書評:高護『歌謡曲〜時代を彩った歌たち』

待望の書、といってもいい。奇しくも、篠原と関係の深い『新書 沖縄読本 (講談社現代新書)』(2/21掲載)と同日(2/18)に出版されている。なにかの因縁だ。一見するとたんなる歌謡曲史である。帯を見ればそう思う。だが、そこは見誤ってはいけない。これまでの類似の研究の“一線”を越えた、ポピュラー音楽研究史にひとつの画期を形成する可能性のある、きわめて重要な貢献である。

著者(高護)は、本書の冒頭(はじめに)で、次のように述べる。「目指したのは以下の要素を横断しながら総合的に歌謡曲という音楽の全体像をまとめてあげていく手法である。(1)その発展の歴史と特性についての時代ごとの考察 (2)個々の作品の基礎情報の記述および楽曲としての構成要素の紹介と分析 (3)それに伴う歌手、作詞家、作曲家、編曲家の役割と個々の特徴および他に与えた影響」

これまでの歌謡史研究は、(1)の時代的背景の分析、(2)のうちの歌詞の分析、(3)のうちの歌手・作詞家・作曲家のプロフィールの解説が作業の中心だった。とりわけ、時代的背景と歌詞とをシンプルに結びつけて論ずるものが多く、結果として一貫したロジックが見いだせない、きわめて社会学的・文学的な装いの強い研究が大半だったといえる。

本書の最大の魅力は、時代的な背景に連なる社会学的分析と楽理的な分析が一体化しているという点にある。楽曲構造を、和音(コード)、旋律(メロディ)、律動(リズム)、テンポ(BPM)という観点から詳細に分析する一方で、時代的背景や歌手・作家たちの役割に注目しながら、その楽曲の歌謡史上の位置づけについて総合的に検討・評価するという手法は、これまで、歌謡史研究にとどまらずポピュラー音楽史研究にはほとんど見られなかった。楽曲構造の分析は、あっても「ABA」「ABA’」といった基本構造に触 れるのがせいぜいであり、和声的な分析はほぼ欠落していた。もっといえば、「歌謡曲」を対象とした「研究」と称するものは、随筆の域を出ない主観批評にとどまるものが多かったのである。

前時代の歌謡曲研究と一線を画するこうした姿勢が もっとも明確に打ち出されているのは、「第三章 変貌進化する歌謡曲 1980年代」である。80年代に研究誌『季刊REMEMBER』の発行を通じてポピュラー音楽研究に着手すると同時に、SFC音楽出版を興して音楽ビジネスの世界に参入した著者にとって、もっとも「同時代的」といえる時期についての分析だが、個々の作曲家、作詞家、編曲家に焦点を合わせ、それぞれの歌謡史上の貢献をロジカルに解明して見せるくだりはまさに圧巻である。たとえば、作詞家 の康珍花や松本隆などに対する評価は、サウンドとしての歌謡曲、時代の鏡としての歌謡曲の変遷の、もっとも本質的な部分を抉り出す「成果」を挙げている。 音楽制作、音楽マーケットの現場を熟知する著者だけに、その説得力も強いが、いずれにせよ歌謡曲研究の水準を飛躍的に高めるメソッドとロジックを提示し た、他に類例のない研究といってもいい。

いわゆる洋楽を中心とした輸入音楽の模倣から出発した日本の歌謡曲だが、それはすでに独自のジャパニーズ・カルチャーとして発信力を持ち始めている。独自だからといって、輸出品として成功するか否かは別問題だが、歌謡曲の独自性が正当に評価されず、海外のポップに依然として劣るカルチャーであるかのような扱いを受けることも多い現状は、やはり歪であるといわざるをえない。

本書をきっかけに、歌謡曲に対する評価全般がひとつ上のステップに上がったことは間違いない。音楽ファン、音楽マニアにとってはもちろん、制作や販売の現場に立つ者にとっても必読の書である。

※著者の高護(こう・まもる)は1954年東京都生まれ。現職は音楽事業を幅広く手がける(株)ウルトラ・ヴァイブの代表取締役。上記『季刊REMEMBER』に加えて『定本ジャックス』『定本はっぴいえんど』『漣健児と60年代ポップス』などの監修・執筆を通じて日本ポピュラー音楽史研究の分野でも知られる。60年代、70年代の日本のフォーク、日本の ロック、歌謡曲のCD化・復刻の分野でも第一人者である。

批評.COM  篠原章
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