デニー知事「人権条例制定」は「琉球独立運動に対する支援」になるのか、「習近平に対する媚び」を売ることになるのか?

沖縄県議会で去る3月30日、「沖縄県差別のない人権尊重社会づくり条例」が県議会で可決された。

当初は「ヘイトスピーチ防止(抑止)条例」といった仮称が与えられていたが、審議された条例案は「沖縄県人権宣言」といった印象のある包括的な条例になっている。

自治体が「人権を守る」と宣言すること自体、けっして悪いことではないが、この条例のいちばんの眼目は第10条にある。

県議や県庁職員が具体的に思い浮かべるのは、沖縄県庁庁舎や沖縄県唯一のデパート「パレットくもじ」のある県庁前交差点(もっと厳密にいえば県会議事堂前交差点・市役所前交差点)付近で、拡声器を使って沖縄県政批判などを行っているグループのことだ(その名も「シーサー平和運動センター」)。

彼らの「スピーチ」をヘイトスピーチと見なす市民団体は、毎週水曜日に彼らの集まる場所に予防線を張り、現在「スピーチ」はできなくなっているが、おもろまちの県立博物館周辺には「ゲリラ的に出現」しているらしい(2023年4月上旬現在)。そもそも彼らが「標的」とされたことで条例制定運動が始まり、この条例に「結実」したのである。

彼らの主張は、時として政治や行政の現状に対する批判を逸脱して、中国人観光客に対する非難(「チャイナは出ていけ」と、代表の久我信太郎氏が中国人観光客を追いかけ回した事例で知られる)になっている。インターネット上には、彼らの主張に似通った、あるいはそれ以上に侮蔑的な書き込みも珍しくはないが、数は減っている。

さらに、問題は第9条にもある。

「第9条 県は、県民であることを理由とする不当な差別的言動の解消に向けた施策を講ずるものとする」

沖縄にルーツのある人たちや沖縄県民が、自分たちを見下したり貶めるような発言をするのと(一般にこれはヘイトスピーチというより「自虐的な発言」と捉えられる)、沖縄にルーツのない人たちや他県民が、沖縄にルーツのある人たちや沖縄県民を侮辱するのとではわけが違う。差別・被差別というのは、感情的な要素が大きく絡んでいる以上、当事者の属性に大きく左右される。

かといって、沖縄にルーツのある人たちあるいは沖縄県民なら、自らを汚い言葉で罵るのが許されて、そうでない人たちには許されないというのでは、法的公平に欠けてしまうことになる。つまり、条例のような普遍的な文書(法)のなかで、こうした区別を明確化するのはきわめて難しいということだ。加えて、沖縄以外の地域の出身者に対する沖縄内の差別(たとえば内地、とくに奄美出身者などに対する差別や米兵に対するヘイトスピーチ)や沖縄県内の差別(たとえば、宮古島出身者に対する本島内の差別)といった問題もある。他方、原案の罰則規定は削除される方針だというが、罰則規定のない条例だと実効性に乏しいことも事実だ。

もう少し視野を広げてみると「沖縄差別を許すな」は、すでに基地反対派の論拠の1つになっている。安全保障や地政学上の問題と「民族差別」を同じテーブルで論ずるのは、分断と混乱を深めかねない議論だと思うが、条例案にはこうした「差別」が含まれる可能性もある。もっといえば、「東北差別を許すな」「大阪差別を許すな」といった主張が出てきた場合、沖縄の立脚する根拠はどのように組み立てるのか。「沖縄だけ血統が異なるのか」という問題提起もありうるだろう。論点はいくらでもある。

大阪市、東京都、川崎市などの自治体がヘイトスピーチに対して厳しく対応する条例を制定しているから、沖縄県がこうした条例をつくり、人権を守りたいという意識を持つのは理解できるが、沖縄タイムスに掲載された、条例制定推進派の師岡康子弁護士(東京弁護士会)の主張にもあるように、詳しい実態調査が行われないまま条例を制定しようとするのは、「拙速」のそしりを免れない。沖縄県は、条例案に対するネット上のヒアリングは行っているが、実態調査した形跡は認められない。

座波一県議、新垣淑豊県議(自民党)などは継続審議を訴えたが、実態調査を欠いたまま条例を制定しようとする県のやり方もあらためるべきだった。他方で、血統や出身に拘ったりすれば、「琉球民族のルーツ」を固定化しかねないという危険性もある。普遍的な人権に関わる条例である以上、いま以上の慎重さが求められるのは当然である。沖縄にルーツのある人たち、あるいは沖縄県民なら、自らを汚い言葉で罵るのが許されて、そうでない人たちには許されないというのでは、法的公平に欠けてしまうことになる。つまり、条例のような普遍的な文書(法)のなかで、こうした区別を明確化するのはきわめて難しいということだ。加えて、沖縄以外の地域の出身者に対する沖縄内の差別(たとえば内地、とくに奄美出身者などに対する差別や米兵に対するヘイトスピーチ)や沖縄県内の差別(たとえば、宮古島出身者に対する本島内の差別)といった問題もある。他方、原案の罰則規定は削除されたが、罰則規定のない条例だと実効性に乏しいことも事実だ。

玉城デニー沖縄県知事の「狙い」はいったいどこにあるのか?

巷間いわれているように、果たして「琉球独立運動に対する支援」になるのか、それとも「習近平に対して媚びを売ること」になるのか。議場では「3年後の見直し」が約束されたというが、「見直し」は何から手が付けられるのか?まだまだ課題はたくさんある。

(未定稿)

  

 

 

批評.COM  篠原章
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