ジプシーとダルビッシュ〜トニー・ガトリフ考

熱情の音楽であり、性的な奔放を想像させる舞踏と分かちがたく結ばれている音楽。長いことそれがフラメンコのイメージだった。

そのイメージが、あまり正確ではないと気づいたのは2年ほど前のことだ。イスラエル在住のLADINOのシンガー、ヤスミン・レビィに焦がれ、彼女と関係の深いフラメンコやロマ(ジプシー)の音楽を調べるうち、通俗的なフラメンコ観を脱して、その音楽の奥行きの深さを知ることができたのである。

ヤスミンを知ったのは “Naci en Alamo” という歌がきっかけであった。故郷を持たないジプシーの悲哀を、濃密な情感を絡めて謳いあげた、悲しくも美しい歌だ。

オリジナルについては調べきれていないが、知られるようになったのはアルジェリア出身の名監督、トニー・ガトリフの作品『Vengo』(2000年)で挿入歌として使われてからである。全編にわたってフラメンコが流れる、これまた震えがくるほど美しい音楽映画だ。

映画の冒頭で、いきなりフラメンコとスーフィー(イスラム神秘主義の音楽)のセッション(フラメンコギターの第一人者Tomatitoの楽団とShelkh AHMAD AL TUNIの楽団による)が繰り広げられるが、これほどショッキングな<フュージョン・ミュージック>に出会ったことは、これまで正直言ってなかった。フラメンコがロマの人びとの放浪の音楽なら、ここで展開されているスーフィーの音楽は、ダルビッシュの放浪の音楽だ。ダルビッシュとは、放浪しながらスーフィズムを説く人びとである。つまり、ここでは、放浪の音楽どうしがおそろしいほど自然に融合しあっているのだ。もちろん、仕掛け人はガトリフである。ガトリフという人は、おそらく音楽家・音楽批評家としても第一級の感性の持ち主であり、大衆音楽の神髄を知る数少ないアーティストであるにちがいない。フィンランドのミカ・カウリスマキ(『モロ・ノ・ブブラジル』の監督)の目線にも感心したが、ガトリフの作品はもはやエンターテインメントを高度に純化した思想といっていい。

ガトリフには他に『トランシルヴァニア』『イ・ムヴリーニ』という、ジプシーの世界とその音楽を扱った映画があるが、まだ観ていない。熱烈に観たいと思う半面、ガトリフにとりこまれてしまうのではないか、という恐怖心もある。

テヘラン、バグダッド、エルサレムを経て、この映画の舞台となったアンダルシア(ロマの人びとが住む地域)に向かい、コルシカ、シチリアと地中海を巡って、最後はリスボンで沈没する。そんな旅を夢想する一年になりそうだ。


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批評.COM  篠原章
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