「百田氏は憲法違反」か?〜百田発言の検証

Is Mr.Hyakuta Against the Constitution of Japan ? --- Verification of His Remarks

自民党の会合における作家・百田尚樹氏の発言をめぐって、いまだに紛糾が続いている。百田氏の発言は、沖縄問題をテーマとして発言を続ける者にとってもいささか迷惑な話ではある。沖縄問題については、何より冷静な姿勢で事実を見極め、議論を続けることが望ましいが、従来もメディアから識者まで感情の渦の中に巻きこまれる傾向が強かった。事実の確認や表現などの面で適切さを欠いていた百田発言が、こうした傾向をいたずらに助長してしまったことは残念だ。

多くは一過性のバッシングに終わるだろうが、いくらなんでも行き過ぎだと思う事例もある。会合に出席して発言した自民党の国会議員が批判され、処分を受けるのはわかる。だが、公人(国会議員など)や議会(宜野湾市議会)が、私人である百田氏に「謝罪」や「訂正」を要求する事例まで出てきたのにはさすがに驚いた。

とりわけ、沖縄県選出国会議員5名が連名で出した抗議声明(6月27日付)には仰天した。まずは、『「百田氏発言は憲法違反」 沖縄選出議員ら抗議』という見出しをつけられた東京新聞の記事(6月27日夕刊掲載)をご覧あれ。

 安倍晋三首相に近い自民党若手議員の勉強会で、沖縄の有力二紙をはじめとする報道機関に圧力をかけるような発言が出た問題をめぐり、沖縄選出の野党国会議員ら五人は二十七日、勉強会の講師を務めた作家の百田(ひゃくた)尚樹氏に「憲法二一条の報道・表現の自由に反し、断じて看過できない」と抗議する声明を発表した。
社民党の照屋寛徳(てるやかんとく)衆院議員は記者会見で「表現、報道の自由は民主社会の根幹にかかわる。憲法の破壊につながる暴言だ」と批判。百田氏の小説「永遠の0」を引用して「百田氏の戦後史に関する知識は、永遠のゼロだ」と述べた。
声明はマスメディアが権力に批判的なスタンスであるのは健全とし、二紙が基地問題を大きく扱うのは「沖縄が国策の犠牲を強いられ続け、問題が解消していないからだ」と強調。県民世論の代弁者として政府を追及しているだけだと指摘した。声明は百田氏と、勉強会に参加した全国会議員に送付する。
声明を出したのは、ほかに赤嶺政賢(あかみねせいけん)(共産)、玉城(たまき)デニー(生活)、仲里利信(なかさととしのぶ)(無所属)の各衆院議員と、糸数(いとかず)慶子参院議員(同)。いずれも昨年十一月の知事選で翁長雄志(おながたけし)知事を支持した。自民党の国会議員には呼び掛けなかった。
◆抗議声明のポイント
▼民主主義社会では、マスメディアが権力に対して批判的なスタンスであるのは健全。報道機関を「つぶす」と述べるのは報道・表現の自由に反し、断じて看過できない。
▼地元二紙が基地問題を大きく扱うのは戦後七十年、沖縄が国策の犠牲を強いられ続け、問題が解消していないからだ。
▼百田氏の数々の発言は著しい事実誤認に基づき、沖縄に対する不見識の甚だしさを物語っている。
▼「暴言」「妄言」と厳しく指弾せざるを得ず、発言の撤回と二紙への速やかな謝罪の意思を示すよう強く求める。

東京新聞の記事(6月27日夕刊掲載)

百田発言は、政権与党の会合における私人の発言である。批判することも自由だが、新聞の偏りを指摘したり、自らの基地問題に関する見解を開陳することもまた自由である。その意味で、今回の発言をきっかけに各所で議論が沸騰している現状そのものは、日本の言論空間が自由であることの証として歓迎すべきことだが、上記の抗議声明はさすがに常軌を逸しているといわざるをえない。沖縄県選出の国会議員が一団となって、私人の発言に対して謝罪と訂正を求めるという行動こそ「言論封殺」だ。私人にとっては国会議員も権力の一角である。

同じ会合に出席していた政権与党の国会議員の発言は、権力の側の「報道規制」につながる怖れがあるから批判されるのは当然である。批判自体はまっとうだから、「議員の発言は不用意」とのそしりはやはり免れず、自民党がいち早く処分を決めたのは適切な対応だ。だが、私人である百田氏の発言が果たして「報道・表現の自由を犯すもの」だろうか? むしろ百田氏に激しく抗議する国会議員こそ、百田氏の「表現の自由」を犯すことになるのではないか。「百田氏は憲法違反」というくだりに至っては、開いた口が塞がらなかった。私人に対して「あなたは憲法違反である。謝罪しなさい」と要求したケースなどこれまで見たことがない。憲法とは権力に立つ側を縛るものであって、私人を告発するためのものではない。それとも議員団は、百田氏を権力者だと考えるほど、憲法や民主主義を理解していないのだろうか。

「宜野湾市民、沖縄県民の名誉を傷つけたから名誉毀損で訴える」というのならまだしも、『民主主義社会では、マスメディアが権力に対して批判的なスタンスであるのは健全。報道機関を「つぶす」と述べるのは報道・表現の自由に反し、断じて看過できない』から「発言を撤回せよ、沖縄二紙に謝罪せよ」というのは理解に苦しむ。国会議員なら、私人を憲法違反で告発し、沖縄二紙に謝るよう要求できるというのだろうか。憲法は報道機関の言論の自由を保障しているのではない。国民の言論の自由・表現の自由を保障しているのである。今さらだが、日本国憲法には以下のように定められている。

第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

「主役は報道機関」などとは書いていない。主役は国民であり、百田氏はその国民の1人である。そもそも「私人が報道機関をつぶせる」とまともに受けとめることもおかしいが、小著『沖縄の不都合な真実』で示したように、政府という権力の批判には熱心だが、「沖縄内の権力」に対しては及び腰な沖縄二紙を槍玉に挙げることが、事実誤認であり、謝罪の対象であると断定できるのだろうか。

沖縄選出国会議員団は、「(米軍普天間飛行場は)もともと田んぼの中にあった。基地の周りに行けば商売になるということで人が住みだした」などといった百田発言も批判している。篠原も百田発言には誤認と誇張があるとは思う。だが、その誤認と誇張を正しく指摘するのは容易なことではない。

ここでは、沖縄タイムスが2015年6月27日に掲載した『百田氏発言「普天間飛行場、元は田んぼ」「地主年収、何千万円」を検証する』という記事を基に、「百田発言の真偽」に触れたいと思う。

■普天間飛行場、もとは田んぼ→戦前は9千人超生活
百田尚樹氏が「田んぼで、何もなかった」とする米軍普天間飛行場が建設された場所は沖縄戦の前、宜野湾村の集落があった。宜野湾市史によると、1925年は現在の飛行場に10の字があり、9077人が住んでいた。宜野湾や神山、新城は住居が集まった集落がほぼ飛行場内にあり、大山などは飛行場敷地に隣接する形で住宅があった。
最も大きかった宜野湾は村役場や宜野湾国民学校、南北には宜野湾並松と呼ばれた街道が走り、生活の中心地だった。
飛行場は、まだ沖縄戦が終結していない45年6月、住民が収容所に入っているうちに、米軍が土地を占領して建設を始めた。住民は10月以降に順次、帰村が許されたが、多くの地域は元の集落に戻れず、米軍に割り当てられた飛行場周辺の土地で、集落の再編を余儀なくされた。
市立博物館の担当者は百田氏の発言に「人々が戦争で追い出され、何もなくなるまでの過程が抜け落ちている」として認識不足を指摘した。

■地主の年収 何千万円→100万円未満が半数超
百田尚樹氏は「基地の地主はみんな年収何千万円」と発言した。しかし、地主の75%は200万円未満の軍用地料しか得ておらず、実態は百田氏の発言した内容と大きくかけ離れている。
沖縄防衛局が発表した2011年度の軍用地料の支払額別所有者数(米軍・自衛隊基地)によると、地主4万3025人のうち100万円未満の地主が全体の54・2%に当たる2万3339人で最も多い。
次いで100万円以上~200万円未満が8969人で20・8%を占め、200万円未満の割合が75%にのぼった。
500万円以上は3378人で7・9%だった。
軍用地料は国が市町村含む地主と賃貸借契約を結び、米軍と自衛隊に土地を提供する。地主に支払われる賃貸料は自衛隊基地を含み11年度は918億円だった。

接収された地域に、役場、郵便局、小学校が存在したことは事実で、集落自体が失われた字も存在しているが、「10の字があり、9077人が住んでいた」という沖縄タイムスの記事には疑義がある。宜野湾村の1925年〜1945年までの総人口はほとんど変化しないまま12000人台をキープしていたが(宜野湾市の長期人口動態を参照)、沖縄タイムスの記事を信ずると基地敷地外の人口はわずか3000人程度になってしまう。村人口の75%が現在の普天間基地内に住んでいたことになる。が、それは明らかに誇張である。宜野湾、喜友名、神山などにあった集落地は接収されているが、大山などその他の集落地には接収を免れた場所も少なくない。沖縄タイムスの記事は、おそらく基地接収の対象となった10の字の人口を単純に合計しただけであって、普天間基地に接収された地域に居住していた正確な人口を表すわけではない。同じ字でも接収されなかった住宅や田畑はある。9000人はどう考えても誇張である。この一帯が、人口密集地域だったのか、人口のまばらな農村地域であったのかを問われれば、「農村地帯」としか答えようがない。そのことは、戦中に撮られた米軍の航空写真(『宜野湾市史別冊写真集ぎのわん』所収)からはっきりわかる。

沖縄における戦前の小学校分布を見ると(『沖縄歴史地図歴史編』柏書房・1983年)、宜野湾の現市域内にあったのは宜野湾小学校と嘉数小学校の二校。嘉数小は普天間基地外に位置しているので、普天間基地内にあった小学校は宜野湾小のみということになる。 宜野湾の近隣町村を見ると、戦前の段階で三校以上の小学校が設置されていた地域が多い。これに対して宜野湾は二校。普天間基地に土地を接収された一帯でいえば一校。基地の造られた地域は相対的に人口の少なかった地域である可能性は高い。

宜野湾市が提供する人口分布図を見ると(下の三つの図を参照)、赤点で表される人口分布が、主として現在の普天間基地の外周にちらばっているのがわかる。住民を収容所に収容している間に基地工事に取りかかるなど、米軍の横暴な姿勢は責められてしかるべきだろうが、占領軍とはいえ、人口密集地を避けながら普天間基地を造ったことは類推できる。もちろん、生活道路、水源、耕作地などの多くが基地内に囲い込まれているから、基地の敷地内に居住していた者だけではなく、敷地外の住民の生活を一変させたことは想像に難くないが、この地域が都市部ではなく農業地帯だったという事実はやはり否定できない。

宜野湾の集落と軽便鉄道(出典:宜野湾市ホームページ

宜野湾の集落と軽便鉄道(出典:宜野湾市ホームページ

 

 

宜野湾の集落と並松街道(出典:宜野湾市ホームページ)

宜野湾の集落と並松街道(出典:宜野湾市ホームページ)

 

宜野湾の文化財分布図(現在の宜野湾の地図 出典:宜野湾市ホームページ)

宜野湾の文化財分布図(現在の宜野湾の地図 出典:宜野湾市ホームページ)

 

記事にも一部出てくるが、宜野湾市はホームページなどで「沖縄有数の松並木を誇った幹線道路(宜野湾並松と呼ばれた街道)と軽便鉄道」が存在したにもかかわらず、土地を接収され、町の発展が妨げられたという。街道沿い、鉄道沿いに居住していた人びとの土地の多くが勝手に接収されたことは事実なので、宜野湾に住む人びとの暮らしが激変したことは想像に難くないが、接収された土地の大半が農村地帯だったことは事実である。土地の多くはサトウキビの生産に使われていたので、百田氏のいう「田んぼ」はあまりなかったと推測できる(ただし、大山地区は米の生産で知られていたという)。なお、軽便鉄道は、人の輸送のために敷設されたのではなく、サトウキビ輸送のために敷設されたもので、普天間基地一帯で産出されるされるサトウキビもこの鉄道で輸送された。

百田氏の「基地の周りに行けば商売になるということで人が住みだした」という表現の粗っぽさは批判されてもやむをえないが、宜野湾市と同レベルの人口を持つ都市と宜野湾市との人口の増減を比較してみると、宜野湾市の人口増加率は際立っていることはわかる。1970年と2010年の二時点間で人口増減を調べてみると(下表参照)、宜野湾市の人口増加率は他都市を圧倒している。基地負担の象徴としての普天間基地が市の中心部を占めているにもかかわらず、人口が増え続けたことが確認できる。「市民のいのちを脅かす普天間基地」のある宜野湾に、次々と人口が流入してきた現象、あるいは人口が増加してきた事態を正しく理解するにはさらなる検討が必要だが、普天間基地を含む宜野湾市には「仕事がある」あるいは総合的に判断して「住みやすい」と考えた人びとが多数存在した可能性は高い。

ちなみに、普天間基地北端周辺には、普天間社交街という規模の大きな繁華街が今もあり、普天間基地南端周辺には、数年前に市の方針で廃業を余儀なくされた真栄原社交街という沖縄最大の歓楽街(風俗街)も存在した。北谷町北前地区に面した普天間基地メインゲート前には、10年ほど前まで米兵専用といえるフィリピンバーも多数軒を並べていた。これらの歓楽街の栄枯盛衰は、普天間基地の存在と不可分である。

宜野湾市と人口が近似する都市の人口増減率比較(批評ドットコム作成資料)

宜野湾市と人口が近似する都市の人口増減率比較(批評ドットコム作成資料)

 

個人の軍用地収入に関わる百田氏の話は争点になるような類の話ではない。なぜなら、地主1人1人の軍用地収入は公開されていないからだ。六本木ヒルズ云々といった事例への言及にもどれほどの根拠があるのか不明だ。沖縄タイムスが引用するデータは防衛省がとりまとめたもので、普天間に関するものではなく沖縄全体についての統計値である。

個別の地主や個別の基地から得られる軍用地収入については、断片的に漏れ出る情報に頼るしかなく、客観的に検証することなどほぼ不可能といっていい。百田発言を虚言とまでは断定できない。いずれにせよ正確な検証は不能である。

普天間基地から得られる軍用地料については、「平均」という切り口で考えることはできる。 普天間の年間賃料は71億7600万円(平成25年度)、地主は2800人。地主のうち後から登記した反戦地主が800名ほど存在する。反戦地主の登記する合計面積はわずか67平米なので(防衛省資料より)、計算上ほとんど無視してもよい。したがって、71億7600万円を反戦地主を除く2000人で割って出てきた数字が地主1人当たりの概算での平均賃貸収入である。計算上この数字は約360万円(平均土地所有面積2400平米に対する賃貸料)。360万円という金額が大きいか小さいかは一概にはいえないが、沖縄の物価水準を考えると、十分に暮らしていける金額である。なお、普天間基地の地主に政府も自治体も普天間基地の地主だが、その土地所有割合は8%に満たない。今回の計算では政府や自治体の存在は無視している。

百田発言は品位を欠き、そこには誤認や誇張も認められるだろうが、以上の検証過程からわかるように、その発言を「暴言・虚言」として全否定することはできない。百田氏をみんなでよってたかって責めつづけるのも明らかに行き過ぎである。まして、私人を「憲法違反」として告発するような姿勢は、厳に諌められるべきであろう。

この原稿を書いている間に、豊見城市議会が、百田氏への抗議案を否決したとのニュースが飛びこんできた。沖縄タイムスは「百田氏にも言論の自由」という見出しでこのニュースを伝えている。百田氏バッシングが続くなかで豊見城市議会が示した英断には敬意を表したい。併せて、これを報じた沖縄タイムスの報道姿勢も評価したいと思う。もっとも、これが報道機関本来の姿ではある。

批評.COM  篠原章
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