新刊『はっぴいえんどの原像』番外編 (9) 】サエキけんぞう×篠原章「セントラルアパートは2つあった!」

『ゆでめん』から53年、はっぴいえんどとは何だったのか?……
『はっぴいえんどの原像』発売記念トークスペシャル

2023年1月20日、リットーミュージックからサエキけんぞう×篠原章『はっぴいえんどの原像』が発売される。

当サイトでは、サエキ・篠原による〝はっぴいえんど〟をめぐる対談を6回にわたって掲載したが(2015年)、その内容は『はっぴいえんどの原像』の土台の一部になっている。そこで、今回この対談を編集したうえ『はっぴいえんどの原像』番外編として分割再掲載する。
番外編(9)は「セントラルアパートは2つあった!」

原宿セントラルアパートと東京セントラルアパート

さて、ここで以前にもこの連載にご登場いただいた清水美光さんに、再度問い合わせをしなければならなくなった。

それは、はっぴいえんどの『ゆでめん』と『風街ろまん』が出たURCレコードがあった高石友也事務所=音楽舎(ジャックス・ファンクラブもそこにあった) が何処にあったか?という話が話題になり、それが、某サブカルチャー番組で、原宿は表参道と明治通りの交差点にあった有名な“原宿セントラルアパート”といわれているのだが、どうも違うんじゃないか?という疑問が出てきたのだ。これは篠原、サエキは預かり知らず、当時の方にしかわからない話だ。

清水美光「ジャックスのファンになったわけだけど、お金もないし、ライブも見られるということで、ジャックスファンクラブというか、それがあった高石友也事務所(音楽舎)にバイトすることになったのよ。アングラ音楽祭とかで、高校生としてバイトしてポスターとか売ってたの。ライブも少し見られるわけ。女子学院の 生徒数名で参加したの」

篠原章「そうそう、その高石事務所というか、後のURCレコード、音楽舎があったのは、後に糸井重里事務所も入ることになる、あの有名な原宿セントラルアパートなのか、っていうのが前から気になっていて。ぼくの記憶とセントラルアパートの場所が一致しないんですよ」

清水「高石事務所のあったのは、“東京セントラルアパート”。表参道と明治通りの交差点の“原宿セントラルアパート”じゃないのよ。けやきのある方、大橋巨泉の事務所とか入ってた」

サエキけんぞう「“東京セントラルアパート”? えええ? じゃあ、1階が階段状の客席になっていた喫茶“レオン”があった“セントラルアパート”とは別なの!?」

篠原「URCの入ってたビルが、表参道と明治通りの交差点の“原宿セントラルアパート”と思ってる人が今は多いけど、もうひとつあったわけね」

清水「表参道を、明治通りの交差点から青山方向に道左側にずっといって、同潤会アパート(現・表参道ヒルズ)がとぎれたところぐらい、そこに東京セントラルアパートがあった。その頃は、表参道って駅がなくて、神宮前って駅だったの

サエキ「え?表参道って神宮前という名前だった?」

清水「そうなのよ。みんな忘れてるんだけど」

Wikipediaによれば「1938年(昭和13年 東京高速鉄道「青山六丁目駅」39年(昭和14年)「神宮前駅」と改称。1972年(昭和47年)10月20日 – 千代田線の「表参道駅」開業で、銀座線の駅名も同名に改称し、神宮前の駅名は明治神宮前駅に引き継がれるとのこと。

70年代にサブカルをリードする「原宿セントラルアパート」と、もうひとつの「東京セントラルアパート」を介して、「ゆでめん」「風街ろまん」を生んだ1970〜71年の東京が見えてくる。まだ半蔵門線のできる前、銀座線しかない頃、表参道駅は、神宮前駅という名前だった。

なお、1969年建築の東京セントラルアパートは、「東京セントラル表参道」と改称して現存。表参道に古くからある伊藤病院の裏側。数年前までロイヤルホストがあった場所の隣地である〈(旧)東京セントラルアパートの建物写真(篠原撮影)を参照〉。

(旧)東京セントラルアパート近影1

(旧)東京セントラルアパート近影2

〈つづく〉

批評.COM  篠原章
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