杉本文楽と沖縄独立

bunraku

現代アートの杉本博司が近松門左衛門『木偶坊入情(でくのぼういりなさけ)曾根崎心中付り(つけたり)観音廻り』のオリジナル版人形浄瑠璃を、現代に甦らせるプロセスを追ったドキュメンタリーを観た(NHK ETV特集『この世の名残 夜も名残~杉本博司が挑む「曽根崎心中」オリジナル~』10月16日)。この杉本文楽が神奈川芸術劇場で上演されるという話はだいぶ前から知っていたが、私事多難で(笑)、正直いってそれどころじゃなかった。

16日夜、テレビをなんとなくつけていたら、かつて沖縄仲間だった旧知の宮本亜門さんが画面に現れ、「世界中の人たちに観て欲しい傑作」とコメントしていた。いったいどんなものかと、最後までしっかり番組を観てしまった。

大阪に出かるときは、いわゆるキタの一角、JR大阪駅より南側の堂島に宿を取ることにしている。宿から梅田駅方面に向かおうとして、しばしば「お初天神」の境内を抜ける。御利益は「商売繁盛」というから俺にはあまり関係ないと思いつつ、通行料代わりにわずかばかりのお賽銭を奉じている。「お初天神」は正式には「露天神社(つゆのてんじんしゃ)」という古社だが、元禄の世に「曽根崎心中」が浄瑠璃と歌舞伎で大ヒットしたのをきっかけに参拝者が急増したという。この物語の素材となった心中事件で、実在したお初と徳兵衛がともに命を絶ったのがこの社の森(天神ノ森)だったことから、お初天神と通称されるようになったらしい。今いろいろ調べている「沖縄の自立性・ 独立性」の歴史的な側面に「国姓爺合戦」がリンクしているので、近松門左衛門のことも気にはなっていたが、ぼくと「曾根崎心中」との縁など実のところその程度でしかなかない。

番組を観てまず驚いたのは、近松門左衛門の原作オリジナル版が2008年に富山で初めて発見されたという話だ。「曽根崎心中」は有名だから、原作通りに上演されているのだろうと思いこんでいた。調べてみたら、原作に忠実な舞台は初演(1703年)当時に限られるという。1715年の十三回忌記念公演では、「観音廻り」「生玉社前の場」「天満屋の場」「徳兵衛お初道行」の4段あった原作の内、第1段にあたる「観音廻り」がはしょられてしまった。

その後は幕府による心中もの上演禁止令(芝居の影響で心中が増えたことによる発令)もあり、演目となること自体がほとんどなかったらしい。近代に入って最初の復活公演となったのはなんと1953年の宇野信 夫脚本の歌舞伎。この脚本の土台となったのは1715年の本なので、以降も「観音廻り」ははしょられたままだった。

そうした歴史を背負いこむ「曾根崎心中」が、18世紀初頭以来約300年ぶりに原作に忠実なかたちで復活した。それだけでけっこうな大事件といえる。芝居自体の構成が変わるから、当然脚本も演出も変わる。 それだけではない。三味線など音曲についてデータが残っているわけではないので、あらたに節をつくり、謡の部分もそれに合わせなければならない。こうした大きな変化に加えて、杉本博司は、文楽の常識を破るような演出や大道具を準備していた。たとえば、人形遣いの足元を隠す役割のある手摺りを使わない。人形遣いに不可欠と思われていた下駄の着用を禁止する。左右の動きしかない文楽に前後の動きを付け加える。大道具として、文楽では使われたことのない実物大の鳥居、ホンモノの仏像、スライドを映すためのスクリーンを使う。限りなく闇に近いレベルにまで照明を落とす。といった具合である。番組では、杉本の演出を 知って凍り付いたような表情になる文楽の面々が映し出されていた。

番組は杉本文楽の全貌を伝える性格のものではない。あくまでもメイキング映像なので、芝居自体の善し悪しがはっきりわかるわけではない。が、これまで文楽を知らぬ者にも、杉本文楽の新しさと芸術性が伝わる仕掛けとなっている。不満を述べていた文楽の面々も、最後はすっかり満足した表情だった。

浄瑠璃はぼくにとってもっとも遠い世界のひとつだから、杉本文楽自体の成否を云々することは難しいが、「ぜひとも観たい」と思ったことは確かだ。大きな刺激を与えてくれるだろう。

ただ、気になることもいくつかあった。いちばん気になったのは、1715年以来「観音廻り」がはしょられてきたその理由である。

どうやら元禄あたりには、上方(関西)を中心に「観音廻り」というか「札所廻り」が市民たちの流行りになっていたらしい。近松の「観音廻り」は「大坂三十三箇所観音廻り」のことを指し、当時の大阪では一日で廻れるこの巡礼コースが人気だったという(長く廃れていたが1996年に復活)。はしょられた「観音廻り」の段には巡礼の場となる霊場の名がいちいち挙げられている、と聴いた。観音菩薩信仰がこの物語の出発点にあるのだ。ちなみに、一番札所はお初天神にもほど近い太融寺(北区太融寺町)で、「曾根崎心中」の第二段、お初と徳兵衛の出逢いの場となる「生玉社」(生國魂神社または難波大社)は三十二番の霊場である。

なぜ観音廻りが流行ったのか。「戦乱の世が完全に終わり、平和で安定した元禄の世を迎えて、豊かさを享受するようになった市民の余裕の現れ」という評価がおそらく一般的だろう。それまでになかった平時の経済的なゆとりが菩薩信仰の裏づけとなっているというわけだ。菩薩信仰は、あの世で報われたいという浄土信仰ではなく、現世の御利益を求める信仰であるといわれている。平和で繁栄した時代でなければ、支持されない信仰類型だ。

これに対して、杉本博司は「近松によって、それまで関わりのなかった男女の恋愛と仏教信仰とが結合される時代がもたらされた」というような意味のことを述べていた。だからこそ「観音廻り」の段は重要なのだと。

そうなのか、と思う。近松は心中物を中心に世間を賑 わせた事件をテーマとする「世話物」を24篇も発表している。その第一作が「曾根崎心中」である。心中もの・不義密通ものも含めて、男女関係のもつれを基調とした題材がほとんどだ。心中をたんなるスキャンダルと観るのではなく、近松は人間や人間社会の本質的な悲しみ(マルクス流にいえば「疎外」ですが)を描こうとしたのだという見方もできる。そうであるならば、杉本のいうような信仰との繋がりも見いだせる。

が、一方で、事件が起きてまもなく発表された作品が 多いという点が気になる。たとえば「曽根崎心中」の初演は1703年5月7日。実際の心中事件は4月7日。1か月で事件を浄瑠璃の演目にしてしまうという離れ業だが、当時、歌舞伎の1ジャンルである世話狂言では、直近の事件や実話を演目にする習慣がすでにあったという。芝居の機能には、ニュース速報というよりニュースショーに通ずる要素があったわけだ。世間で噂に上っている事件を、庶民受けする脚色をまじえながら近松一流の名調子で詳しく報じる。今でいえばちょっぴり格調の高いワイドショーみたいな代物である。音曲による瓦版か。歌舞伎の世界でのこうした流行を、斬新な演出を加えながら浄瑠璃に導入したのが近松の功績であった、という研究もある。

となると、「巡礼行」も流行の一要素として採り入れ ただけ、という見方もできるのではないか。「あのお初さんは、流行りの三十三箇所廻りで徳兵衛さんにナンパされていた!」「曾根崎心中に学ぶ新しい出逢いのスタイル〜大坂三十三箇所廻り」という週刊誌的な見出しがついつい頭に浮かんできてしまう。宗教的背景は薄まって、現代と同じようにスキャンダルを愛好 する庶民の顔が見えてくる。

マスコミの餌食となったスキャンダラスな事件という側面が強調されてしまうと元も子もないので、あまりいいたくはないが、「観音廻り」の段がはしょられたのも、信仰とか宗教性が前面に出るとストーリーの単純さが見えにくくなってしまうことを恐れた結果ではないかと思う。

それにしても、杉本博司が多くの問題提起に成功したことはまちがいない。人気は高いとはいえ、現代アートが大衆レベルにまで降りてきているとはいえない現状を、自らプロデュースした文楽によって打破するきっかけをつかんだような気がする。一方の浄瑠璃についてもしかりだ。浄瑠璃が一部のマニアに受けるだけで、大衆化できないのは伝統に対するこだわりが足 枷となっているからだが、それを現代アートの巨匠といえる杉本博司がとっぱらってしまった。

たしかに杉本博司の自然観・宗教観・死生観などについては議論の余地はある。番組の中で、「縄文時代が1万年もつづいた国はない。なぜ進化が容易に起きなかったのかといえば、日本には豊かな自然があったから進化する必要が生じなかったのだ。悠久の自然とのこうした付き合いの中で育まれた日本人の自然観は独自の文化的創造の土台となっている。現代人の血の中にそれは綿々と引き継がれている」というような意味のことを述べていた。「そそられる」言葉ではある。

だとすれば、縄文時代が「存在しなかった」といわれる沖縄、あるいは存在したとしても異なる態様だったといわれる沖縄は、日本文化とは一線を画するものになってしまうな、と思う。一方で沖縄の先史時代に縄文の文化的な力の痕跡を見いだす見方も全否定されたわけではないから、日琉同祖論、日琉異質論にはまだまだ決着がつかないことになる。ま、真実はその中間にあるとは思いますがね。

※日琉同祖論、日琉異質論については別稿に譲る。

参考文献
諏訪春雄『近松世話浄瑠璃の研究』笠間書院(1974)
芸能史研究会 『日本芸能史 第3巻 近世~近代』法政大学出版局(1988)
西瀬英紀・林久美子・樹下文隆・青木繁・阪口弘之『日本芸能史』昭和堂(1999)
大阪市立大学文学研究科「上方文化講座」企画委員会 (編) 『上方文化講座 曾根崎心中』和泉書院 (2006)

写真
(C)演劇博物館

批評.COM  篠原章
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