レビュー:マーロン・ブランド主演映画『八月十五夜の茶屋』(1956年)

1956年に製作され、翌年公開されたマーロン・ブランド主演のコメディ・タッチの映画『8月15夜の茶屋 The Teahouse of the August Moon』(共演:京マチ子)を見た。舞台は1946年の沖縄である。10年以上前に観たのだが、記憶はほとんど消滅しており、かなり新鮮な気持ちで見ることが出来た。

同タイトルの小説が原作だが、ブロードウェイで人気を博した芝居だったともいう。日本でも芝居が先行して上演され(歌舞伎座)、マスコミの話題をさらったらしいが、話題になったという記録はほとんど見当たらない。いまや、チョイ役で映画に出演した淀川長治のエッセーなどから読み取れるだけである。

映画は大映の協力を得てMGMが製作し、沖縄、奈良などでもロケが行われたということだが、大部分のシーンはMGMのスタジオでセットを組んで撮影されている。同じ1957年に、やはりマーロン・ブランドが主演する恋愛映画『サヨナラ Sayonara』(共演:高美以子/たかみいこ/ 舞台は神戸・宝塚など)が公開されている。

太平洋戦争で日本を屈服させ、朝鮮戦争に介入していた当時のアメリカ(ハリウッドも)では、オリエンタル・エキゾティシズムがブームだったのだ。エキゾティック・サウンドで有名なマーティン・デニーがヒット・チャートに登場したのもほぼ同じ時期である。ついでにいえば、香港を舞台とした映画『慕情』(1955年)や『スージー・ウォンの世界』(1960年)も、オリエンタル・エキゾティシズムの世界を描いている。

ぼくが今回見たのは、ハリウッドの名作を(勝手に?)アップしているロシアのサイト(字幕なし・原語のみ)だが、今どきとても怪しいので、念のためリンク先はYouTubeにアップされているこの映画のトレイラー(予告編)とした。勇気のある人は、こちらをご覧あれ。

この映画の見所は、沖縄人という設定で日本語を喋るマーロン・ブランドだ。この作品のために2か月間日本に滞在して日本語を特訓したというが、その成果はあったと思う。日本語だけでなく日本人英語も見事にこなしたコミカルな演技は見物である。ただ、10年ほど前まで那覇は波之上(旧遊廓地帯)で営業を続けていた料亭「松乃下」(現在は福祉介護施設)でのロケがどのシーンか確定できないままに終わった。

驚いたのは全盛期の京マチ子。なんと美しいことか。芸者(ジュリ=娼妓)役だが、コメディも巧みに演じている(コメディのほうがいいかも)。彼女を愛人として自分の居住するマンション(原宿駅前のコープ・オリンピアー現存)内に住まわせた大映創業者・永田雅一の気持ちがよくわかったよ。あ、ちなみに清川虹子も婦人同盟とかの代表として出演しているが、彼女の演技も素晴らしい。

オリエンタリズム(植民地主義の一類型)を背景にした俗悪なエンタメ映画というより、米国流民主主義を沖縄(日本)に根づかせようと奮闘する占領軍当局の、無駄とも無謀とも思える努力をコミカルに描いているところがいい。沖縄人、日本人だけでなくアメリカ人もバカにしている。出演者(エキストラ)には沖縄出身者も含まれていると見たが、全員がウチナーグチではなくフツーにヤマトゥグチを喋っている。そこが気になる人は見ないほうがいいが、日本の時代劇だって、どんなに時代考証を綿密にしても結局は現代語をベースに喋っているわけだから、ま、「些細なこと」ととして片づけるべきだと思う。

劇中の沖縄音楽を担当したのは、宮古島出身で東京音楽学校卒の作曲家・金井喜久子。沖縄民謡の原型を残しつつ、ハリウッド的な味つけに苦心した形跡があちこちに見いだされる。「こんなのホンモノじゃないじゃん」といってなじるのは容易いが、ハリウッドで理解されるフォーマットに置き換える苦労は並大抵じゃないぞ。異文化同士が遭遇・衝突した時、オリエンタリズムが媒介になっている点は正しく評価しないと。
8月15夜の茶屋
批評.COM  篠原章
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