佐渡金山世界遺産の登録に際して求められる「理論武装」

史跡・佐渡金山の世界文化遺産への登録が、「朝鮮人の強制労働」という(韓国政府の指摘する)「暗黒の史実」の故に暗礁に乗り上げる可能性もあるといわれるなか、岸田文雄首相は同金山をユネスコに推薦する決断を下した(1月28日)。

長崎市の端島炭坑(通称・軍艦島)を含む世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」登録の際にも、韓国政府から「強制労働」を批判されてちょっとした議論になった。軍艦島のときもぼくは指摘したが、「朝鮮人労働者が強制的に連行されてきた」という事実を一般化・強調する議論についてはやはり疑問が残る以上、「強制労働」を主張する韓国に「分」はないと思う。だからといって日本側の理論武装が不要だということにはならない。史実を踏まえた理論武装はいまも求められている。自民党内には韓国に配慮する必要はないという意見もあるが、いかなる外交的判断が行われようと、史実に対する日本側の見解は用意されなければならない。

佐渡金山で働いていた朝鮮人は約1200名と言われている。公的資料上は、佐渡金山において朝鮮人労働者が増加したのは1939年以降のことで、1944年8月までは朝鮮半島の特定地域(忠清南道)での公募によって、当時同地を襲った飢饉のために生活に困窮した多数の農民が自発的に応募してきたという事実を確認できるのみである。つまり、この段階では「公募」であって「強制」ではない。

ただし、公募を委託された朝鮮総督府の労務機関が、募集人員を確保するために、現地の元軍人や朝鮮人を含む元警察官を雇い、労働条件を偽るなどの詐欺的手法や少々荒っぽい手法で労働者を集めた事例はあったかもしれない。募集形式から徴用形式に変わったのは戦争末期の1944年9月以降で、この時期には労働者不足が深刻だったから、忠清南道だけでなく全羅北道にも募集地域が拡大された。慰安婦徴募と同じく、なかには「強制」と区別の付きにくい労働者の「徴用」があった可能性は否定できないが、資料はほとんど残されていない。資料が残っていないのは、朝鮮総督府や軍部が終戦時に書類を焼却したからだといわれているが、すべての労働者が「強制」だったとはどうにも考えにくい。大半の労働者は募集に応じて佐渡までやってきたのである。

労働の現場では、兵役による日本人の労働力不足が深刻で、かつて日本人が担っていた作業の大半を朝鮮半島出身者に依存するようになっていた。したがって、日本人労働者のあいだで頻発していた「珪肺(けいはい)」(掘削作業により発生するケイ酸粉塵を吸入することで発症する重度の肺疾患)が朝鮮人労働者のあいだでも見られるようになったが、日本人と朝鮮人のあいだの発症率の違いなどを明らかにする疫学的な研究はないようだ。1940年2月から42年3月までの約2年間に三菱鉱業佐渡鉱業所が雇い入れた約1000人の朝鮮人労働者のうちの死者は10名だが、疾病別を記した記録はない。

朝鮮人労働者の労働条件についても、日本人労働者との比較を行った資料は見当たらない。朝鮮人のほうが待遇は悪かった可能性は高いが、佐渡金山以外の他の作業場や朝鮮半島における労働条件との比較も行わないと公平な判断はできない。

この件についての広瀬貞三の論文「佐渡鉱山と朝鮮人労働者(1939~1945)」を読むかぎり、「劣悪」と判断できる材料はないが、佐渡金山の歴史をたどると、日本人労働者も劣悪な条件に晒されていた時期は長く、むしろ「資本主義発展のプロセスで強いられた労働者の犠牲」という観点から捉えるべきだと思う。企業が「搾取」していたのは労働者一般なのであって、朝鮮人労働者からより酷く搾り取り、日本人労働者からはそれよりいくらかマシだったと議論することにあまり意味はない。

軍部による朝鮮人労働者の直接管理はなかったが、警察は組織的に労務管理に携わっていたようだ。その場合も、県知事などの行政府の幹部が共同で労務管理にあたる形式を取った。佐渡金山の朝鮮人労働者に対してのみ抑圧的な態勢だったというより、韓国を併合した日本という国の中に存在する植民意識・差別意識が何らかのかたちで作用したと見るほうが適切だと思う。だからといって「強制労働」の存在を肯定する材料にはならない。「強制」を問題にするなら、女学校生徒を中心に軍需工場に動員する制度(学徒戦時動員体制 1943年後半以降)の強制力のほうが強かったという言い方も可能だ。

したがって、現在ある資料を前提とする限り、「近代化推進のプロセスで労働者が厳しい労働条件の下に置かれる時期もあった。そのなかには当時日本に併合されていた朝鮮半島から募集・徴用された労働者も多数含まれていた」と説明するほかない。「強制労働」という文言が必要なら、「労働者の一部は強制労働だったという説もあるが、十分な資料は残されていない」とあっさり付け加えればよい。

もっぱら奴隷労働によって造られた古代のエジプト、ギリシャ、ローマの史跡のことを考えれば、強制労働があったとしても歴史的文化的価値は損なわれないのだから、強制労働を括弧付きで認めることに躊躇する必要はない。日本政府は、「強制労働」という文言に神経質になる必要なないというのが結論だが、今後も韓国側の指摘におたおたしないためにも、戦時下の資料を収集して確認した上で、江戸時代から続く文化遺産としての意義を強調する必要はある。

史跡・佐渡金山ホームページより

批評.COM  篠原章
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