄せてくださった多くの方々に。 この場をお借りしてお礼を申し上げます。

3  沖縄県は、そんな暖かい支援の声に応えるためにも、積極的に火災の原因を究明し、管理責任を明らかにし、再発防止に向けて、管理の体制を一新してから、再建 へと向かうべきでした。
しかし、現実は、原因も責任も置き去りにしたままで、これについて深く追及することもなく、ただ漫然と再建へと突き進んでいるようにみえてなりません。
私にはこれはあり得ないことのように思われます。
多くの県民の願いが一日も早い復興、再建であることは当然だとしても、その原因も責任の所在も明らかになっていない状況での再建には大きな不安が付きまとわざるを得ません。
火災原因も責任問題もうやむやなまま2年がたち、あれだけの大事件であったにも関わらず、沖縄県民の意識からもそのことは薄れ始めていると感じています。というより、本当はそこが知りたいという気持ちを残しながらも、どうせだれもそこには切り込めないだろうというあきらめに似た思いが漂っていると言った方が当たっているのかもしれません。
首里城の所有者の国も、管理者の沖縄県も、指定管理者の一般財団法人沖縄美ら島財団も、火災原因の特定や管理責任の所在にはできるだけ触れずに、ひたすら再建に だけ力を注いでいます。
しかし、私にはむしろ“再建”だけを首里城の話題にすることで、責任問題を掻き消そうとしているかのようにすら感じられます。

4 私たち原告団は、このことにもやもやしたやりきれない思いをずっと抱いてきました。そして県庁も県議会もこの状況を突破できないことに業を煮やし、そこに一石を 投じるためには住民訴訟しかないと思うに至ったのです。
裁判の過程を通して、火災原因が特定され、管理責任の所在が明確になり、再建に向かう首里城の管理体制が一新されることを求めてゆきたいと強く願っています。
私たちが納得できないポイントはいくつもありますが弁護士さんらが、今後の裁判において明らかにしてくださると思いますので、私からは二つだけ上げさせていただきます。
まず、「出火原因が不明」とされている点です。この言葉は独り歩きしてしまい、 首里城の火災の原因はついに判らなかったと捉えている県民も多いと思いますが、那覇市消防局の調査報告書を丁寧に読んでいくと、まったく様相は違って見えてきます。
消防局は、火の気のない建物に火災が発生した原因を考えられる限り上げたうえで、 それらを緻密な調査により一つ一つ否定しています。
そうして最後に残された疑わし い火元は、出火場所と特定された一角に美ら島財団が設置したLED照明の電源コードまわり一つしかないことを明らかにしています。
消防局がそれを原因と断定しなかったのは、ただ、あまりの火災の強さに、着火物などの物証が焼失又は損傷してしまっているという理由からです。
消防局が科学的判定にこだわり物証を重視したのは理解できなくはありませんが、私には、消去法、そして状況証拠より、原因は明らかだとしか思えません。
出火原因は多くの県民が心に引っかかっている重要なポイントでもあると思いますので、法的な責任の所在のという観点からみたらどうなるのか、ぜひ裁判の過程の中で明らかにしていただきたいとお願いいたします。
次に、首里城火災について特に残念でならないのが、たとえ出火があったとしても、初期消火活動がしっかりしていたなら、7棟が焼け落ちてしてしまうような大惨事は避けられたのではないかと思われる点です。
国、県、美ら島財団の中でもとりわけ現場での管理責任を負っていたのは美ら島財団ですが、美ら島財団関係者の初動は管理マニュアルにも従わずに行動し、消防への 通報もせず、駆け付けた消防隊を火災現場へ導くことも怠るなど、あまりにもお粗末なものでした。
また、美ら島財団が維持管理していた自動火災警報装置がきちんと作動していなかったこともあり得ない失態です。これら数々の不手際について、なんにも責任が問われていないことは、全く私の理解を超えています。
美ら島財団の管理者としての資格については、完全に疑われるべきであり、火災拡大の責任を問われるべきであるはずですが、いまだに指定管理者として焼け跡となっ た首里城の管理を任されていることは、とても信じられない思いです。
例えばこれが民間同士の契約ならば、たとえどんな事情があろうとも火災を出した ことの結果責任を問われて、管理会社は即刻首のうえ、損害賠償を請求されるのが常識ではないでしょうか。

5 最後に改めて申し上げますが、原告団の思いはシンプルです。
これだけ社会的に大問題となった事件でありその影響も巨大でしたので、原因や責任がうやむやであっていいはずがないと思っています。このあまりに当たり前のことがきちんとなされていないことに憤りを感じています。
また、出火原因も管理責任の所在も明確でない現状では、首里城をまた新たに再建しても、再び同じ過ちを繰り返す恐れをぬぐうことはできません。
再発防止の観点からも、どうかこの裁判の場でそれらのことが明らかになり、新たな出発をすっきりした気持ちで迎えたいと、ただただ強く、そう願ってやみません。
沖縄の未来のためにも、暖かい心と支援を寄せてくださった多くの方々の声に応 える為にも、この裁判にかかわる皆様には、首里城の火災に正面から向き合っていただき、その真実を明らかにしてくださいますよう心よりお願いして、私の意見陳述と させていただきます。

どうもありがとうございました。

令和3年11月16日

批評.COM  篠原章
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