韓国の反日感情の背景を探る
1,裵淵弘『誰も教えてくれない韓国の「反日」感情』を読む
裵淵弘(ベ・ヨンホン)さんの最新刊『誰も教えてくれない韓国の「反日」感情』(牧 野出版・2012年12月)を読んだ。『中朝国境をゆく』(中公新書ラクレ・2007年)『朝鮮人特攻隊』(新潮新書・2009年)『サムスン帝国の光と 闇』(旬報社・2012年)などの著書で知られる裵さんは、韓国の現状に詳しい東京生まれのジャーナリストである(1955年生まれ)。
韓国についてはわからないことばかりだ。歴史的事実もさることながら、なぜ韓国人が反日感情を抱き、日本人が反韓感情を持つのか、長い間疑問に思ってきた。
こうした「感情」が生まれた背景を知るために、日韓 関係の歴史も調べたが、歴史家・呉善花さんの『韓国併合への道 完全版』(文春新書・2012年)、同じく崔基鎬さんの『歴史再検証 日韓併合―韓民族を救った「日帝36年」の真実』(祥伝社黄金文庫・2007年)など評判になった本を読んでも、なかなかピンと来ない。呉さんも崔さんも “日本礼賛”の姿勢で一貫している。くすぐったいほどだ。いくらなんでもそこまで日本を美化しなくてもいいだろうと思ってしまう記述も多い。『在日』(集 英社・2008年)などの著書もある政治学者の姜尚中さんについては「被害者意識が強烈」という批判もあるようだが、ぼくは姜さんの被害者意識が過剰なも のだと思わない。が、姜さんの著書から日韓関係の歴史を客観的に捉えるのは難しい。在日の立場を超えた普遍性のようなものが見えにくいのだ。学者としての 冷徹さや合理性のようなものが、ご本人の自分史に関わるテーマになると薄まってしまっている。
裵さんの『誰も教えてくれない韓国の「反日」感情』は、韓国における「反日」感情に焦点を絞った本で日韓関係史全体を扱ったものではないが、焦点が絞られている分、わかりやすく発見も多い。
2.対立を和らげる装置としての「歴史の共有」
日本が米国に与えられた「戦後」を享受している間、多 大な犠牲を払いながら「解放後」の歴史を勝ち取った韓国。戦後の針を逆戻りさせて分かったのは、韓国が主張する加害者対被害者という図式は、もはや日本で は風化している事実です。むしろ日本は、敵対者であり理解者でもある米国との関係が、韓国にも当てはまると考えてきました。そして、質の異なる二つの戦後 の時差が縮まろうとしている今、共有されなかった歴史認識の歪が一気に噴出しているのではないでしょうか。(pp.5-6)
韓国(朝鮮半島)の歴史をちょっと紐解いてみれば、 日韓両国がいかに「歴史を共有しない」戦後史を生きてきたか一目瞭然だが、ぼくたちはそのことを十分認識していない。 韓国側で、<被害者=韓国、加害者=日本>という図式が強調されれば強調されるほど、日本側は韓国を遠ざけようとする。日本側からは「韓国の近代化は日本 の支配下で成し遂げられた。恩を忘れたのか」といった反駁もしばしば行われるが、韓国側の「被害者の立場を理解しない」という声を大きくする効果しかな い。やっぱり「触らぬ神にたたりなし」だ。「韓国は分からんよ」。問題は放置される。こうした放置が韓国側のフラストレーションを増幅する。放置は現状維 持でしかないからだ。
櫻井よしこさんはその著書やコラムなどで、「竹島に 対する日本の領有権を主張するのは当然だ」という。もちろん、そのこと自体に問題はない。だが、裵さんの指摘する「韓日の歴史の共有」という問題もあわせ て考える必要がある。たとえば1910年の朝鮮併合に関する事実関係、1965年の日韓基本条約に対する両国の解釈の違い、韓国軍のベトナム参戦とその見 返りとして米日等から拠出された多額の援助(1964〜72年)、1987年の民主化宣言(盧泰愚大統領候補)などについて、日本人はほとんど知らない。 いや「出来事」としては知っていても、それらが日韓両国や両国民にとってどんな意味を持つのか、ほとんどの日本人は理解していない。むろん韓国の側も同様 だ。「反日」的な教育はあっても、事実を冷静に受けとめる教育はあまり行われていない。
3.従軍慰安婦問題の複雑さ
問題となっている朝鮮人従軍慰安婦問題についても議 論の余地は少なくない。現在公開されている資料からは「従軍慰安婦は存在しなかった」と読み取れるが、慰安婦だったという人たちの証言の開示は十分とはい えない。公式な制度として「従軍慰安婦」が存在しなかったとしても、「軍と慰安婦は無関係だ」という主張を全面的に受け入れるのも難しい。「従軍慰安婦へ の就業」が自発的だったとしても、日本人業者による詐欺同然の勧誘は許されるのか。許されないとして、いったい国が責任を取る義務があるのか。道義的責任 を謝罪(1993年の内閣官房長官談話いわゆる河野談話)しながら日本政府が設置した「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)でも納得しな かった韓国側の対応に正当性があるのか。従軍慰安婦は存在しなかったと主張する人たちは、ベトナム戦争における韓国軍のレイプ事件(いわゆるライダイハン問題)を持ち出して韓国を非難するが、こうした「感情」の応酬が問題解決をいっそう複雑にしてはいないか。
裵さんはの著書には、「日韓の歴史の共有」を考える 際のヒントがちりばめられている。冷静で客観的だ。韓国側から示される反日感情に対しても批判的だが、日本側の主張をそのまま認めているわけでもない。従 軍慰安婦問題についてもきわめてバランスの取れた分析を示している。
従軍慰安婦問題は本来、論争の対象ではなく、被害女 性の人権を回復するため、日韓が協力して解決すべき人道問題でした。前述した通り、65年の国交正常化の際の請求権協定により、元慰安婦に対する法的な責 任を日本政府に問うのは極めて困難ですから、被害者に対する道義的責任をどう果たすのかが最大の課題でした。その代案として、河野談話後の95年に設立さ れたのが「女性のためのアジア平和友好基金」(アジア女性基金)− 原文のママ-でした。国民からの募金で元慰安婦への償いをしようとしたのです。 ところが、アジア女性基金による償いの方針が明らかになると、韓国の挺 対協を中心とした支援組織が「日本政府の法的責任を回避する隠れ蓑」であるとして、強く反発しました。日本の左右両翼からの批判に晒されていたアジア女性 基金は韓国からも非難され、身動きがとれないまま空中分解してしまいました(2007年解散ー篠原註)。(中略) 河野談話は日本政府の発表であり、その 文面から国家として謝罪したのは明らかです。さらに償いの代案としてアジア女性基金は設立されました。(pp.65-67)
4. 被害者論・加害者論を乗り越えるために
本書を読み進めると、韓国側の反日感情の根深さには 驚いてしまう。今や大半の韓国人は日本に対してふだんは無関心だというが、 李明博大統領の竹島上陸というスタンドプレイに対する国民的喝采で示されたように、 領土問題になるとマグマのように反日感情が吹きだしてくる。裵さんは、日本に対する無関心の底流には、依然として歴史的に醸成された韓国の日本に対するコ ンプレックスがあるというが、これは一朝一夕には解消される問題ではない。 韓国側の反日感情ほど強烈なものではないだろうが、日本の側の在日朝鮮人差別や韓国を敵視する感情も、簡単には解消されない。
先にも触れたように裵さんはその解決策として「日韓 の歴史の共有」を提唱し、そのために本書を著したわけだが、現状では歴史を共有するきっかけすら見いだせない。日本におけるK-POPや韓流ドラマに対す る理解や共感、韓国における日流ポップや日流文学に対する理解や共感が深まることは問題解決に資するだろうが、それだけではとても溝は埋まりそうもない。
ぼくは、民主主義について真剣に考えることが両国のあいだの溝を埋める方法ではないかと密かに考えている。
独裁国家だった韓国は1987年に初めて民主化し た。これは韓国の民衆が血を流しながら勝ち取った民主化だが、その民主主義はまだまだ発展途上にある。日本は1945年から民主化のプロセスをたどったか ら時間的には韓国の先輩だが、今回の総選挙で示されたようにその民主主義はまだ欠陥だらけだ(ちなみに、自民党の圧勝が欠陥だ、といっているのではな い)。「未成熟な民主主義をいかに改善していくべきか」「民主主義とリンクする経済のあり方やその発展とは何か」をお互いに徹底して考え抜くことが、日韓 にとって歴史を共有するきっかけになると思っている。その過程で明治以降の日本の近代化の世界史的な意義も見直されるはずだ、とも思っている。
被害者論・加害者論(構造的差別論)による問題解決や、ほぼ同じことだがポストコロニアリズムによる問題解決の枠組みを超えることが時代の閉塞感を打破するとぼくは考えているが、その文脈でも本書は多くの示唆を与えてくれた。良書である。