追悼 加藤和彦〜キング・オブ・ジャパニーズ・ポップス
もっとも偉大なアーティストを失ってしまった。いちばんラディカルな“お洒落”とは何かをぼくたちに教えてくれた人だ。たんにファッショナブルという意味ではない。加藤和彦は細野晴臣と並んで時代の羅針盤だった。
フォークルがいなければ、いまのボクはなかった。ミカ・バンドがいなければいまのボクはなかった。そう、加藤和彦がなければ、いまのボクは存在しなかったのだ。
個人的な接点はほとんどなかった。何度かインタビューを依頼されたけれど、いつもスケジュールがあわず、実現しなかった。
初めてご本人を見たときに、もうフォークルはなかった。71年、すでにデビッド・ボウイ風のヘアと衣装、ロンドンブーツ。べらぼうに音のよい12弦ギターをひとりかき鳴らしながら、『スーパーガス』に収録された楽曲を歌っていた。ミカ・バンド前夜のことだったと思う。
六本木「パブ・カーディナル」や飯倉の「キャンティ」で顔を覚えられることがステータスだった生意気な高校生時代、夜の街で加藤さんを見かけることがあった。白いロールスロイス、毛皮。ミカさんも一緒だった。 二人ともホントにカッコよかった。飯倉〜六本木が華やいでいる時代、73〜74年のことだ。港区カルチャーが日本のサブカルチャーの中心だった。
ソロ作品では、安井かずみとの共作『あの頃、マリーロー ランサン』(83年)が加藤和彦の最高傑作だと思っている。ジャパニーズ・ポップのなかでももっとも素晴らしいアルバムのひとつだと思う。失礼ながら、北山修でも松山猛でもない。加藤和彦にいちばんフィットした作詞家は安井かずみだった。その安井かずみが鬼籍に入ってもう15年以上経つ。
20年ほど前のことだが、加藤和彦と安井かずみがレギュラー出演するテレビの深夜番組があった。安井さんがゲストとトークするあいだ、加藤さんはひたすら料理をつくっている。もちろん日本ではまだ見たこともな いようなお洒落な各国料理である。最後に出来上がった料理をみんなで食べる。ただそれだけの番組だったような気がするが、安井さんと加藤さんのやさしいやり取りが印象に残った。ステキなご夫婦だった。
なにがあったのか、考えたくもない。探りたくもない。美しい死を迎えて欲しかった。いや、美しくカッコいい死に方だったに決まっている。
ああ、救われない。やりきれない。