世界は悲しみにくれている〜WTCのドゥーワップ

昨夜、脳天気に立ち食いそばのエッセイを書いていたら、ニューヨークが大変なことになっていると家人が騒いでいる。パソコンの画面にテレビの映像を映し出して見てびっくり仰天。ワールドトレードセンターに穴が開いて黒い煙が出ている。もはや立ち食いそばどころではない。

情報はまだまだ錯綜していて「旅客機がWTCに衝突したらしい」ということ以外に詳しい情報はない。が、画像はまさしくリアルタイムのニューヨーク。テロか事故か判然としないまま、画面に釘付けになっていると、まもなく2機目の旅客機がWTCに衝突。うわっ、こりゃテロだ、いや戦争だ。いやーな気分になる。

テロリストがジャンボを何機も所有しているわけはないので、ぶつかった旅客機はハイジャックしたものだろうとトーシロのぼくにも容易に想像がついた。乗客をも巻き込んだ自爆テロ、地獄からの使者である。日本のTV局のアナウンサーや解説者のなかには、「まだハイジャックされたものかどうかわかりません」などと見当はずれな発言を繰り返している奴らがいる。呆れ果ててチャンネルを変えるが、どこも似たようなもの。といってわが家ではCNNは映らない。たまたまABCのニュースを流しつづけていたNHKのBS1・チャンネル7にチャンネルを合わせることにした。同時通訳の質が悪く、わけのわからんニッポン語も多かった が、自分のヒアリング能力よりはだいぶマシだろうと我慢して画面に見入る。

さすがにふたつのタワーが崩落する瞬間は絶望的な気分になった。恐怖で躯が震え、涙が止まらない。起こってはいけないことが起こってしまったのだ。SF映画であればいいのに。悪夢そのものだった。

1983年9月に初めてマンハッタンを訪れたとき、WTC直下の広場で街頭ミュージシャンによるアカペラのドゥーワップに出会った。ランチタイムで人が行き交うなかのあっという間の出来事である。ネクタイを締めた背広姿の5~6人の若者たちがどこからともなく集まり、輪になって”Spanish Harlem”など3曲を披露、歌い終わると潮が引くように周囲のビルの中へと消えてゆく。その間約10分。腕前はもちろんプロ級。あれは何だったんだ?ドゥーワップ・サークルの練習?それともれっきとしたエンターテインメント?いずれにせよ、あまりの格好良さにしばし呆然とその場に立ちすくんでしまった。ドゥーワップはハーレムにありと思い込んでいた。まさかWTC直下で遭遇するとは。いや、これぞニューヨーク、これぞマンハッタン。東洋の島国のポッ プなど足下にも及ばぬと、明治期の薩摩出身の留学生のような気分になった。

 あの時の ニューヨークでは音楽三昧の毎日。二週間ほどの短い滞在だったが、夜な夜なライブハウスやクラブに通い詰めていた。“スウィートベイジル”ではギル・エ ヴァンズに感動し、“RITZ”では黒人にも踊りの下手な奴が山ほどいると初めて知り、“CBGB”では縦ノリパンクの洗礼を受けた。ソーホーのロフトで はカリプソナイトも経験、“ヴィレッジヴァンガード”ではサルサやマルディグラの記録映画を見た。余録として“アポロシアター”の楽屋に紛れ込んだりもし た。音楽好きにとってはまさしくパラダイスである。

 ただ、ホ テルと治安については最悪の時期だった。ビレッジの本屋で買ったガイドブックに「ニューヨークのホテルで客が従業員に朝食をサービスするようになるのは時 間の問題だ」とか「あなたがニューヨークの地下鉄について知らされていることはすべてほんとうだ」と書いてあったほど。

 実際、地 下鉄にはうっかり乗れない雰囲気があった。そもそも駅の入り口付近や通路は目だけギラギラして痩せこけたジャンキーやホームレスのたまり場だったから、 ホームまでたどり着くのに汗びっしょりになるほどの緊張を要求された。WTCに行ったのも、目的があったからではない。42nd Streetからなんとか地下鉄に乗ったものの客はまばら。落書きだらけの車内にはいかにも怪しげな奴もいる。やがて到着した駅で、ただでさえ少ない客が どっと降りる。こりゃやばいと、あわててぼくも飛び出したのだが、そこがWTCの地下だったというわけだ。

 そのWTCが地上から消滅した。ニューヨークに住むあるニッポン人は「日本から富士山が消えたようなもの」と評した。が、ニューヨーカーは今もどこかでドゥーワップを歌っているはずだ。WTCが無くなってもニューヨークの音楽は無くなりはしない。それだけが救いだ。

 ニューヨークよ、歌え、踊れ、叫べ、弾けろ!!

批評.COM  篠原章
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